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お客様と待ち合わせで原宿の街を歩いていたら、やたらと混んでいるように見えた。向こうから人がバンバン歩いてくる。僕はリオネル・メッシのように細かいステップを踏みながら、向かってくる通行人たちを避けなければならなかった。
見事なステップのおかげで、紙一重というところで肩も荷物もぶつからずに避け続けることが出来た。82kgのもやし体型だし、絡まれたらごめんなさいするしかないのでドキドキしていた。カツアゲされてもいいようにお財布には手を伸ばしつつ歩いていた。前職でも謝り侍な仕事をしていたし、そこは得意だ。
下の方を向いて歩いていたこともあるけれど、歩いても歩いても向こうから人がやってくるので、一体どんだけ原宿は混んでるんだ!と怒りの眼差しで通りを見渡してみた。
 

フツーに空いてた。

大して人は多くなかった。

人の流れに逆流してただけだった。

 
考えてみれば当たり前なのだけれど、向こうから歩いてくる人の歩く速度と僕の歩く速度が合わさるため、混雑した人の波に押されまくっているような感覚になる。反対側(つまり僕が歩いている方向と同方向の流れ)に出てみたら、全然フツーの人の量だった。
 
逆境は、人生において成長するために必要不可欠なものだということは、35年近く生きてくればなんとなく分かる。僕自身、この数年は意図的にそういう逆境、もしくはチャレンジングな環境を生活のなかに組み込んできた。
これが長ずると、『逆境カモン!』、『また来やがったか逆境め!』、『今度はどう料理してくれようか』などと思えるようになるらしい。なんとなくその気持ちは分かる。
ただ今回の原宿で感じたのは、人によっては

不要な逆境を自らの不注意で生み出してやしないか

という可能性の有無について。
 
避けようが無い天災や病気などの逆境はしょうがない。気が狂ったとしか思えない他人による人災もある程度しょうがない。過去と他人は他人は変えられない。
けれど、今回の僕のように、わざわざ食らう必要のない逆境を食らってる人って結構いるんじゃないだろうか。人が向こうから歩いてくる流れに逆らって歩いていれば、そりゃ人とぶつかる確率は高くなる。ペルーの首都リマやインカ帝国の首都クスコは僕にとっては素敵で安全な街だけれど、それも夜に1人で狭い路地を歩いていたらどうなっていたか分からない。
よほど習熟している人は別として、僕のようなそう大したことのない自転車乗りであれば、下りではブレーキに手を添えて走るのがいいだろう。それをせずに事故って『全身骨折からの生還、そして完走!』とか言っても、その逆境は要らない。
数十年に渡るタバコや酒で体調を崩し、それで闘病生活を頑張っていますと言われても、それは自己責任どころか、『責任事故』なのでは?と思ってしまう。
 
なんてコトを考えながら、そういえば僕は相対的に安泰のサラリーマン生活をしていれば良かったものを、2年で9割が退出すると言われる保険業界に身を10年も置いているのだった。よく考えたら経験した逆境はほとんど自分の生み出したものだった。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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