ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

任天堂の元社長が遺したものについて思ふこと #711

time 2015/08/21


game-console-63063_1280

任天堂のレジェンド、岩田元社長が亡くなって1ヶ月と少し。

日経ビジネスオンラインの記事、『任天堂・岩田さんが遺した本当の功績』を読んだ。

マリオやスーファミに大変お世話になった身としては、任天堂がなぜスマホ全盛のこの時代に流れに乗り遅れたのかの『本当の理由』が分かって、大変失礼ながらなにやら『嬉しい気持ち』になった。

詳細はお読みいただきたいが、任天堂は良い会社だと思う。守るべき価値観を守って流血をした任天堂は、素晴らしいと思う。企業なので頑張ってもほしいけど。岩田元社長には心からご冥福をお祈りします。この記事自体、ゲーム最盛期に生きた皆様は必読。

そんななか、よくよく読むとこんな記述があった。

ソーシャルゲームのブームとスマホ向けゲームアプリのブームは別

世界的には多数から少額の課金を得るタイプのゲームが定着してきており、任天堂もその方向を目指す

従前から否定してきた「少数から多額の課金を得るタイプのゲーム」、すなわちソーシャルゲームの方向には(任天堂は)行かない、と明言した

つまり、ソーシャルゲームは『少数から多額の課金を得るゲーム』であり、スマホ向けゲームアプリは(ややこしいのでスマホゲームとする)『多数から少額の課金を得るゲーム』であるとしている。

この区分けは新鮮だった。

僕はいままであまりこの業界に詳しくなく、『コンプガチャ問題』などを見るにつけざくっとまとめて『携帯ゲームをやってる会社は悪だ』ぐらいに思っていた。

隙間時間に容易に侵入してくる携帯ゲームは、そもそも生産性や成果主義の概念の決して多くはないであろう人たちの限られた収入を、意味のないことに投下させているように思えたからだ。(偏見を承知で言えば、BOPビジネスであるとすら思っていた。)

一方で、過去に相当なゲーマーだった時代もあり、ゲームそのものに対する偏見というのはほとんどない。

ドラクエやFFのBGMを聞くと未だに胸の鼓動が速くなるし、こういうどのビジネス本にも劣らない素晴らしい本を書く人もゲーム業界にいる。

 

だから不思議なことに、『ゲームは好きだけど携帯ゲームは悪』という不思議な価値観が僕のなかに混在していたことになる。ゲームをやっていた自分も、その時代のゲームも肯定しているのに、携帯ゲームだけはそれを開発している会社も、やっている人も全否定、という不思議な状態になっていた。

そういった極端かつ矛盾を含む価値観をゲームに対して持つなかで、今回のような(この区分けが乱暴と思う人もいるかもだけど)

ソーシャルゲーム=『少数から多額の課金を得るゲーム』

スマホゲーム=『多数から少額の課金を得るゲーム』

という区分けが僕のなかで初めてされて、非常にすっきりした。そうだ、僕はゲーム全体を否定しているわけではない。あくまで、(ソーシャルとひとくくりにするかは別としても)『少数から多額の課金を得るゲーム』が作ってる側も、それにハマる側も嫌いなだけなのだ。

『携帯ゲーム』が嫌いなのではなく、『ソーシャルゲーム』が嫌いなのだ。ゲーム機でドラクエをやっていた以上、スマホでドラクエをやることは何の問題もない。けれど、そのドラクエが『勇者の剣は20000ゴールドだけど、現実世界の5000円を追加すると10000ゴールドになるよ』とか言い始めたら、たぶん嫌いになると思う。

 

今回の僕の事例のように、物事を大きく切り取りすぎて『好き』、『嫌い』、『正しい』、『間違ってる』という判断を下してしまうことは、意外と多い。

『戦争が間違ってる』という意見にしても、それは間違いなくその通りなのだけれど、例えば、かの国が物理的に侵攻してきたときに国民を守るために戦うのは、やはり僕は正しいことだと思う。そういう意味では、『完全に自衛のための戦争』は間違ってるとは言い切れないし、国際的にも承認されている。(勿論、その『自衛』を拡大解釈しすぎてはいけない)

逆にイチロー選手が何かモノを言えば、全部正しいように聞こえてしまうけれど、実はそんなことはないんじゃないかと思う場面もいくつかある。代表的なのは『昼食はカレーしか食べない』というあの習慣。夫人としてはたまったものではないのじゃないかと僕は思う。(最近はやめたらしい)

今回の岩田元社長の記事にしてもそう。故人を偲ぶ意識から、業績を残した人に関しては結構な礼賛傾向にあると思う。けれど、実際問題は記事にも書いてある通り、この数年は赤字続きで、会社としてあり得ないレベルまで落ち込んでいたのは事実だ。

生きていれば、経営者としての責任は相応に問われたのではないかと思う。株主というのは、守るべき文化を守ればそれでいいという甘い集団ではない。

 

僕は大きな物事を小さく噛み砕く作業を『因数分解』と呼んでいる。数学では因数分解は全く出来ない。現実世界では極力因数分解して自分の価値観が原理原則に合うように少なからず努力しているつもり。

『嫌い』なものは因数分解すれば少し好きな部分も見つけられる。『間違ってる』と思えるものは、因数分解すれば少しそういう見方もあるのかなと思えてくる。

『好き』なものは、比較的そのままにしている。『正しい』と思ってるものについては、因数分解するとそれに盲従することがなくなる。

ああ、そうそう。とはいえ、こじはるは何しても可愛い。因数分解など不要だ。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

家族とか教育とかの話

ラオウを目指す羅王のブログ

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。