ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

不快感を感じたときに採るべき2つの真逆な方法 #670

time 2015/07/11


 

キタコレ!!!

久々にそう思った。この感覚は、2014年1月に、半年後のアイアンマン(スイム3.8km、バイク180km、ラン42km)に全くの初心者から挑戦しようと決めたとき以来の『不快感』だった。

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ある日の勉強会

尊敬する方にお誘いいただき、ある勉強会に出席させていただいた。アポがあったので遅れていくと、着いた会場はCIAの要人が出入りしてそうな異様な施設だった。歴代大統領です、みたいな人の写真が沢山貼られていて、いきなりちびりそうだった。

数ヶ月に一度の発表会だということで指定された部屋に入ってみると、そこもまた異様な光景だった。日本人がしゃべっているはずなのに、その日本語が難しくて分からない。前職のときもそうだったけれど、英語が頻繁に出てくる。そして外資系バリバリの人間が日本を国という単位で語っている。

このとき、僕は強烈な『不快感』を感じていた。

めまいがするような空間を後にして、後日もう一度同じ勉強会に出席させていただいたが、やはり感想は変わらなかった。同じく強烈な『不快感』を感じた。

そこに集まっているメンバーは、志も能力も人格もあるエリートだらけだった。次の期の候補生、つまり僕と同じ立場にある人たちともしゃべったが、外資系特有の『頭が良すぎて何しゃべってるか分からない人たち』の部類で、本当に何をしゃべっているのか半分ぐらい分からなかった。それでいて、『この人たちのしゃべっていることは間違ってない』と確信させる何かがそこにはあった。

この『不快感』は、僕が新卒で入った会社で、確かハーバードMBAを持っていたはずの役員さんが部下の人に、

『あのレポート、インザウィークに提出ね?』

とルー語としか思えない言葉で話しているのを聞いていたときに、感じたものだ。ガッデム!なんて会社に来ちまったんだ!と激しく動悸息切れを起こしたものである。養命酒を飲みたい気分になった。

今の会社に25歳で右も左も分からず入ったときに、いわゆる『エグゼクティブ』という社内ランクの人を初めて見た時も、そのなんとも言えない強烈なオーラに同じ『不快感』を感じた。

アイアンマン挑戦を決めたときもそうだった。常識的に考えて、25mを泳ぐのすら十数年ぶりのど素人が、半年碁にアイアンマンを走れる訳がない。25mはどうやっても3.8kmにはならない。参加表明はしてみたものの、完走できるとは正直思っていなかった。ずっと心のなかはモヤモヤしたままだった。

冒頭の勉強会で感じた『不快感』は、そういう類いのものだった。

 

 

『不快感』に対する2つの意思決定

1、離れる

『不快感』ということは、『合ってる』か『合ってない』かと言えば後者であるということであり、『Comfortable』か『Uncomfortable』かで言えばこれまた後者だということになる。自分の担当外、自分の守備範囲外、そういうことになる。

この『不快感』に遭遇したとき、人は2つの選択肢を採る。

1つは、『不快感』ゆえに、そこから遠ざかるという選択。明るく楽しくなければ人生に価値なんてないと僕も思うし、実際に『不快感』を感じる場が楽しいかと言えばそれは勿論そんなことはない。

僕がパチンコ屋に近づかないのは、ギャンブルに身を染める人が、その人がどんな人であれ好きになれないからだし、あるいは僕自身がそのハマりやすい性格もあって、ソッチ側に行ってしまいそうなことを懸念しているからだ。

社内でも、マイナス発言が多い人には近づかない。2年で9割が絶滅すると言われる業界なので、ちょっとでも気を抜くと、すぐに気分がマイナスになる。何もそこに拍車をかける必要はないし、なかには何の意識もなく周りにマイナスの空気を振りまく人もいるので、そういう人に対しては完全なアウトボクシングを敷いている。

自分の成長に対する阻害要因となる場や人に対する『不快感』であれば、この選択肢は限りなく正しい。合わない人と一緒にいてもしょうがないし、本当に大切なことは他に沢山ある。仕事の愚痴を言いながら仕事をしなければいけないサラシーマン諸氏は、勇気を持って撤退を視野に入れても良いのではないだろうか。

僕の友人では、意図的に会社の飲み会への出席を減らしている人が数多くいる。勿論最初は色々言われたようだが、本当に大切な飲み会と、そうではない飲み会というのは、比率的には1:9かそれ以下の割合しかないのではないだろうか。

 

2、踏み込む

2つ目は、『不快感』を感じているからこそ踏み込むというもの。僕が近年大切にしているのはこちらの考え方だ。

今回の勉強会に参加したとき、繰り返すようだけれど僕は強烈な『不快感』を感じた。それは例えるなら、

▼超サイヤ人ばかりのなかに放り込まれたときのヤムチャのような心境でもあり、

▼戸愚呂60%に『3分でこのビルをぺしゃんこにしてやろうか』と言われてガクブルってるときの浦飯幽助の心境でもあり、

▼『ベギラマ』を放っても『ベタン』を食らわせてもビクともしない竜の騎士バランに震えるポップの心境でもあった。

少なくとも快感ではなかったはず。それもそのはず。要するに自分が底で、他全員が自分以上という環境で、快感な人間などいない。僕はこれでも外では色々と言ってもらえることもあるので、感じた落差はなおのこと大きかった。

が、僕は経験上知っていた。この『不快感』は、

踏み込め!

の合図であるということを。

自分が底だということは、後は上に登るしかない。『不快感』がそのうち何も感じなくなり、そして快感に変わる頃には、100倍重力を克服した悟空のように今よりずっと強くなっているはず。そしてその力が手に入った暁には、目指している『30年後に娘たちが子育てをする時代に今よりもっと良い日本を残したい』という途方も無い野望に、そうではない場合と比べてずっと近づくことができるはず。

『不快感』と同時に感じたのは、自分のなかの『踏み込めセンサー』が反応しているってこと。ピコンピコン鳴るウルトラマンのタイマーみたいな音だった。勿論、ウルトラマンと同じで3分でその場から逃げ出したくなった。

 

振り返って、『不快感』を感じて、しかしそれでも踏み込むべしとカラダが反応しているときに踏み込んできたことに関しては、その全てが大きく自分を成長させてくれた。前職に就職を決めたときも、今の仕事に転職したときも、その後数々の出逢いにおいても、マラソンやトライアスロンや囲碁においても、全部そうだった。

逆に、このセンサーが反応しているにも関わらず撤退したことも数多くあった。そういう場合は後で思い出したときに、『やっときゃ良かった』と後悔するという末路でエピローグが統一されている。『不快感』から遠ざかったのはメンタル上は良かったかもしれないが、現状が何も変わらないというさらに大きな『不快感』に苛まれることになった。

やはり、筋肉痛を伴わなければ筋肉を鍛えることは出来ないのである。

さて、今回の強烈過ぎる『不快感』に対しては、とりあえず踏み込んでみることにした。で、3年後ぐらいに振り返ってどうなるのだろう?ていうのが、ちょっと楽しみだ。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。