ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

正しい危機感の感じ方 #635

time 2015/06/06


 

今日は6月6日。『オーメンの日』である。若い人は知らないかもしれないが、『ダミアン』が生まれた日だ。

『4』という数字は日本で嫌われているが、『6』という数字はキリスト教の世界で嫌われている。6月6日は、その不吉な数字がゾロ目で揃ってしまう、不吉な日だ。

ダミアンは、6月6日の午前6時に生まれたとされている。そこから、身内がほとんど全員死に絶えるに至った。

animal-653450_1280

 

my bro

こんな日に毎年頭をよぎるのは、我が弟のこと。英語で言えばmy broだ。ちなみに弟はまだ生きているし、別に身内に不幸を連続させる存在でもない。

ではなぜ6月6日に弟を思い出すかというと、別に弟が何かしたワケじゃない。ある貴婦人のセリフを思い出すからだ。

『大体ね!あんた(=僕のこと)のことなんて大変だったんだから産むとき。帝王切開でもう痛いなんてもんじゃなくて!そうそう!タケロー(=弟のこと)のときなんて、もう少しでオーメンになりそう(=6月6日に産むこと)だったから3日も産むのを我慢したのよ!あたしスゴいでしょ!』

何事につけても少し恩着せがましい貴婦人は、ご想像の通り僕と同じ姓である。本人にその能力が本当にあるのかは知らないが、何でも当時から万能なため、3日も出産を意図的に遅らせることが出来たらしい。

そういう経緯で『ほぼダミアン』状態から起死回生の6月9日生まれを勝ち取った弟は、その後機能不全な兄を差し置いて、我が家の顔となっていく。全国小学生テニス選手権第2位、インターハイ出場、インカレシングルスベスト4、ダブルスベスト8。そしてプロへ。

『あの赤羽くんの弟さん』という表現より、『あの赤羽くんのお兄さん』という表現を聞く方が、100倍ぐらい多かった気がする。

残念ながらあまりにも厳し過ぎるテニスのプロの世界で、錦織くんのようなスターダムを駆け上がることはなかったが、それでも立派にプロとしてプレーし、先日引退をした。

そんな弟が、父親になることになった。おしめを僕に代えられ、唐揚げをいつも僕に取り上げられ、小さい頃モンチッチに顔が似ていたので『もんち』とあだ名を付けたら、『もんちじゃない!!!』と毎度びーびー泣き叫んでた弟が。

スーファミ全盛期の僕に無理矢理付き合う形でスト2やぷょぷょ、マリオカートを1日10時間以上もやらされるハメになり、当然学校の勉強どころではなくなり、空手を始めた僕の打撃練習の犠牲にいつもなっていた弟が。

6月6日とは、そういうことを一瞬の間に考える日である。ある意味オーメンすぎて、本人の誕生日より印象深い。

 

 

ヤバい!という危機感は大事だが、それだけではヤバい

僕が生息している業界では、危機感のあるヤツが生き残り、危機感のないヤツが死に絶えていく。フルコミッションの世界だからこその淘汰が、健全にかつ頻繁に行われる業界である。

生き残るには、危機感を持つしかない。後輩にはよくそういう話をしている。それでものほほんとしているヤツはやっぱりどこかの段階で辞めていったし、目の色が変わったヤツはどこかの段階でバンと伸びる。

絵に描いたように危機感ゼロで85℃のお湯でも『いい湯だなぁ』と恍惚としてるおバカはいないが、現状に対する健全な否定思考程度ならみんな間違いなく持っているものの、違和感に対する検証、課題に対する実行を伴った危機感かというと、そうでもないことが多い。

結局、危機感とはそれ単体だけではダメで、あくまで形而下に落とした何かしらのアクションが必要なのだ。

『ヤバい!』と思うだけではダメで、例えば赤信号なのに車が迫ってきたら撥ねられる瞬間にカラダを宙に浮かして頭を守りながらボンネットで衝撃を吸収しようとするとか、火砕流が迫ってきたら写真を撮るんじゃなくて一目散に逃げるとか、お客さんに断られたら直後にはもう修正するとか、そういうことだ。

ある程度勉強している人なら、自分のおかれている環境や状況に関する健全な否定をある程度ロジカルにこなすことが可能だ。けれど、それは直接その課題を解決できることを意味しない。アクションしないこともしょっちゅうあるからだ。

 

 

行動を伴った正しい危機感は、どういう場合に醸成されるのか?

