ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

『◯◯』という言葉を多用する人は非常にアブナい件 #752

time 2015/10/01


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よほど能力が高くて人格的にも優れていてバランス感覚もあってコンプライアンスも遵守できる人、つまり全知全能に限りなく近い人でもない限り、あまり使わない方がいいなぁ、と思う言葉がある。それは、

『絶対』

冷戦が終わり、一時期のアメリカ一極集中時代を経て、世界のバランスが均質化してきた現代、『絶対的な正義』も『絶対的な悪』もどちらも幻想であり、存在しないということは多くの人が気づいている。

あるのは『相対的な正義』と『相対的な悪』だけであって、『悪の権化を正義の味方が倒す』というシンプルな二項対立の構図は、現実の社会では成り立たないということがはっきりした。

誰もキリスト教とイスラム教のどちらが正しくてどちらが間違っているのか判断出来ないし、アメリカが正しくて中国が悪い、とも言い切れない。勿論、人を殺すのは悪いことで人を助けるのは良いこと、という程度のことはみんな分かっている。では安楽死させる医者は正しいのか間違っているのか?という話に関しては、誰も答えを出せない。

そんななか、『絶対』という言葉の危険性は、以前に比べてはるかに増しているように感じる。勿論、ゲームの始まりと終わりとルールと勝敗の判断基準が決まっているスポーツで、『絶対勝ぁつ!!!』と湘北高校のように気合いを入れることは、全然問題ない。

でも、前述した通り現実世界のほとんどの事柄は、『絶対』という言葉で括ると、非常に危ないことが多い。包丁は犯罪に使われることが多いことを考えれば『絶対に役にたつ!』とは言えないし、かといって料理するのに包丁がなければ何も出来ないので、『絶対に危ないから世界からなくすべき!』とも言えない。

すべては相対的なものである。相対的だからこそ、原理原則と例外を定めつつその時々でメリットデメリットを天秤にかけ、物事を判断していけばいい。

例えば子どもが小さい家庭であれば、落としたときのことを考えて切れにくい包丁を置いておいたほうがいいかもしれないし、板前さんが使う包丁であれば彼らは完全なプロなので、ギンギンに研いだ包丁を配備しておくべきだろう。包丁一つとっても、『絶対』なんて言葉は絶対に当てはまらない。

天秤にかけて比べるべきものを、秤に載せる前から『絶対こっちだから!』と大声で叫ぶから危ないことになるということは、みんな知っておいた方がいい。

***

囲碁を初めてもうすぐ1年になるけれど、いつも不思議だなぁと思うことがある。囲碁のルールは極論すると、

1、陣地の多い方が勝ち。

2、そのために相手の石を囲んでより多く取れた方が勝ちやすい。

の2つしかない。陣地競争だけでは勝負が付かないことが多いので、必然的に中盤以降では石がぶつかって取り合い合戦になる。

そのときに、『絶対取る!』と決意して、場合によっては相手を威嚇しながら(※ルール違反です。あくまで仲間内の話)構築した包囲網というのは、ちょっとした相手のもがきで簡単に破られてしまう。

絶対取るのが目的なので、相手の逃げ道を全て塞ぐように石を配置しなければならない。結果的に、1手ずつしか打てない囲碁ではそんな戦略には不可避的に穴が発生し、散々追いつめた末に物理的な穴を開けられて悠々と脱出されてしまう。後に残るのは、薄い包囲網を破られた自分の惨めな陣形だけだ。大抵こういうときは負ける。

一方不思議なことに、『取れたらいいなぁ。でも最悪取れなくてもいいや。』と思って相手にプレッシャーをかけ続けていくと、不思議なことに逃げに逃げた相手の石を最後に取れることがある。囲碁の世界には『石が取れればよし、取れなければなおよし。』という不思議な格言があるけれど、僕も何度かこの格言がそのとーりであることを実感している。

石が取れる確率を100%ではなく65%ぐらいで考えているから、相手がこちらの包囲網を破ろうとしてくることも十二分に想定しているし、なんならわざと破らせるぐらいの余裕を以て事に当たることが出来る。相手に逃げられた場合はこちらの被害が大きいけれど、相手を逃がしたときには全局的優勢を保つことができる。

『取ろうと思うと取れない。』というのは、石にも恋愛にも仕事にも共通する、不思議な法則だ。

***

てことで、そういえば『絶対!』の最たるものがあるのを思い出した。皆さんご存知、

結婚宣言

である。

『アナタワー、ヤメルトキモスコヤカナルトキモ、トメルトキモマズシキトキモ、コレヲアイスルコトヲチカイマスカ?』と怪しげな日本語を駆使して有り難いお話をしてくれる牧師さんに、

『(絶対)誓います!』

というのが日本の結婚式(海外は知らない。)

これね、結婚前に結婚の事実をちゃんと伝えておくべきだと最近特に思うんですよ。生命保険の仕事をしていて、年がら年中人様の家庭を拝見してると本当にそう思う。

例えば、

『結婚は、楽しいことばかりではありません。ひょっとしたら苦しいことの方が多いかもしれません。奥さんは若いのは今だけで、いずれおばちゃんになりますし、しわが増えてきますしたぶんそのうち紫のパンチパーマになります。旦那さんはしゅっとしてるのはほんとに今だけ。奥さん以上にものすごいスピードでハゲでデブで加齢臭漂うただのおっさんになってきます。しかも見込んだほど給料増えんしね。IPO前の無駄に評価されてる株みたいなもんよ。暴落はせんけど、まぁ儲かる株どころか、塩漬けがせいぜいやな。とまぁ、そのへんも受け入れてお互い仲良くね、よろし?あ、別に僕、責任取らんからね、仲介しただけだから。』

とこれぐらい、後半関西弁になるぐらい『絶対』から遠いところで幸せを誓っておいたほうが、離婚率は下がると思う。熟年離婚も減って、下流老人も減るし社会保障費もマクロで見れば下がるでしょう。

(絶対)誓います!と言って誓ったのにそれを完璧に果たせないから、

『ねぇ、あのとき誓ったよね?貧しきときも病めるときもって言ったよね?なんで稼ぎ足りないからってあなたは外食が多いのに私たちは外で食べられないの?なんで熱38度出たぐらいで子どもの面倒みないで寝てんの?ナメてんの?あのときの誓いはなんだったの?』

となる。

かくありて、『絶対』という言葉は『絶対とは言わないけど、あまり使わない方がいい言葉』に法律で制定したほうが良いと思う次第。世の中、『絶対』の価値観が引き起こしてる問題は、思ってるより多い。しかもその原因となってる人たちは、自分の『絶対』感が問題を引き起こしてることに、絶対気づいてない。

だったら、『たぶん』とか『もしかしたら』みたいな腰の引けた言葉の方が100倍安全だ。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。