お母さんは警察官、お父さんは◯◯◯  #758


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次女が3ヶ月歳を迎え、長女がもうすぐ6歳になる。めでたい。どちらも生まれてきてくれてありがとう。僕をパパに選んでくれて本当にありがとう。

ところで、最近家に不穏な空気が流れている。4人しかいないので派閥争いも何もないはずなのだけれど、スンニ派とシーア派のような、同じ宗教なのにその方針を巡って対立してるかのような争いが存在する。

次女は完全に戦力外なので関係なし。家にあまりいない僕も関係なし。

そう、残った2人である。嫁VS長女。ここが最近デッドヒートを繰り返している。大人VS子どもだったはずの構図が、時に女対女の様相を呈している。

大半は些細なことで、髪型がどうだ、服装がどうだ、ポシェットには何を入れるか入れないか。本音を言わせてもらえば、

どうでもよい。

しかし、三つ編みかポニーテールかの議論に男が入ると、なぜか誤爆する。スンニ派とシーア派の争いに首を突っ込んだアメリカが双方から敵視されるように、なぜかどちらからも攻撃される。だから黙っている。何も出来ない次女と遊んで、何も出来ない35歳は慰められている。

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他の家庭でも似たようなことは起きていると聞く。親VS女児が、いつの間にか女VS女になる構図。不思議だ。

でも、再現性高く起こる事象には、類似の原因と結果があるはずで、それが何なのかを考えてみると、なんとなく理由が分かってきた気がする。

家庭におけるお母さんというのは、言うなれば『警察官』なのだと思う。やって良いことはいいとして、主な仕事は『やってはいけないこと』について指摘し、覚えるまで叩き込むことだ。子どもは3歳頃までは出来ないことだらけなので、親の完全支配下登録選手に過ぎない。

それが5歳を超えるようになると、かなり色々なことが出来るようになる。畢竟、『やってはいけないこと』のラインも越えやすい。だから注意されることが増える。また、出来ることが多くなってきている分、親のなかでは『これぐらい分かるだろう』と期待をする。この期待がまた、裏切られたときの怒りの温床となる。

ある日、幼稚園にいく時間なのに長女が部屋から出てこないことがあった。嫁は遅刻がキライで、時間についていつも厳しく言っているので激怒した。詰められた長女は当然泣いた。泣きながら手にしているものを見たら、僕への手紙だった。『またえいがいこうね』とヘタクソな、でも愛らしい字で書いてあった。出来ることが増えると、こういう不本意なことも起きたりする。

手紙を書いてくれたことと、それが僕宛だったことは涙を流して感謝したいが、そうは言っても幼稚園には遅刻気味。悩むところだけれど、ここで大半のお母さんは怒ることを選択する。

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子どもの心境を推測するに、つまりはこういうことなのだろうと思う。

交通違反取り締まりをしている警察官を目にしたときのあの何とも言えない感情。それを長女は母親に対して持っているのではないだろうか?

『こんな標識が見えにくいところでやりやがって』、『点数稼ぎしやがって』など、本来は違反者が悪いはずなのに、どことなく公権力に反発してしまう気持ちを持ったことは、誰でも一度や二度はあると思う。それと同じだ。

警察官であるお母さんがいないと、子どもはすぐに事故ったり犯罪に巻き込まれたりする。本来は警察官様々なはずだ。なのに反発してしまう。5歳になると、そういう様子がはっきりと見て取れるようになる。

ちなみに男児はというと、あまり幼少期における母親との対立の構図は聞かない。おそらく、男は基本的に権力に盲従することには馴れているからではないだろうか。ライオンにしろサルにしろ人間にしろ、権力者に対して楯突いたとして、その後の人生で酷い目に遭わされるということを、遺伝子が知っているのかもしれない。

対して、女は基本的に平等社会。だから上からこられるとカチンと来る。ドラマ『マザー・ゲーム』を見ていて思ったのは、超セレブな奥さんとちょっとセレブな奥さんと無理してセレブぶってる奥さんと庶民の奥さんが一同に会すると、ほぼ100%の確率でぎくしゃくする。

男の場合、役職にしろ年齢にしろ腕力にしろ、上下関係がわりとはっきりしているので、上の人に上から来られても、わりと納得してしまう。男児も同じようなものなのだろう。幼稚園男児は大体女児に比べて頭が弱いので話が通じないことは多々あるが、お母さんに真っ向から楯突くということはあまりしない。

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お母さんは警察官

この法則が分かったところで、ではお父さん方はどうすれば良いのだろうか?

お父さんも警察官

だとどうだろう?子どもは遠からず窒息するだろう。家に普段いる人に注意されて反発するのだから、家に普段いない人に言われたらどうなっちゃうことだろう?家にゲシュタポは2人は要らない。

だから、僕は

お父さんは遊園地

でいいんじゃないかと思っている。

やっちゃいけないことの大半はお母さんが教えてくれる。お父さんの役割は、やっていいこと、楽しんでいいことの幅を広げてあげることだ。警察官に文句を言いたい人はいても、ディズニーランドに文句をつける人はあまりいない。乗りたいアトラクションに乗ればいい。

そうやって、やっちゃいけないこととやっていいことのバランスを上手にとってあげるのが、理想なんだと思う。

ただし。ディズニーランドにも、数は少ないがルールがある。危ないものは持って入っちゃだめ。列には並ばないとダメ。乗り物乗るときはシートベルトをしないとダメ。

その代わり、乗り物では恥ずかしがらずに精一杯叫んでよし。体力尽きるまで次の日を気にせず遊んでよし。疲れてるお父さんにさらに疲れる肩車を要求してもよし。

『子どもの教育はかくあるべし』なんてことは全く語れないけれど、なんとなくこんな感じが良いのかなというバランスが最近見えてきた気がする。

ただ一つだけ、この『お母さんは警察官、お父さんは遊園地』システムには問題があって、それは『遊園地役の方がはるかにラクじゃないの、ふざけんな。役代われ。』という嫁からのクレームに1ミリも反論出来ないことである。ここに関する回答は、仮説すら思い浮かばない。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!