ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

パパ6年目に向けて子育てで心がけていること #630

time 2015/06/01


 

知ってる人は知ってるかもしれないけれど、僕は娘を溺愛している。娘の瞳はいつ見てもキラキラしていて、世の不条理に穢されて濁った僕の瞳とは違って、常にずっと遠くとものすごく近くを見ている。

娘が5歳なのでパパとしても5歳。もうすぐ6年目。まだまだその道何十年のとか何回も経験してる人とかには敵わないけれど、子育てに関して心に留めていることに触れておきたい。

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子育てで心がけていること

1、幼少期は『強制的な矯正』を

幼少期に、本人の意向も個性も何もあったもんじゃないというのが、僕の正直な想い。

自分の反省になるけれど、スポーツでは特に、基礎の出来ていないヤツほど妙技に走る。ドリブルやリフティングをまともに出来ないのにロナウジーニョのごとくエラシコをやってみたり、空手で言えば変化蹴りをやったりする。そういうヤツは大したキレのないエラシコをやるのが得意になるだけであり、大して威力のない変化蹴りをやって満足する。

教育も同じで、個性だなんだと言う前に、やらせるべきこと、叩き込むべきことがあると思う。挨拶、ありがとうとごめんなさい、ある意味親に絶対服従、早寝早起きなど。

トイレを流すとか流さないとかいうのは、子どもの意向に沿ってやることではなく、叩き込むべきことである。よって、間違ったことをしたら安易に許さずに泣くまで追い込んで強制的に矯正させる。

 

 

2、親は子どもに言う以上に自分がチャレンジする

子どもには、もうすぐするとスポーツや勉強で『頑張れ!』とか『努力しろ!』とどこかの段階で言わなければいけない。たぶん僕が運動にしろ勉強にしろ見られるのは小学生までで、それ以上になると恐らくフィジカル的にも脳みそ的にも付いていけなくなる。

そんな『だってパパはやってないから分からないじゃん』状態のときに、それでも『頑張れ!』、『努力しろ!』という言葉を貫通させるためには、自分が娘以上に未知のもの、守備範囲外のものにチャレンジしている姿を見せる必要があると思っている。

子どもはいつだって、カリキュラムに沿って可能と不可能の境目をうまくコントロールされたチャレンジを強いられている。子どもの教育の素晴らしい点だと思う。ならば、大人だってそういう場所に身を置いておくべきなのでは?成長していない人は、その人に才能がないとか努力が足りないとかではなく、そういう環境に自分を置いてくれるノが自分だけという認識が足りないだけだ。

『頑張れ!』と子どもに言って自分はビール飲んでテレビ見て、というだけでは、ちと子どもから見たときの説得力がないのではと思う。

 

3、子どもが本を読めるようになったら読んでほしい本を書棚に置いておく

僕は親父のことをろくでもない人間だとしか思ってなく、その凄まじさを知ったのは社会人になってからという親不孝者だが、そんな腐れ青少年期でも良かったなと思える一つのエピソードとしては、親父の部屋に山ほど本があったことだ。

ドラッカー、コトラー、大前研一、そしてなぜか宮沢りえのサンタフェ。

『大人っていうのはたばこを吸ったりパチンコをするものなんだ』という価値観ではなく、『大人っていうのは本を沢山読む生き物なんだ』という価値観は、ただ家に本が山ほど置いてあっただけでなんだけど、結構重要な価値観として醸成された。

本は、他人が一生涯を懸けて得た教訓や知恵を凝縮して1500円程度で手に入れることが出来る最良の教科書。僕の書棚には、『銀河英雄伝説』、『水滸伝』を始め、少しのドラッカーと少しのデールカーネギーとトライアスロン関連の本と囲碁の教科書が並んでいる。ここに『スラムダンク』と『ドラゴンボール』と『キングダム』が揃えば完璧なんだけれど。

 

 

 4、怒らない、叱る

怒るのではなく、叱る。この加減が分かっていない親が多いと個人的に感じているし、叱るのではなく怒るからいろんな事件が起きている。子どもに怒っても仕方ない。勿論どこの家でもそうであるように、子どもというのは基本的に言うことを聞かない。聞かないのでイライラはする。

イライラはするけど、たとえばうちで言えば5歳児が、大人顔負けの反論をしてきたときなど、表向き怒った風を装うけれど、内心は拍手喝采している。

娘じゃなくて僕が単に悪い話だったのだけれど、娘のアイスを娘が寝てる間に食べたときのこと。朝にゴミ箱にアイスの箱が入っているのを見つかって、娘に責められた。『パパ知らないよ。知らないおじさんが入ってきてさっき食べていったよ』と言い訳してみた。4歳までだったらそれで仕方ないと手打ちできた話。ところが、