先の弟の話。弟が小学生で全日本2位になったとき、スゴいとは思ったが大して興味はなかった。インハイもインカレも見にいったけれど、自分と比較することもなかった。僕もテニスを結構真剣にやっていたが、世界が違いすぎた。テニスのプロを引退し、普通の会社に就職したときも、心から応援していた。結婚式では、確か少し泣いたと思う。

同じ血を引いてはいたけれど、6歳違うこと、主戦場が違うこと、進路が違うことなどから、今まで本気で意識することはなかった。

で、今回。

弟が父親になることになった。なぜかなんだか急にヤバいと思うようになった。僕は2人目、弟は1人目ということになるが、なんだか生まれて初めて同じステージに立った感じがした。弟が結婚したときは僕は結婚しており、娘もいたため同じステージとは思っていなかったようだ。

別に勝ち負けを意識するとかそういうのじゃないのだけれど、初めて同じステージに立ったことで、なんだか急にヤバい気がしてきた。なんだか、俺変わらないとダメかも、と、勝手に思うようになってきた。

そして同時に気づいた。そうか!コレだ!

人間は、何らかの憧れを抱いたときにそこに向かって猪突猛進することが出来る。僕も何度か経験してきたことだ。ただし、壁にぶつかったり理想と現実の齟齬を感じたりすると、そこで前進が止まる人も多い。これも僕が何度か経験してきたことだ。

憧れだけで、人は前へ進めない。

もう一つ、大事なエンジンがある。それが『危機感』。僕の場合、憧れよりもこの危機感の方が今まで勝っていたのかもしれないが、とにかくこの危機感というのは、真に心にストンと落ちれば、結構なパワーを発揮してくれる。

なので、『ヤバいなぁ〜、・・・ま、いっか!』という危機感ではなく、『ヤバい!ヤバい!ヤバい!動け俺!』というような危機感をきちんと感じられれば大抵は物事が良い方向に進む。正しい危機感と言える。

この正しい危機感がそれなりに高い確率で醸成されるのは、今回の経験であるパターンが関係していることが分かった。それは、

『自分が専門とする分野において、近しい人間が後ろから猛追してきたとき』

だ。

自分が3年生で、練習のなどのときにメンターがわりにペアで面倒を見ていた1年生の後輩が、自分と同等のレギュラーに抜擢されそうなとき。初心者だと思ってトライアスロンを教えていたら、デビュー戦で自分と数分しか違わなかったとき。子どもに勉強を教えていたら、その勉強にもはや付いていけなくなったとき。

似たような経験は皆さんもしたことがあると思う。こういうことなのだ。

別にイチローにほとんど触れたことがない人が、イチローが野球選手として猛烈に上手く強くなっていき、自分の脇を猛スピードで駆け抜けていく様を見ても、『スゲー!』としか感じてなかったはずだと思う。でも愛工大名電やオリックスの選手達、先輩達というのは、相当なプレッシャーだったはずだ。

イチローの勢いに押されて努力し、上達した選手もきっといるはずだ。

先日、囲碁初心者の公認会計士の人と囲碁中級者の僕が対局した。勝つには勝ったが、手筋と言われる必殺技を決められ、あと一歩まで追いつめられて猛烈に悔しかった。そして猛烈な危機感が湧き上がってきて、それ以来ちゃんと勉強するようになった。これは師匠のスゴい技を見たときと比較しても、ライバルに負けたときの悔しい気持ちと比較しても、圧倒的に熱量の大きい危機感だった。

大人の特権は、自らの環境をある程度コントロールできること。

憧れだけでは前へ進めないことに気づいた人は、少し後ろを振り返ってみると良いかもしれない。たまに、ものすごいスピードで追いかけてくるヤツがいるので、そいつに負けないようにするだけで結構前進できるように、人間は出来ている。

やっぱり弟には負けられん!!!

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

ラオウを目指す羅王のブログ

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。