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(Source:日本のいちばん長い日公式HP
今日は『8.15』。考えようによっては3.11(=東北大震災)よりも8.6や8.9(=原子爆弾投下日)よりも9.15(=僕の誕生日) よりも大事な日かもしれない。
日本の歴史が変わった日。日本が絶望の中から一歩を踏み出し始めた日。
安倍首相も談話で触れていたように、僕たちの国では戦後生まれが8割を超える。学ぶ側が戦後生まれなら、教える側も戦後生まれのこの国で、戦争というものをきちんと見つめるということは、ものすごく難しいことになりつつあると感じている。
現代人の立場であの時代に思いを馳せるには、如何ともしがたい限界のようなものがある。70年という時の経過は、あれほどの被害を与えたり被った戦争というものの記憶も記録も風化させるのに、大変無念ながら十分過ぎる時間があったように思う。
『事実は一つ、解釈は無数』という格言がこれほど当てはまる事象もない。起きた事実は一つのはずなのに、その解釈を巡ってここまで人は争えるものなのかと思ってしまう。頭の悪い人同士の単純なののしり合いならまだしも、国のトップを担うような人たちが、たった一つの事実の解釈を巡って、膨大な時間と労力をかけて言い争う。そして時に人が死ぬ。
戦争を考えるとは、本当に難しいものだと思う。
 
僕自身は、被爆した祖母を持ち、戦地で戦った祖父を持つ身にも関わらず、大変恥ずかしいことに成人してすらしばらくは戦争というものに全く興味を持っていなかった。
今が楽しければそれでいいじゃん、という、今だったら殴り飛ばしてしまいそうな何も考えていない20代を送っていた。
しかし、こんな僕が結婚したり、娘たちが生まれたり、震災というものを微細な被害ながら経験したことにより、自分たちの暮らす日本の将来というものに関して、本当に少しずつだけれど考えるようになってきたのがここ数年の話。
なので、この数年は3月11日には3.11の日のことを、8月6日や9日には8.6や8.9の日のことを、8月15日には8.15の日のことを、少しでもいいから考えるようにしている。
知識もないし、勿論経験はしてないし、遥か昔の、僕にとっては織田信長や豊臣秀吉が京都を目指した話と大差ないほど遠くの出来事なのだけれど、それでも少しでも遅まきながらも知ろうと最近は努力している。
最低でも、年に何度かはそういう機会を設けようと思っている。
世代を隔てすぎた僕たちが出来ることは、そんなに多くはない。でも、知っていることが大事なのではなくて、知ろうとすることが大事なのだと思う。その意味では、ネットに様々な記事がアップされているのはとてもありがたい。
まだ結論は出ていないけれど、参考になるものから全くならない罵詈雑言めいたものまで、そういう考え方の人がいるということを知ることが出来るだけでも、ありがたい。
 
僕はと言えば、被爆と戦場で戦争を直に経験した人間の孫として、少しでも具体的なイメージをもつべく、数日前に先行してこの映画を見て8月15日を迎えることにした。
『日本でいちばん長い日』は、昔の僕なら絶対に見ない映画だった。今の僕なら、絶対に見る映画だと言える。
感想はというと、あくまで映画だということと、あくまで自分のなかでの戦争の咀嚼のための参考のために観たということがあるため、『ああそうか、そういうことがあったんだ』ということを思うに留まった。これで何か考え方が劇的に変わったわけではない。
ただ一つ、思ったことがある。これは、過去には感じたことのない感想だった。勿論、映画でのことというのは分かっているけれど、きっとこの点に関してだけは、映画も史実も変わらなかったことだろうと思う。
僕が思ったこと。それは、

誰もが真剣だったんだ

ということ。
具体的な描写は映画を見ていただくとして、昭和天皇、政府、あるいはいち軍人やいち家族に至るまで、全員が真剣に生きていた。
現時点での稚拙な知識からしか持ち得ない感想だけれど、僕は当時の政府が正しかったとは思わない。軍部のトップ層、特に陸軍の高官の意思決定は終わってるとも思う。クーデターをして本土決戦を主張しようとした若者たちの暴走には、頬をひっぱたきたくなる。
それでも、戦場で実際に戦っていた将兵や、貧困に喘いでいた一般市民はもとより、意思決定が緩慢に見えた政府も意思決定が明らかに間違っているように見えた軍部も、一部の狂乱したようにしか見えない若者やマスコミも、一様に己が信じる未来のために真剣に頑張っていたことはよく分かった。
本当に、この点だけは僕が考えたこともない視点だった。真剣じゃないヤツは一人もいなかった。比較的生活に余裕のある上層部でも、誰もが真剣だった。
陸軍の暴走を抑えようと、あえて決断を遅らせに遅らせた阿南陸相置かれた境遇には、トップの難しさというものをまざまざと見せつけられた思いだった。
 
