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退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

思考と偏見は現実化する #674

time 2015/07/15


思考と偏見は現実化する

とナポレオン・ヒルは言ったとか言わなかったとか。

ランチーム『アドミラル』を卒業したコードネーム『ハラル(イスラム教ではなく無宗教、強いて言えば偏執狂)』の卒業式でのひとコマ。

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彼の想い出プレゼンには、散々世話もアドバイスもしたはずの僕の名はなく、どこかで見たことのある名が記載されていて軽くショックだった。『惜しい!』と思わず唸ってしまった。ハラルは『惜しい漢』として、仲間内で認識されている。

 

そのハラルのプレゼンを準備しているときの、コードネーム『熊』がやらかしたときのひとコマ。5分ぐらいの間に3回ぐらい、セットした台が折れてプロジェクターが落下した。セット係の熊がまごまごとまごついていた。赤いTシャツを着た師匠は、腕を不必要なほどムキムキにして怒っていた。熊は、仲間内で『常にまごついている漢』として認識されている。

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ハラルはいつも『惜しい』、熊は常に『まごついている』というのが仲間内の共通認識なのだけれど、不思議なことにここまで共通認識が出来上がると、何が何でも彼らの行動の全てがそういうふうに見えてくる。

ハラルはここ最近で言うと、

▼フルマラソンサブ4.5(4時間半切り)を鮨を賭けて宣言していて、4時間34分ぐらいだったのでメンバーにオゴることになった。惜しかった。

▼サブ4(4時間切り)を宣言していて、4時間8秒だった。サブ4まであと9秒だった。とても惜しかった。

▼にも関わらず、チームメンバーのコードネーム『ザック』が、サブ3.5(3時間半切り)まであと8秒をたたき出していて、その惜しさの面でも二番煎じ過ぎて超惜しかった。

▼卒業式の最後のコメントで、チームの名前は『アドミラル』であるにもかかわらず、『アドミラリの皆さん、ありがとうございました!』と言っていた。惜しかった。

▼好みのタイプの女性を聞かれて、『理解力のある人がいいですね!』と笑顔で答えていて、なんだか惜しかった。

▼野辺山ウルトラマラソンでも、100km14時間の制限時間を14時間5分で完走し、完走証をもらえなかった。僕すら泣くほど惜しかった。

▼意を決して一部上場企業を退職しミヤンマーへ旅立ったが、既に仲間内の一人が1年前にミヤンマーに旅立っていてとても惜しかった。

 

熊はここ最近で言うと、

▼たまにしかフェースブックで反応を見せないので、普段からまごついているように思われていた。

▼何か話題を振ったときに必ず2秒ぐらい間が空くので、まごついているように見えた。

▼柴又100kmウルトラマラソンに出場したが、一緒に出るはずだったコードネーム『教官』がドタキャンとなった。しかし原因は、『熊がまごついて教官が嫌気が差したから』と仲間内では噂されていた。

▼『猪八戒』という、かなり旨い中華屋さんが千駄ヶ谷にあるが、付近をトライアスロンの練習でしょっちゅううろうろしていた僕たちは、しかし猪八戒を発見したのはだいぶ時間が経ってからだった。猪八戒との邂逅が遅れたのは、熊がまごついていたせいにされた。

▼何かアンケートを採るとき、コードネーム『兄さん』やコードネーム『仙人』からのレスがないと、彼らは仕事で忙しいのだろうと皆思っていた。熊からのレスがないと、熊自身は忙しい時期なのにも関わらず、家で寝ながらまごついているはずと皆思っていた。

 

このように、偏見にまみれた思考は仲間内での現実を作り出していた。ハラルは常に惜しく、熊は常にまごついていた。『現実は、人々がこうだと信じる世界観のことである』、と定義した人がいたが、本当にそうだ。

この現象から学べることはなんだろう?

一つ言えるとしたら、

正しい偏見を持てば、世界の見え方が変わる

ということではないかと思う。

『事実は一つ、解釈は無数』と言われるが、見ている本人にとっては事実と現実はイコールであり、立場によって見ている事実すら、いかような姿にも変わるということだ。

先日あるトピックについて、熊は30分間に渡り見事すぎるプレゼンをカマしたが、それに関してすら、『ああ、冬眠してまごつきながらパワー溜めたんだね。今日発散したんだね。また寝るんだね。』と思ってしまった人間が数人はいた。

さておき、正しい偏見とは、すなわち、

▼起きていることは全て自分に責任がある。

▼起きていること、出逢う人全てに感謝!

▼生まれてきただけで幸せだ。

▼子どもがどんな子であろうと、生まれてきてくれてありがとう。

▼今も昔も自分は幸せだ!

▼自分には何でもできる!

▼全ての出来事はネタである。

といった、思い込みのことである。

例えば最後の、『全ての出来事はネタである。』という正しい偏見を持っていれば、よほどのことが起きても、それをブログネタにするなどして価値ある方向に舵を切ることが出来る。それが例え、

う◯こを漏らした話だとしても、

う◯こを漏らしたことに10時間気づかなかった話だとしても、

う◯こを漏らしたことに10時間気づかなかった話が25歳のときに起きた話だとしても、

う◯こを漏らしたことに10時間気づかなかった話が25歳のときに起きた話で、当初はそのクサさに周りの人間(インド人)を疑ってつかみかからんばかりの勢いで臭いを嗅いだけど数回それを繰り返した後に自分の過ちに気づいた話だとしても、

全部ネタに出来るのである。決して、う◯こを漏らすなんて人間失格だ、とか、25歳でやらかすなんて死んだ方がいい、とはならない。それは、『全ての出来事はネタである。』という正しい偏見を持っているからだ。

正しい偏見を持っていると、何が起きても少しでもヘルシーな方向に物事を解釈することができる。『この子は俺のことが好きなんだ』と思い込んでいると、『いやよいやよも好きのうち』に見えてくるというアレだ。

ハラルは惜しく、熊はまごついているけれど、この両者への歪んだ偏見は別として、正しい偏見を持って生きていきたいと思う今日この頃。そうでもないと、戦争法案反対だの、国立競技場2520億円てどうなのだの、ベビーカーを満員電車に乗せるママは非常識なのかなど、アホかと思うような話が多すぎて疲れるだけな気がしている。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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