ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

ある日のザギンでの出来事 #712

time 2015/08/22


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『満員電車にベビーカーを乗せると白い目で見られる』という話がある。

僕は平時に優先席に絶対に座らないし、普通席に座っていても、目の前に妙齢女性が立ったときは、必ずその鞄に例の妊娠中を示すアクセサリーが付いてないかチェックして、付いていた場合は席を譲るようにしている。

なので満員電車にベビーカーが乗っていてもなんとも思わない。ほとんどの親御さんは子どもの大声を抑えようと思って必死なのも知ってるから、多少子どもがうるさくても微笑ましく見ている。

クソ忙しいのに!と思う気持ちも分かるし、1分でも前の電車に乗りたい気持ちも分からないではないが、まぁ心の中の天秤は、困った顔をしながらベビーカーを乗せてるお母さんや、無邪気な顔をして横たわってる子どもの方を向いていると思う。

なんてことを思っていたある日、家族で銀座に行った。

奥さんと長女がカラオケに行きたいというので、僕はぐーぐー寝てる新生児を抱っこ紐に入れて、ちょっと大きめのベビーカーとともにバス乗り場に向かった。先に家に帰ろうと思ったのだ。

乗ったバスはあろうことか見たことないぐらい満員になってしまった。銀座から乗り入れた人がとても多かった。僕のベビーカーと、もう1人車いすの方がいたため、車内は僕とその方の『せい』で、あと7人ぐらい乗れるところを、その人数で満杯になってしまった。

人が降りるたびにベビーカーを動かす必要があり、しかし満員の車内でそんなことができるはずもなく、文句を言ってくる人はいなかったが、視線は少なくとも心地よいものではなかった。すいませんすいませんと言うしかなかった。

僕は、とても肩身の狭い思いをした。ああそうか、これが満員電車にベビーカーを持ち込む人の気持ちなのか、と思った。誰かが味方をしてくれる雰囲気があれば、とても助かるなと思った。今度から僕はそういう側に立とうと思った。

 

さて、話は少し戻る。バス停でバスを待っていたときに、先に登場した車いすの女性が、男性に押されてバス停にやってきた。男性は60代中盤〜後半、女性は80代後半〜90代前半のように見えた。恐らくは親子だろう。

少し疲れた雰囲気の男性は、車いすを押してバス停までやってきた。暑いので疲れているのかな、と思った。パッと見だと子が親を献身的に介護しているふうにも見えて、温かい気持ちになりかけたのだけれど、その思いは次の瞬間に吹き飛んだ。

『痛い痛い痛い!痛いって言ってんでしょ!何回言ったら◯×△#$%!!!』

小柄なカラダにしては全く似つかわしくない大声で女性が叫び始めた。車椅子はどこにもぶつかっていなかったが、柱には少しだけ触れたように見えた。それに反応したのかもしれない。バス停に並んでいた人たちは、みんなその声の大きさ、金切り声とでも言うべき声にびっくりしていた。

その後も、なんだか終ったことをずーっと責め続けていたように見えた。男性は頭を垂れながら、ひたすら献身的に対応していた。

 

バスが来た。『ご乗車の方はお待ちください。』と乗せてくれなかったので何かと思ったら、運転手さんが一生懸命台を敷いて、車いすの女性を乗せようとしていた。その運転手さんはそういった対応にあまり馴れていないらしく、少しだけまごついていた。

運転手さんが女性の車いすを押そうとしたときに、こう聞こえた。

『なにやってんのよ、早くしなさいよ。』

少なくとも、御礼を言っているふうには見えなかった。運転手さんは平身低頭しながら、車いすを押してバスに乗せてあげてた。

並んでいた乗客は、『な、なんなんだこのBBA』という顔で見ていた。僕も大変失礼ながら、それに近い感情を持ってしまった。

 

僕が見たのはほんの一場面かもしれない。この親子(のように見えたからそういう前提にしておく)には彼らなりの関係性があったのかもしれない。特殊な事情があって、ご機嫌が斜め80度ぐらいだったのかもしれない。高齢者には優しく、というのは、社会共通の認識として保持し、いかなる事態に対しても寛容であるべきなのかもしれない。

が、そういうことを差し引いても、僕はこの光景にプラスの感情を抱くことは全く出来なかった。男性が疲れている原因がよく分かる、そんな光景が2分ほどの間に2回もあった。他の時間を切り取ってみたとしても、類似の光景が見てとれるだろうと確信できた。

高齢者が全て頑固で自分勝手だ、なんてことは言わない。巷では『老害』なる言い方で高齢者に迷惑を被った事例が出回っているが、そんなことをする人というのは、相対的にごく少数のはずだと信じている。迷惑をかける人というのは、子どもは勿論、おっさんでもおばさんでもお兄さんでもお姉さんでも、一定数いる。

僕が知っているある企業の重役は、もたつくタクシーの運転手さんに対して後ろからシートに蹴りを入れていた。そういう人間は残念ながら存在するし、その人間はまだ40代前半だった。何も高齢者だけとは限らない。

ただ、歳を取るにつれて、よからぬ方向に凝り固まっていくという可能性については、恐らくその通りだと思う。この女性も、恐らくは自分が決して好ましくないことを対応を息子や手伝ってくれた運転手さんにしてるとは、思っていないと思われる。

気づかない人というのは、まさに気づかないからこそその修正がいつまでもなされない。その典型的な事例を目の前で見た気がした。

僕はかねてから、自分の鼻を定期的に折ることに結構な時間と労力を割いている。人間というのは、気をつけているつもりでも、知らず知らずのうちに傲慢になっていたりするものである。だからこそ定期的に、意識して自分の鼻を折るということはとても大事だと僕は思っている。

出来ないことをやってみる、年下の師匠を持つ、自分以上の能力の人間に接する、たまには惨敗してみる。

そういったことをやることによって、少なくとも5cm以上伸びた鼻は例外なく折れるようにしている。

 

たぶん、この女性が変わることはもうない。人生いつからでも遅くはない!といっても、さすがにもう遅過ぎると思われる。大事なことに気づかないまま遠くないうちにこの世を去るであろう女性を、なんだか可哀想な気持ちで見ている自分がいた。

数時間後、長女とプールに行き、帰り際に受付の人に、『ありがとうございました!たのしかったです!』と言っている娘を見て、少し嬉しい気持ちになった。

気持ちがマイナスとプラスのどちらにもそこそこ揺れた一日だった。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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