少し前の話になるけれど、某巨大国産電気会社の社長が、業績低迷の理由を、『社員が働かないからだ』と言って大炎上した。こいつはバカなのか?と、軽はずみな発言が揶揄されることおびただしかった。
政治家はネットの広まりもあり、最近は失言を過度にクローズアップされてしまう。『女性は生む機械』と言ってしまったり、口汚く発した野次がバレたり。基本的に税金で食ってるはずの彼らは、何かあるとすぐに『税金にタカるヤツら』として袋だたきにされている。
新橋あたりのサラリーマンの常套句は、『ウチのトップは全然分かってない。』だ。自分(中間管理職とかその下ぐらいの中堅)は現場を分かっている。だから問題点も解決策も分かっている。そしてウチのトップはそういう現場の意見を分かっていない。言いたいのはこんなところだろう。
僕は以前、これら3つの話に、心から賛成する立場だった。そんな発言をする会社の社長はバカだし、政治家は税金に巣食う寄生虫だし、そういえば僕自身が『ウチのトップも分かっていない』、と思っていた。
しかし今回の映画を見て、そうではないのかもしれないと思うようになった。少なくとも、怠惰や無精でそういう発言や行動に出ているわけではないのではないかと思った。
社長にしても政治家にしても、今回の映画で出てきた政府首脳や軍部トップの人にしても、全員が全員、真剣に物事に取り組みながら生きているのではないか。そんなふうに思った。
それでもなお、後から見れば明らかに間違っている意思決定をしてしまうこともある。そういう部分はジャーナリズムや各種選挙といった監視機能を持たせたり、そもそも意思決定者が自身で教養や道徳を身につけていく他ないのだけれど、少なくとも『豪邸にふんぞり返りながら何の真剣味もなく大事な意思決定を間違った方にしている』のだけはないと、そう確信するに至った。
怠惰や無精が常態化している人であれば、少なくともトップには行けない。真剣なことだけは、そしてそれなりの能力もあることだけは確かなはずだ。
僕のような一般人が、縁あって偉人たちの会議に出席させてもらったことがある。今思い出したけれど、そこで出た結論は、僕が一瞬で導きだせるような、とても立派とは言えない程度のものだった。しかし、そこにいた人たちは、その結論にたどり着くためだけに、6時間も7時間も業務を中断させて真剣に話をしていた。
 
真剣に生きているのは、何も自分だけではない。恐らくはみんな自分なりに真剣なんだろう。そしてその真剣さが、時に悲劇を引き起こすということを、僕はこの映画で学ぶことが出来た。怠惰や無精ではない。そんなのは可愛い程度の振れ幅しか、物事に作用しない。
本当に危ないのは、真剣かつ方向性が間違っているときだ。すべての不運が重なり合って、あの戦争は発生し、原爆が落とされ、日本は敗戦した。そういう悲劇は二度と起こしてはならない。
これから、2つのことを胸に刻んで生きていこうと思う。
1つ。真剣じゃない人間などいない。怠惰に見えても、それはきっとそうではない。だからその点を批判するのはお門違いになる可能性が高いということは覚悟しておかねばならない。
2つ。真剣だからこそ、人間は正しいこともするし、あるいは間違った方向に行ってしまうこともある。真剣さは、正しさと直結しない。だから、いつも気をつける。
そんなことを感じた、8.15だった。
P.S 僕は僕なりに戦争のことを消化したいので、右寄り左寄り真ん中よりなんでも良いので、おすすめ書籍がありましたら教えてくださる方ぼしゅうちゅう。ただし、ヘイトスピーチ的な文体のものを除く。
P.S この日を迎えるにあたり、犠牲となられた全ての方々に心からの哀悼の意を捧げ、また現在の日本を作り上げていただいてきた全ての先人の皆様に、深く感謝いたします。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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