ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

囲碁初段に半年でなったその仕組みを公開しよう その2 #666

time 2015/07/07


 

※しばし自画自賛エントリ。半年で囲碁初段になったプロセスを公開します。

(超トッププロと超トッププロの棋譜をこれからトッププロになる新進気鋭の18歳プロが再現した図。解説されてもワケが分からないところがミソ。)

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目標達成を阻害する5つの敵

『囲碁初段に半年でなったその仕組みを公開しよう その1』で書いた通り、今回の結果はセンスの賜物ではなく、ひとえに仕組みの賜物であると思っている。第一、もっと仕組み化をしっかりしていれば、初段ではなく五段になったいたはずなので、その意味で達成率は20%で大不満である。

さて、目標を設定するにあたり、大体この5つの敵とどこかの段階で遭遇することになる。囲碁で書いてあるけれど、サッカーをやっている人ならサッカーに、ドラクエをやっている人ならドラクエに、セパタクローをやっている人ならセパタクローに置き換えて読んでみてほしい。

 

目標達成を阻害する敵①:飽き

超初心者のときは多くの場合、師匠と弟子という間柄ではなく、先生と生徒、いや親と赤子ぐらいの関係で指導が進む。辛いことは一切言わず、囲碁を楽しいものだと感じてもらうために、親がハイハイを始めた赤子に言うがごとく、『石が取れまちたねー、ちゅごいでちゅねー!』と褒めてもらえる。

失敗も多いが当然のごとく前進するスピードはそれを凌駕する。足し算が1ケタ目までは簡単なように、英語がアルファベットを憶えるまではシンプルなように、この段階でコケることはまずない。

しかし、超初心者を超えて初級から中級、中級から中上級、そして勿論中上級から上級になるにあたり、壁が出てくる。その壁は薄いものから厚いものまであり、薄いものであれば破るのが容易なので楽しいのだけれど、厚いものになると時間もかかるし努力も必要なので飽きてしまう。

僕はこの『飽き』という敵に対処する必要があった。そしてそれを意志の力ではなく、仕組みによって退治する必要があった。意志の力で退治しようとすると、やる気があるときは出来るしやる気がないと何もしなくなるからだ。

 

目標達成を阻害する敵②:マンネリ

囲碁のようなものは、その本質性の高さがゆえに、『囲碁大好き!』な人が書いた書籍しか書店に置いていない。また、指導者にもそのような人が多い。

結果どのような事態が起きるかというと、『有名大学の教授で、その分野では超一流だがその分野の言葉しか話せない人が、その分野のイロハすら知らない学生にその分野の専門用語をまくしたてる』といった、よく大学のキャンパスで起こっているようなことになる。

つまり、囲碁はやってる人にとっては意味も意義もあり素晴らしいものなのだけれど、やってない人から見たらそれはないよと思わざるを得ないほど難解で面白くもない参考書ばかりが並んでいる。

『囲碁やるぞぉぉぉぉぉぉ!』と意気込んでいるときは良いのだけれど、それを経て少し落ち着いたときにそういった参考書を見ると、よほどの囲碁愛を持っていない限りは、あっというまにマンネリしてしまう。そしてその囲碁愛というのは、上達してこそ育まれるものだ。なのにこのマンネリが上達を阻害している。にっちもさっちもいかない。

人間の気合いなどそうは続かない。僕はこの『マンネリ』という敵に対処する必要があった。そしてそれを意志の力ではなく、仕組みによって退治する必要があった。意志の力で退治しようとすると、やる気があるときは出来るしやる気がないと何もしなくなるからだ。

 

目標達成を阻害する敵③:不毛感

僕の師匠はアマ日本一で八段の方と、アマ七段で囲碁事業の経営者。その実力は天と地ほども違う。その師匠たちに週一ぐらいで指導いただいていたのだけれど、結局のところ最後までまるで歯が立たなかった。一対一は勿論のこと、二対一(二面打ちといって二面同時に打つ)でも、そしておそらくは十対一でも、勝てないと思う。

凡人が100人いてもビルゲイツにはなれないし羽生さんに将棋で勝てないのと同じで、囲碁のような知的労働は練度が全てを左右する。そこにある差は永遠に埋まらない気さえしてくる。

