ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

人生のカギは、『ヘレンケラーが言葉の存在に気づいた瞬間』 #757

time 2015/10/06


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中学生の頃、『奇跡の人』というビデオを見た。

見えない、聞こえない、ゆえに話せない。この究極の三重苦に見舞われたヘレン・ケラーが、恩師アン・サリバンの導きで人生に光を見いだしていくという話。

この映画の見所は、見えない聞こえない話せないのなかで、大きくなるにつれ凶暴になっていくヘレン・ケラーが、アン・サリバンによる壮絶な指導の末に『世の中には言葉がある』ということに気づいたシーン。

過去何千回に渡り、モノと名前を関連づけてアン先生が教えようとしてもその意味が分からなかったヘレン・ケラーが、ふとしたきっかけで水をジャバジャバと手に取り、それが『水』という存在だということに気づいた。

『ウォーアー、ウォーアー(water,water)』と初めて口にすると、『コレはなに?じゃあコレはなに?』と次々と家にある色々なものを触りながらアン先生にバシバシ聞いていく。話せないので指文字と、言葉にならない嗚咽のような声で。今までアン先生が数えきれないほど様々なものに手に触れさせて、そしてその意味を手文字で書いてきたことが、頭のなかでつながった瞬間だった。

そうして三重苦のなかで、本当にゆっくりとした歩みを重ねながら、最後は歴史に残るような偉業を残していった。(最後はなんと、しゃべれるようになっていた!!!)

僕のなかでは、ヘレン・ケラーが水を水と認識し、その瞬間に『意味が分かった!』と言わんとするような顔を見たことが、とても強烈な印象として残っていた。

***

時はたち、僕は35歳。何度か触れているように、僕はここ数年、『苦手なことをやる』ことを自身に課している。子どもも大人も基本的には『出来ないことが出来るようになる過程で成長する』のだから、『苦手』と思ってることは大概は過去にやってこなかっただけ。単なる思い込みである。

ただ、大人になるとその思い込みのせいで現実が規定されてしまうこともかなり多い。『俺はこんなもの』、『自分はこの程度』そう思ったら、実際にそうなる。なぜならば、そこから脱却するためのアクションを最初から放棄してしまうから。

なので、そうならないように、定期的に苦手なことに取り組むことにしている。日々の生活で3ー4割はそういうものを入れるようにしている。ランニングも囲碁も、今やっている白地へのテレアポなんかもそうだ。

で、理想はそうなんだけど、いざ苦手なことをやるとなると、これは結構しんどい。少なからず挑んで敗北した過去があるわけで、そういう先入観があるなかで、壁にぶつかったりすると、やっぱり投げ出したくなる。

ところが、苦手なことで悶えていても、ある瞬間に猛烈に嬉しくなる瞬間がある。過去の例で言うと、

▼サッカーのロングキックで、強さではなくボールの蹴る場所によって飛距離が変わることが分かったとき。

▼テニスでラケットの向きではなくフォロースルーのコントロールによって打球の方向が変えられることが分かったとき。

▼空手で固くて脚が上がらない人でも、『軸足をズラす』ことをすれば無理なく上段蹴りが出来ると分かったとき。

▼囲碁で上級者と下級者の圧倒的な違いが、『自分に弱い石を作らず、相手に弱い石を作らせる』技術にあると分かったとき。

これらは全て、500も1000も失敗を繰り返しすなかで見つけた、成功事例に共通するたった1つの法則であり、これを活用するといくつかの例外を残して母集団の9割ぐらいには適用できるというものである。

言葉を換えれば、沢山のサンプルのなかから成功法則を『抽象化』したのがこれらであり、以後取り組む際には無駄な失敗をせずに効率よく正解を導きだしていくことができる。

例えば囲碁。ある程度ルールを覚えて初心者を脱すると、自分がなぜ上級者に負けるのかが分からなくなる。『弱いから負ける』のは明確この上ないのだけれど、では『どうして弱いのか?』について、納得できる説明が出来ない。『練習が足りないから』、それは分かる。『布石の勉強が足りないから』、それも分かる。

しかしどれも負けの構成要素ではあっても、クリティカルなものではない。

が、ある日、

『羅王さんの碁は、弱い石が2つ出来ちゃって、借金2つ抱えてるようなものだから勝てないんですよ。』と言われて、ハタと気づいた。

そうだったんか!!!

