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たまには親バカエントリをば。
まもなく2ヶ月歳児となるうちの次女。どうでもいいんだけど、うちでは長女のときも、
『1週間歳おめでとう!』
『1ヶ月歳おめでとう!』
『2ヶ月歳おめでとう!』
以下略・・・
とお祝いを言うようにしている。(厳密には、『歳』は『1年』を表すから、日本語間違ってるんだけど、まぁ無視。)たった1日でも放っておけばこの世に生きられない存在が、1週間なり1ヶ月なり2ヶ月と息をして成長してくれてるのは、やはり奇跡だとしてか思えない。
さて、友人の家にお邪魔したときに、次女より少し先に生まれたそのうちの子を抱っこさせてもらった。体重は生まれたときの倍ほどになり、キャッキャと叫んでいて、時に赤ちゃんなりの爆笑をしている。超可愛かった。
同時に、『うう。。うちの子、まだ笑わない・・・』と少し凹みもした。
 
それから1週間ほどして、生まれてから仏頂面しか見せなかった次女に変化が現れてきた。冒頭の写真①が平常時。
そしてこれがちょっと嬉しいとき。写真②。口に力が溜まっている。
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写真③。結構嬉しいとき。口角が少し上がっている。
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写真④。超嬉しいとき。口を開けて声もでる。
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友人の家の子はしっかり笑っていたけれど、うちの2ヶ月歳児はまだこれが限界。これ以上口は開かないし、これ以上口角は上がらないし、ほんの一瞬しかそれらが出来ないから、よほど注意してみないと、笑っていることにすら気づかない。
僕が今まで思っていたのは、『赤ちゃんは、お母さんが笑っているのを見て笑うようになる。』という誰もが知っているような法則に従って、赤ちゃんが笑うことを学習するというものだった。
が、最近の変化を見て、これはちょっと違うのではないだろうかと思うようになった。
むしろ、こちらの方が説得力があるように思う。それは、

赤ちゃんは最初から嬉しいときには笑っていた。ただ、顔の筋力不足で笑っているように見えなかった。

というもの。
赤ちゃんとて、喜怒哀楽はある。ただその表現手段が『泣く』以外にないのが生まれた直後の特徴で、よほどのことがなければただ泣いているだけである。泣くための筋肉は生まれたときから周りへの生存アピールのために備わっているけれど、それ以外は筋力や脳の発達とともに、後天的に身につける能力なのだということ。
僕たち大人、いや子どもとて当たり前の、『笑う』という作業が、赤ちゃんには出来ない。笑うにも筋力が必要で、それが既に遠い昔に身に付いてしまった僕たちには、赤ちゃんが『嬉しくても笑えない』という現象に、不思議な感覚を抱く。
当初笑っているように見えなかった赤ちゃんは実はそう見えないだけで笑っていて、それを3ヶ月ほど繰り返して、ようやく顔の筋肉が少し発達し、また神経が通ってきて思い通りに動かせるようになる。そうして初めて、本人も笑っているつもりで、事実他者から見ても笑っているように見えるようになる。
赤ちゃんは練習、鍛錬を経て、ようやく笑えるようになるということだ。
 
このことから分かることは、普段の生活にも影響を及ぼす結構重要な事実だ。つまり、『どれだけ簡単に見えることでも、最初はそれを誰しもが出来ない。出来ているのだとしたら、それは(大げさに言えば)鍛錬の賜物である。出来ていないのだとしたら、それは鍛錬していないからだ』ということ。
スゴくシンプルで当たり前のことなんだけれど、僕は次女のおかげでとても大切なことに気づくことが出来た。
テニスがヘタな人は、テニスをやってないからヘタなのだ。スピーチが苦手な人は、場数があまりに足りないことが多い。『文章が上手ですね』と言われている人の大半は、大半の人よりも文章を書いているのではないだろうか。
お箸を使う、トイレを汚さない、字を書く、といったどんな当たり前の能力でさえ、それを何百何千、場合によっては何万回も繰り返した人じゃなければ、出来るようにはならない。外国人の大半は、どんなに優秀でもお箸は使えない。
だから、自分が何が得意で何が苦手かなど、重要なようでいて全く重要ではないと最近は思うようにしている。得意なことは時間と労力をかけてやってきたことだし、苦手なことはそうではない状態を積み重ねた結果だというだけのことだからだ。
早く始めた人はそれでいい。でも、遅く始めたところで、どうせ誰もが最初はその道の初心者なのだから、別に気にしなくていい。笑うことすら、鍛錬の賜物なのだと思えば、何だってできるではないか。
そんなことを考えさせてくれた、2ヶ月歳の微妙な笑顔。だけど今現在の全力の笑顔。最高に最幸だ。
***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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