ということで、最初から最後まで圧敗が続いたわけで、いくら師匠に『今の手は三段クラスでしたね!』とか、『もうすぐ五段が見えてきましたよ!』とか、『もう初段はとうに越えてますね』とか言われても、一向にそうは思えなかった。

自分は果たして強くなってるのだろうか。前回は30目差で、今回は45目差だから、むしろ弱くなってるのではないだろうか。そんなことを思いながら打っていると、当然のことながら不毛感に苛まれることになる。

僕はこの『不毛感』という敵に対処する必要があった。そしてそれを意志の力ではなく、仕組みによって退治する必要があった。意志の力で退治しようとすると、やる気があるときは出来るしやる気がないと何もしなくなるからだ。

 

目標達成を阻害する敵④:基礎の軽視

囲碁では、『詰め碁(サッカーで言えばディフェンスみたいなもの)』、『手筋(サッカーで言えばフェイントやドリブル突破みたいなもの)』、『布石(サッカーで言えばパス回しみたいなもの)』という三つを鍛えることが、実力を高めるために必要とされている。そしてこれらは、詰め碁>手筋>布石、もしくは詰め碁>手筋=布石の順に面白くない。

特に詰め碁はなんというか地味で、かつ長期の努力を必要とするため、とても厄介だ。手筋や布石の方がはるかにスカッとする。しかし野球選手がプロになってもバットを振り続けるように、サッカー選手がプロになってもリフティングを必ずアップに取り入れるように、トップ営業マンが仕組みを極めても敢えて飛び込み営業をするように、詰め碁はプロですら必ず毎日やる基礎の極みである。

が、それと分かっていても少し上手になると、すぐに『技』を繰り出したくなる。空手で言えば『下段蹴り』よりも『変化蹴り』みたいなものを放ちたくなるし、サッカーで言えば『インサイドキック』よりも『ラボーナ』や『オーバーヘッドキック』をやりたくなる。

かの桜木花道も、レイアップが大事だとあれだけ言われていたにも関わらず、スラムダンクに手を出してしばらくその呪縛から逃れられなかった。題名が『スラムダンク』だから仕方なかっただろうし、もし『レイアップ』という名前の漫画だったら、それはそれは売れない漫画になっていただろうと思う。

僕はこの『基礎の軽視』という敵に対処する必要があった。そしてそれを意志の力ではなく、仕組みによって退治する必要があった。意志の力で退治しようとすると、やる気があるときは出来るしやる気がないと何もしなくなるからだ。

 

目標達成を阻害する敵⑤:高段者に対する畏れと恐れ

師匠たちのようなアマ八段、七段の高段者となると、一挙手一投足にオーラが漂い始める。そしてこんな人たちと打ちまくっていると、リスペクトという意味の『畏れ』はまだいいとして、無駄に『恐れ』を抱くようになる。

『この一手には十も二十も意味があるのではないか?』、『この手は甘く見えて、幾重にもはりめぐらされた罠なのではないだろうか?』

実際後から聞いてみると、打った手が明らかな間違いだったり、結構僕の手に悶絶していたり、あるいは深く考えもせずに適当に打った手があったり、ということが結構あった。しかし打っている間は彼らはそれを微塵も感じさせず、いつも100ものシミュレーションを経た後かのような自信満々の顔をしていた。

特に『段』がつく段位者になると、その思考が千里の先まで見通しているかのような錯覚を持つことがしばしばあり、それが自分の手の無駄な遠慮だったり、過度なディフェンス重視を引き起こしたりしていた。

僕はこの『高段者に対する畏れと恐れ』という敵に対処する必要があった。そしてそれを意志の力ではなく、仕組みによって退治する必要があった。意志の力で退治しようとすると、やる気があるときは出来るしやる気がないと何もしなくなるからだ。

 

以上が僕が直面した『敵』である。僕が自分でエラいと思うのは、これらの敵がいずれは出てくるであろうことを、それが起こる前から分かっていたことである。それはマラソンやトライアスロンや、勿論本業で経験したことだったからだ。

その具体的な対処方法については、次のエントリで解説する。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。