負けのパターンを『弱い石を複数作ったことが原因』と抽象化して特定できたため、以後はその防止をするだけで良かった。負けにつながるポイントがなんとなく分かるようになり、改善策の打ちやすさも飛躍的に上がったのである。

借金は2つより、どうせならおまとめローンがいい。というか、そもそも借金しそうになったらその前に家計を改善すればいい。それは、見てくれの体裁よりも実利を取るべき部分で、囲碁で言えば『そんなとこに?』と素人が思ってしまうほど小さなところに、一手を入れる作業のことだ。

僕はこのことを知ってから、また少し強くなったように思う。何より、囲碁が超楽しい!と感じた瞬間だった。

***

僕たちは、ヘレン・ケラーが『今触ってるモノ』=『水』であることに気づいたときのように、『アン先生が触らせてくれるもの』=『アン先生が手に指文字で書いてくれてくれるもの』=『それは世の中でそういう名前のもの』であることに気づいたときのように、様々な経験のなかでそれらを抽象化することに成功したときに、喜びを感じる生き物なんだと思う。

子どもは『こうすれば自転車は安定する』という乗り方を抽象化できたときに、自転車に乗れるようになる。『ねこ』と『いぬ』が『どうぶつ』であることに気づくと、『じゃあ、らいおんもどうぶつなんだね。こうもりもだね。』と飛躍的に理解を増していく。

大人も実は同じで、『ああ、こうすれば限界突破できるんだ?』とか、『なるほど、これはこうすればモノになるんだな。』ということが分かると、脳から快感物質が出る。

僕は囲碁で『シチョウ』というハメワザがどうしても最初理解できなかった。何度も何度も実戦で失敗した。見かねた師匠が、『おっぱ◯は前から押すと潰れるので横から押しましょう。いいですか?縦乳ではなく横乳です。』と抽象化してくれた瞬間から、二度と間違えることはなくなった。分からないことが分かった瞬間は、とても気持ちの良いものだった。

となると、今度は大人の特権で、この抽象化→快感の流れを意図的に再現性高く引き起こすことが出来れば、明るく楽しくできるんじゃないの?ってことを考えてみた。

子どもはこういった体験を人為的に引き起こすことが出来ない。あくまで途中までは親がそれをマネージメントする。大人になると、自分で自分の成長機会をつくることが出来るようになる。これは大人だけに許されている。

結論はいつも通り。抽象化力を高めたければ、ブログを書け、言語化能力を引き上げろ、抽象化という作業に馴れろ、ということになる。

ブログを書くと、今書いていることが具体的事案なのか抽象論なのかを、頻繁に頭のなかで考える癖がつく。日々出逢う事象の、何と何が同じで、何と何が違うのか、違うとすればどんな点が違うのか。鍛えようと思えば、思考はいくらでも鍛えられる。

ちなみに最近の成果でいうと、明治維新についての理解が深まった出来事があった。

明治維新は英雄が何十人も登場する。入れ替わり立ち代わりでワケが分からない。

だから僕は、色々あった明治維新をこういうふうに表現することにした。

▼薩摩藩は今でいうところのCIAとかMI6。諜報が専門。貿易を通して各国の情報を中央よりも早く手に入れていた。だから列強の外圧がみんなが思ってるより全然ヤバいものだということに、さっさと気づけた。西郷隆盛や土佐藩の坂本龍馬がスゴいスゴい言われてるけど、彼らはジェームズボンドとかイーサンハント。アクションはスゴいけどあくまで現場の人。裏には、島津斉彬や小松帯刀といった、ジェームズボンドのボスの『M』みたいなおっさんたちが、金と根回しの手配をしていた。コイツ等がほんとのキーマン。

▼薩摩藩と並べて英雄視される長州藩は、当初は今で言うところのSEALDs。理想を叫ぶだけのチンピラ集団だった。それが色々あって丸くなり、現実を知った後は開国と倒幕を是とする武闘派集団となっていく。SEALDsからデルタフォース、グリーンベレーのような特殊部隊に昇格。倒幕における武力の要となっていく。

と、このような(適当な)抽象化が出来たおかげで、幕末の歴史の諸々がそれまでに比べてグンと理解できるようになった。たぶん、そう間違ってないと思う。

てなわけで抽象化力は極めて大事。

今日も明日も明後日も、ヘレンケラーが水の存在に気づいたような、嬉しい発見をしていきたいと思う。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。