ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

マリオカートの『ゴースト』の意味 #626

time 2015/05/28


 

一緒に野辺山ウルトラ2015を走った『キングオブ惜しい漢・ハラル』のブログに、興味深いエントリがあった。

『マリオカートのゴーストの意味』

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(Source:マリオカート8攻略

ハラルのブログ『投げブロ』

ハラルのブログは『アメブロ』ならぬ『投げブロ』と呼ばれていて、触れた中身の話を投げたり、ブログそのものを着地させずに投げたり、登場人物を投げたりする。彼のブログのキャッチフレーズは、『ブレない、投げない、止まらない』なのだが、止まることはないものブレるは投げるは、読む方もついていけずそれはそれは大変だ。

例えば、シブヤさん(仮)という、仲間内ではその体型のそれっぽさから、『フリーザ様』と呼ばれているスーパーエンジニアがいるのだけれど、そのシブヤさんとハラルが対談したときのこと。

シブヤさんの話にいたく感銘を受けたらしいハラルは、ブログにこう書いていた。

『このシブヤさんという方、めっちゃすごいです!日々の仕組み化がハンパないです。でも今日は時間がないのでまた書きます。』

と言って、その続きが書かれることは二度となかった。この話を聞いたシブヤさんは、怒って第三形態に変身していた。この日以来、ハラルのブログはその豪快な投げ方を模して、『投げブロ』と呼ばれている。

 

ブログの女王『Chikirinの日記』で、一時期ちきりんさんのブログに掲載するブログを公開募集したことがあった。お題を統一して、それについて皆書いてきて!というもの。お題は、

『とある高級スーパーに入ったら、目の前に並んでいた6歳ぐらいの女の子が値段の高いオーガニックの納豆を買っていた。そのスーパーは来ている客もセレブだったし、売っているものもセレブ向けだった』

という感じのもの。これについてブログを各々書いてきてね、ということだった。

俺の書いたブログはこんな感じ。要約すると、

▼小さい女の子が高級スーパーでオーガニック納豆を買っていた。

▼それはそれで良いが、納豆業界のトップオブザトップであるオーガニック納豆をこの歳で食べてるのはいかがなものか。

▼戦後および高度経済成長期が幸せを感じやすかったのは、生活がだんだん良くなっていくという実感が物心ともにあったからじゃないか。良い生活をしていても、そこがずっと続くようでは、人間はどこかで不満を抱く、不合理な生き物である。

▼だからこの子はまずおかめ納豆から始めて、金の粒へ、そして最後にオーガニックにたどり着いた方が、幸せになれるんじゃないの?最初からセレブ扱いし、無菌室に飼うことだけが幸せだと思ったら大間違いよ。

このブログがどうかというのは、読んだ人の評価に任せたい。

 

対して、ハラルのブログはこんな感じだった。今も残る不朽の名作だと思う。要約すると、

▼ちきりんさんのブログでこんなお題が出たので僕も書いてみます。

▼6歳の女の子が高級スーパーでオーガニック納豆を買おうとしていました。

▼ところで、皆さんは『ハラル』って知ってますか?

▼2020年に向けて、日本もベジタリアンやハラルなどの異文化対応が必要かもですね。

お分かりだろうか?これほどアグレッシブな『ところで』の使い方は、俺は見たことがない。今までの話と微塵の関係すらない話に強引に切り替えるとき、この『ところで』は重宝されるが、それにしてもあまりに関係のない話が登場したので、初見のときに俺はしばらく固まった。

柔道の篠原のような見事すぎる『スカシ』に審判すらだまされて誤審を招いたように、読む人全員が瞬間凍結させられるブログである。

これ以来、彼の本名は忘れ去られ、『ハラル』と呼ばれるようになった。顔はキリスト教っぽいが、呼び名はイスラム教にほど近い『ハラル』に統一されることとなった。

 

 

マリオカートの『ゴースト』の意味

本題に戻そう。

マリオカートには、カップ戦とタイムアタックの2種類がある。カップ戦はコンピューターや人間と対戦する。タイムアタックは自分一人で走る。カップ戦の方が、基本的には盛上がる。対戦相手がいるのだから当たり前といえば当たり前。

タイムアタックの場合は、自分一人で走る代わりに、過去最高タイムだったときの走りを『ゴースト』がしてくれる。自分と同じ姿、自分と同じキャラ、しかし過去最高の走りをしてくれるので、今の自分が過去最高の走り以上の走りをしているのか、それともそれ以下の走りしか出来ていないのかが、如実に分かる。

さて、大人になるとそれぞれの戦いにそれなりに意味があることに気づく。

成長を目指すのなら、上達を目指すのなら、間違いなくタイムアタックをするべきだ。過去の自分、しかも過去最高の自分というのは、最高の対戦相手だ。少しでもミスをするとあっという間に置いていかれるほど速いし、もし勝つことが出来たとしたらそれは現時点の自分が過去最高だという証明になる。

そうして自分に対して勝ちを重ねていくと、理論上はどこまでも速くなることができる。

カップ戦ではそうはいかない。コンピュータだろうが人間だろうが、対戦相手が増えると、それだけ不確定要素が増していく。マリオカートの場合は甲羅を投げて相手にぶつけたり、バナナの皮を投げて滑らせたり、スターをとって超サイヤ人状態をフル活用して相手を出し抜くことができる。

勝ったとして、それは自分が強かったからか相手が弱かったからか、運が良かったからかは全く分からない。

 

では、カップ戦よりタイムアタックの方が良いのか。

そうとも言い切れない。僕は、成長と成功とはその測定の尺度が少し違うものだと思っている。成長は、タイムアタックでするべきだ。何度も言うけれど、過去最高の自分に勝つということは、それ自体が成長の証となる。

しかし成功はというと、これは含み益の発露を伴わねば意味がないと思っている。含み益はきちんと利益に代えるべきであって、利益はきちんと享受すべきだ。それはマリオカートでいえば、カップ戦で敵に勝つということ、優勝するということだ。

これは、グライダーで表現すると分かりやすいかもしれない。

出来るだけ高いところまで登っていくのが成長、どこまでもどこまでも登っていく。対して、そこから滑空していく距離が成功だ。高いところまで登れば登るほど、そこから滑空できる距離は増えていく。低いところから発進して、なるべく遠くに滑空しようとしても、それはなかなかうまくいかない。遠くに飛びたければ、まずは高いところまで駆け上っていく必要がある。

前は『人と比べる必要なんてない』、『ライバルは自分だ』みたいな論調に、100%同意していた。しかしそれだけだと、世の中で起きているほとんどのことを説明出来ないし、何より自分の心の嘘をつくことになる。結局、月並みだけれど、マリオカートであればカップ戦もタイムアタックも必要だと思うし、成長も成功もどちらも手にしたいと思うわけである。

なんてことを、ハラルの『投げブロ』を読みながら考えた。ハラル、きっかけをありがとう。ちょっと投げ気味になったけど、許しておくれ。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

 

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。