ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

一番良い試合結果は、『惜敗』である #714 

time 2015/08/24


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スポーツにしろ勉強にしろ、いわゆる『試合』というものに出ないと、基本的には上達しない。僕はテニスをしていた頃、練習はかなりの強さを誇ったが、試合ではかなりの弱さを誇った。練習と試合は全く別ものなのだということが、よく分かった。

が、試合に出ると、勝ち負けがはっきりする。勝ちはいいけど負けはいやだ。みんなそう思っている。僕も負けるのはいやだ。もっと言えば、試合の緊張感がイヤだ。だけど、それを乗り越えないと勝ったときの喜びは得られないし、勝ち続けることなんて出来ないのだから、負けも甘受しなければいけない。

最近、囲碁初段に合格してから、目標を『五段』に上方修正した。というか当初言っていた目標に戻っただけなのだけれど、浮ついた目標ではなく現実的な目標として、自分のなかで再定義した。

そうなると求められるのが、『初段の強さから五段の強さになる』という、至極シンプルなミッションだ。詰め碁や手筋、布石や定石といった基本ワザを、神経レベルでいつでも繰り出せるようにしなければならない。

単純に今は課題だらけ、穴だらけなので、長所を伸ばすというよりはボコボコの弱点を一生懸命埋めている最中だ。

強くなるには、自分のなかでPDCAを回さないといけない。落ちた陥穽には二度とハマらないようにし、同じミスをしないように修正する。

さて、ネット対局を何百と積み上げて築いたことがある。それは、勝ち方、負け方によって、PDCAの回り具合、自分の成長度合いが異なるということだ。

気分的には大きく次のように分けられる。

①圧勝

②圧敗

③惜勝

④惜敗

①の圧勝の戦いというのは、つまりは格下との対局が多くなる。必然、相手が明らかに大きなミスをしたりするので、原因は相手にある。しかし圧勝の場合は、後でふと気づく。何も得たものがなかったことに。

②の圧敗の戦いというのは、心が折れる。大体は高段者との戦いでこういう目に遭うのだけれど、もう10手ぐらい打ったぐらいから敗色濃厚で、途中で勝負の手に出るのだけれどそれは大体無理な手で、真綿でじわじわと首を締められるように追いつめられていき、最後は降参となる。原因は自分にあるのは明白だけれど、課題がありすぎてどれから手を付けて良いか分からなくなる。

③の惜勝は、少し厄介だ。惜勝は対等もしくは若干自分より強い相手との対局において起こる。ギリギリで勝つのだから、それはそれは嬉しい。『俺は強い!』という湘北ばりの気分になる。が、問題は、この気分が何よりも優先されてしまうということ。その感情をしばし味わいたくなるので、いちいち現実に戻って振り返ることなど、したくなくなる。人間、気分が良いときに水をさされたくない。

④の惜敗。これが本日の最重要ポイント。惜敗すると、当然のことながら悔しい。勝っていてもおかしくない試合に負けるということだから、なおのこと悔しい。レベルにも因るけれど、当然自分にミスがあって惜敗したわけである。大体は、『あ〜!この手が敗着(負けが決定した手)だったか!』と気づくことができる。

その手は一手そのものが無理だったかもしれないし、あるいはその兆候を見逃していたのかもしれない。いずれにしろ、問題点ははっきりする。勿論、問題点、課題など腐るほどある。しかし、この時大事なのは、ある一つのミス、一つの分岐点が、自分のなかでしっかりクローズアップされることなのだ。

多くの問題点を発見し、羅列するのが良いこともある。しかしこと自分の成長にフォーカスするときは、とにかく1試合につき1つだけでもいいから徹底的にミスを研究し、二度としないように最善を尽くすことだ。100個の課題をあげつらって、認識しただけで何も改善されないより、こちらの方がずっといい。

惜敗だと、自然とその原因に目が向き、『これのせいでお前負けたんだぞ!』と思い知らされるので、精神に問題点がグサっとささり、是が非でも改善に向かうのである。

短期的には負けに見えても、中長期的に見れば自分がもっとも成長するフェーズ、それが『惜敗』なのである。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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