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行き過ぎた自由は結果的に人を不自由にする。

と常々僕は思っている。
法律があるから、元来本能や欲望だけで動く人間の社会が、スムーズに運営されている。信号がなかったら、交通事故の数は今の数倍になっているだろうし、女を巡る男の戦いは話し合いではなく暴力でのみなされることになる。規制があってすら、リーマンショックは起きた。なかったら超バブルと超恐慌が交互に来て、日本ですら格差社会になってしまうかもしれない。(日本の格差なんて、未だに世界から見たら誤差程度。)
スポーツにはルールがあるから、そのルールの上でのパフォーマンスを競うことが出来る。全世界を感動の渦に包んだラグビーだって、ルールがなかったら筋肉男たちによるただの殺し合いである。ラガーマンの同僚は、100kg超えかつ100m11秒台で走る筋肉列車と衝突することを、『交通事故』と呼んでいるが、本当にそうなる。そんなラグビー、全く面白くない。日本の感動シーンは、反則ゼロのクリーンなプレーから生まれた。
いくら諸々がイマイチだとはいえ、一国の首相を『ファシスト!』、『失せろ!』、『死ね!』ということを自由奔放に言うのはいかがなものだろうか?まぁ百歩譲って許すとしても、本来理性的、論理的に話すべきことをそういった汚い言葉でしか語れない輩というのは、確かに言動は自由が許されるかもしれないけれど、自身の習慣、思考様式に変革の機会を持つことがないまま、大した仕事も出来ない大人になっていくのは目に見えている。それは本人にとって不幸だ。
保険の仕事をしていると、子どもの将来に関して、『子どもの好きにさせます。』というセリフに出くわす場面が多い。これはほとんどの場合、『大人へとさしかかる年齢になった子どもの意思を尊重したい』という意味で出てくるセリフなのだけれど、稀に本当に『子どもの好きにさせる』という親がいる。ちなみにある小学校では、子どもが『宿題やりたくない』と言ったので、学校に詰め寄って宿題を課すことを先生に止めさせた親がいたそうだ。
起業された会社が5年で90%ほど消えると言われているのは、起業をするとサラリーマン時代に比べて、完全な自由が手に入るからだと僕は思っている。くだらないように思えた日報は日々のPDCAを回すために必須だったし、細かい経費申請も、投資対効果を図るための指標になっていたことに気づく。上司があれほど追い込んでくれたから日々の仕事が出来ていたのに、いざ自分で全てを差配できるようになると、やりたくないことはやらなくなってしまう。本来、やりたくないことのなかに、やらねばならないことが沢山詰まっていたはずなのに。
1人で参加したトライアスロンで知らない人と同室になったとしても、『お互いに部屋を綺麗にしましょうね。』という暗黙の合意があってこそ、お互いにレース期間中を気持ちよく過ごすことが出来る。いくらベッドが2つあり、パーソナルスペースがある程度確保されているからといって、自分のスペースならば何をしても、どう散らかしても良い、というわけではきっとない。また、いくら自分が不本意な成績に終わったからといっても、どんよりした空気を自由に部屋に持ち込んだところで、被害者がもう1人増えるだけである。
 
・・・と、まぁ色々な事例があるように、繰り返しになるけれど『行き過ぎた自由は結果的に人を不自由にする。』というのは、どの世界にも当てはまるような気がする。
話変わってシルバーウィーク。仕事で東京駅を通ったのでふと見てみると、なんと新幹線が東海道から上越から東北から、あらゆる時間帯で全部バツ!普通席もグリーン車もぜーんぶバツ!面白いぐらいどの新幹線もどの時間帯も空いてない。
周りを見渡すと、なるほど確かに異常な数の人が新幹線チケット売り場周辺にいる。東京駅はだだっぴろいはずなのに、何人もの人が僕にぶつかってくる。僕にぶつかる時点で相当なブレイブハートだ。褒めてやりたい。
ちょっと思った。『シルバーウィーク』って言うけど、これ、シルバーなおじいちゃんおばあちゃん方に死人が出かねないぞ?新幹線にも飛行機にもシルバーシートなんてないだろうし、空いてなければ立ってなきゃいけない。過労死の原因が『自由席で立ち過ぎたから』とかもあり得そう。
『ゴールデン』に対する『シルバー』ってだけなのかもしれないけれど、せっかく『シルバーウィーク』って名前が付いてるんだから、こういうときこそ高齢者に優しくすべきではないだろうか。ちょうど敬老の日も近いし。
なお、国民資産の大半は65歳以上のシルバーな人たちが持っているが、彼らは老後不安を畏れてなかなかお金を放出しようとしない。だったらこの機会にシルバー最優先のウィークにしてしまってはいかが?と思うのだけれど。お金を放出したくなるような決まりにしてしまえばいい。
例えば、
①シルバーウィークはシルバーな人しか新幹線、飛行機の予約、高速の通行が出来ない。家族連れも含め、若者不可。
②ただし、シルバーな人が子どもや孫のスポンサーとなって引率する場合は可。
①のおかげでシルバーな人たちは異様な混雑のなかではなく、空いているなかを悠々と旅行することが出来る。ふいに屈強な若者とぶつかって骨折したり、文化の違う新人類たちとその様式を巡って争うこともない。
②は健康維持とボケ防止と財政改善に役立つ。また、下手に多くの財産を遺すよりも、子ども孫のために使ってあげたほうが、次世代にとっては感謝の対象としてじじばばが映る。
自由を最優先すると、必然的にシルバーな人たちや子ども、あるいは障がいのある方など、物理的その他諸々の弱い人たちにしわ寄せがいく。それはこの多数決を基盤とした民主主義社会では、平時はある程度仕方ないことなのかもしれない。でも、1年にほんの数日程度であれば、この自由をみんなで平等に放棄し、普段それを甘受出来ない人たちに振り分けてあげるってのもアリなのでは?と思うのである。
ちなみに僕の誕生日は旧敬老の日。必ず休日なので小さい頃、友達には誰にも祝ってもらえなかった酸っぱい思い出。
シルバーな人たちに混じって、上記の特権を僕にも与えてほしいと思う次第。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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