『おじさんははねはえてないからとんでこれないし、カギのピーだってもってないんだからおうちはいってこれるわけないじゃん、パパのうそつき!』と5歳児に大声でののしられた。極めてロジカルな反論にパパ降参。罪を認め、もう一個アイスを買わされた。

生意気なことを言ってきたら、そこまで成長した子どもを褒めてあげよう。そこは怒るとこではない。必要があれば叱る。

 

 

5、大人向け番組を見せる

脱テレビ原理主義社でもない我が家では、普通にテレビを見せている。依存しなければ別に悪いこととは思わないし、言葉の勉強になるからだ。ただなるべく、プリキュアなどの幼児番組もいいが、大人向け番組を普通に見せることにしている。

世の中は『知らないことが眼前に現れても、前後の文脈、周囲の環境から類推して全体の意味を把握したり、知ったかぶりをすること』が求められることが多い。別に全部を事前に知っている必要はないし、教科書の1ページ目から暗記する必要もない。

その意味で、子どもに大人向け番組を見せるということは、『分かる30%VS分からない70%』ぐらいの割合の状態で情報を提供しているということであり、そのなかで汲める意味を汲んでいく作業というのは、将来きっと役に立つと思う。

ちなみに今娘は『マザー・ゲーム』にハマっていて、セレブ奥さんたちの複雑なパワーゲームの勢力図を理解しようとしている。

 

6、カラダを使わせる

運動が好きとかキライというのは、1番目と同じで個性と呼ぶべきではないと個人的に思う。生物として、運動をするのはもはや義務。そうでないと、カラダの色々な機能を維持出来ないし、将来的に必ずツケが回ってくる。

一説によると、11歳になるまでに人間の運動能力というのは決まるらしい。なので、特に分野を絞らず全身を神経ごと鍛えられる公園では積極的に遊ばせたり、何かといえば走らせたりしている。

どうせ中学生ぐらいになると嗜好や部活によっては運動量が激減するのだから、今のうちにカラダを使うということを叩き込んでおきたい。2kmマラソンに一緒に出たら最初の200mだけキロ3分半ぐらいで走っていてビビった。

 

 

7、失敗を褒める

成功したら勿論褒めるが、トライして失敗したときも、褒めるようにしている。トライすること自体に価値があり、失敗は怖くないし、失敗しないと成功もしない。

そんな、大人の成功哲学の本に出てくるような言葉を、子どものうちから身につけることが出来たらいいのじゃないだろうか。

『パパ、しっぱいしたらまたやればいつかうまくいくからまたやればいいんだよ!』

と言われたときは涙が出そうになった。よくぞ、よくぞここまで育った。

 

 

8、どこかで試練を与える

まだ5歳なので無理だけど、どこかで貧乏生活をさせるか、一人旅をさせるか、こづかいを自分で稼ぐように働きに出そうと思っている。

今の世代の親は恵まれていて、その下の世代の子どもたちはさらに恵まれた環境に、生まれたときからいる。景気の話ではなく、絶対的な生活水準としては、これ以上望むべくもないぐらいのものが、生まれたときから周囲にある。

着るものは清潔、家は頑丈、食べるものは美味しく、家族は皆健康。習い事も出来てじじばばは誕生日プレゼントをぎょうさん買ってくれて、ディズニーランドにいけばミッキーが接待してくれる。

享受出来るものは享受してもいいとは思うけれど、しかし世界の水準はそうではなく、自分が恵まれた国に生まれ、恵まれた環境を与えられているということをカラダで分かって、そしてその上で生きていってほしい。

自分が恵まれているということに気づけない人間ほど恵まれない人はいないと思うから。

 

 

9、変な男を連れてきたら蹂躙する

これは個人的な決意。鼻ピアス、金髪入れ墨、チャラ男。あるいはそれに類する男を連れてきた場合は、何の逡巡なく5秒で蹂躙、陵辱しようと思っている。そのために今から鍛えている。受けてもらう試験は3つ。

▼フィジカル試験:僕と河原でタイマンをし、勝てば二次試験へ。あるいは半年以内にアイアンマン・ウルトラマラソン完走でも可。

▼論述試験:人生理念、行動指針、仕事の現況および未来予測などを僕にプレゼンテーション。スタンディングオベーションを獲得出来たら最終試験へ。

▼英語試験:上記を英語で。今よりずっとグローバルな時代なので、それ相応の英語力を。英語力が重要なのではなく必要な能力を身につけようとする意欲とその実現手段および有効性が重要。

 

8番までは結構いい話をしていた気がするが、最も気合いが入ったのはやはり9番だった。誰に聞いてもそれはやり過ぎだ、娘に嫌われるよと言われるが、今のところ変える気はない。

たこ焼きを懇願され、これから食べるところ。

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たこ焼きを本気で食べてるところ

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。