ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

『プロの仕事』の忘れられがちな構成要素について #680

time 2015/07/21


 

 

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昔、シャイボーイ世界選手権第52位の僕が、飛び込み営業をしてみたことがある。他にやることがなくて仕方なくやったのだけれど、やはりシャイボーイなのでうまく話すことは出来なかった。

ある美容室に飛び込んだときのこと。店長さんの話で、興味深いことを聞くことが出来た。『どんな相手であれ、健全な興味を持って話を聞くこと』とか、『出来る営業は話すのが2割、聞くのが8割』といった格言だけは知っていたため、愚直にそれを試みようとしているときの出来事だった。

 

僕:『店長は髪のプロですよね?お客さんは素人ですよね?』

店長:『もちろんそうです。』

僕:『好みの問題もあると思うんですが、例えば店長はプロとしてこれでよしと思ってるのに、お客さんがもっとこうしたいって言う場合、あると思うんです。』

店長:『ありますね。』

僕:『でもそのお客さんの言うことを真に受けてやっちゃったら、プロとして見たときに変になるし、そのお客さんも帰ってからそれが間違いだったことに気づいたり、髪が足りなくて再現不可能で困ったりすることってないんですか?そういう場合、どうするんですか?』

店長:『よくあります。そういう場合は、切るフリをします。もうちょっと切って、と言われたら、もうちょっと切るフリをする。ハサミを鳴らして、髪を梳く感じにするんです。』

僕:『お客さんはどう反応するんですか?』

店長:『切ってもらったと錯覚するので、納得します。切りたいと言ってるだけで、本当は自分の要望を容れてもらったことに満足されるんです。』

僕:『切ってないことに気づかないんですか?』

店長:『本人のなかでは切ったことになってますね。プロが見てこれがこの人にとって一番良い、という形を保ったまま、納得してもらうことができます。』

僕がこの店長のスゴさに気づくのは、実はもう少し後になってからのことである。このときはただ、『切ったフリして切らないんかい!』と思っただけだった。本当の『プロの仕事』というものの片鱗を見せてもらったことに、やっと最近気づくことができた。

 

『プロの仕事』という響きには、一義的な強さがある。スピードと品質を兼ね備えた、完成された姿だ。鮨職人やデザイナーなどがイメージとして浮かぶ。

僕の想像する美容室における『プロの仕事』とは、当時流行ったカリスマ美容師のように、ただ一心不乱に髪を切り、数々のハサミを使い分けて華麗な技を駆使し、女性を綺麗にしていくことに命を懸けるという人たちの姿だった。

しかしこの店長の話を聞いて、それだけでは『プロの仕事』は完成せず、むしろ片手落ちの『陥穽』にハマってしまうのではないかと思うようになった。

この店長は、『顧客の心からの納得』という点に、気を配っていた。『もうちょい切って』と言われて、『いや、これで完成なのでこの方がいいですよ。』とは言わなかった。『切ってもいいですけど、バランス崩れるんですよねー』とも言わなかった。

顧客のプライドを満たしつつ、顧客が納得する形で商品(=髪を切る)を提供する、ということをきちんとやっていた。

考えてみれば当たり前のことなのかもしれないけれど、この配慮を以て、『プロの仕事』はようやく完成するのだと思い知らされた。技術をプロとして磨くだけではいけない。それをデリバリーすることも考えて、デリバリーされる側の気持ちのことも考えてこその『プロの仕事』。

技術の伴っている人こそ、そこで仕事が完結してしまってる例は非常に多い。ある顧客の元に伺った際に、名の知れた会計事務所から提案された完璧なデータに基づいた膨大なファイルがあった。しかし、それをどう活かせば良いのか、顧客には伝えられていないようだった。

『プロ』を自認する人のうち、技術に自信のある人は特に、こういう点には注意しなければならない。

 

そんなことを学ぶことが出来た飛び込み営業は、しかしシャイボーイの熱意が続かず、その1件で終った。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。