ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

ロジモーショナルでいこう #767

time 2015/10/16


 

今日は意思決定の話。

僕が人生においてしてきた様々な意思決定、触れてきた他人の意思決定は、大別すると次の2つに分けられる。

①ロジカル派

父親の書棚にアホみたいに本が沢山並んでいた環境に育った僕は、理性を持ち始めた高校生ぐらいから、その書棚から本を盗んできては、よく分からないながらに少しずつ読むようになった。

『ロジック』とか『ロジカルシンキング』に代表される『ロジカル』なる言葉を知ったのもその頃で、無知の極みながら『おお!ロジカルなのってかっこええやん!』と思ったと記憶している。以来、少しロジカルな漢を目指していたのが、大学生〜社会人初期。ロジカルでさえあれば、それで格好いいと思っていた。

思い起こせば、中学受験、高校受験、大学受験とすべて経験してきたが、それらの動機もすべて今思えばロジカルめであったような気がする。

中学受験のときは、『合格すればドラクエ5を死ぬほどやれるから。』という明確な目標があった。高校受験のときは、『合格すればその後の進路の幅が広がる。』という明確な目標があった。大学受験のときは、『東大に受かれば世界を股にかけるビジネスマンになれる。』という明確な目標があった。それらはすべて、『とにかくとにかく入りたいの!』といった感情的なものではなく、言語化可能な、やや客観的な動機であった。

その後も、詳細は省くもののロジカルに考えた就職活動をして、ロジカルに考えて外資系を選び、ロジカルに考えて転職をした。どこの会社もロジカルに考えた末の志望動機だったので、『どうしても御社に入りたいんです!』といった雰囲気は、出せなかったように思う。

がしかし、身の回りにいた『ややロジカル偏重』な人たちが、多少なりとも血と涙に欠ける人間に見えたのと、あるいは自分の感情を押し殺して我慢して生きているように見えたのと、そしてそれが目指すべき大人の姿なのかと考えた末に、この『ロジカル派』から抜ける決意をした。

ロジカルに考えれば良い大学を出て良い会社に就職をして、結婚をして子どもが生まれて住宅を買って、大過なく安定した人生を過ごす、というのが最良の生き方だったはずなのだけれど、その価値観が少しずつ壊れ始めてきた時期に、僕の人生がぶつかってしまったことも少し理由としてあるかもしれない。

ロジックだけでは何か大切なことを見落としたり失ったりしてしまう。そんなことを予感し始めたのだ。

 

②エモーショナル派

大学4年の夏休みに、初めて海外に一人旅にいった。友だちに勧められ続けたことについに折れた形だけれど、それまではずーっとロジカルに考えて危険が伴うので断っていたが、もう最後だし、これ行かないと後悔するかも、と思ってついに決断した。

人生で初めて、メリットが見えないなかで心の声に従ってエイヤと踏み出した瞬間だったのかもしれない。それまではわりと決められたレールの上をスイスイ進むだけの、自分では何も決められないビニールハウス野郎だったように思う。

行った国は卒業旅行と合わせると2ヶ月6カ国。トルコ、エジプト、イタリア、メキシコ、ペルー、ボリビア。バックパッカーを語るにはあまりに短い期間ではあるものの、この2ヶ月はまさにエモーショナルな意思決定しかしなかった2ヶ月だった。

宿を取らずにピンときたところに泊まり、ピンときた現地のツアーコンダクターに初日に騙され、ピンときた行きがかりの人のおうちに泊めてもらい、ピンときたトルコで出逢ったカップルの家にイタリアで泊めてもらったりした。ピンときた子に話しかけたらその子は7カ国語を話す超人で、一気にファンになってしまい3日ぐらいストーキングした。

すべてが最高にエキサイティングで、ああ、エモーショナルな意思決定って素晴らしい!と思ったものだ。

世は『やりたいことをやりなさい!』という風潮が跋扈しはじめていて、エモーショナルな意思決定はこの世の春を謳歌しているように見えた。

がしかし。

エモーショナルな意思決定、代表的なもので言えば、『やりたいことをやる。やりたくないことはやらない。』といったことを実践している人たちをつぶさに観察していると、意外なことが分かった。エモーショナリストには、次の3種類の人たちがいた。

①0.5%の、『やりたいことをやってやりたくないことをやらなくて、本当に夢を叶えているちゃんとしている人』

②55%の『やりたいことをやってやりたくないことをやらなくて、しかし現実との折り合いを付けるために結構苦労している人。具体的には低収入で頑張るアーティスト気質の人など』

そして、

③44.5%の、『やりたいことをやってやりたくないことをやらなくて、権利の行使の前に義務すら果たしてないちゃんとしてない人』

独立起業を例にとると、①はサラリーマン時代の不条理を切り捨て理想を追求するために独立し、自分の得意領域できちんと継続的にビジネスを回している人などが一例。

②は自由が欲しくて独立したものの、結果的には前職の下請けを継続しているに過ぎなかったり、あるいは妻からの強烈な『生活レベル下げるな要求5か条のご誓文』に応えるためにやりたくなかったはずの仕事をしぶしぶしている人など。

③はこれも一例だけど、子どもがいるのに自分の思うままの夢を見て独立して、しかも稼いでない人。そしてこれからもその目処が立たない人。

②と③な人たちを幾人か見るにつけ、『これはエモーショナルなだけでは危険だぞ!?』と思い始めたため、エモーショナル路線からは撤退。夢を追うのは大事だし、我慢をしないことも大事だが、能力も実績もないのに会社をやめても、親に寄生して迷惑をかけるだけだと悟った。早過ぎる結婚、出産というのも、結構この部類に入ることが多い。夢を見て、そしてそれを叶えると決断し、そこに猪突猛進一直線に向かえる人というのは、ほとんどいない。

一時の感情の高ぶり、それに伴う暴挙というのは、突発的に起こる犯罪以外にも、身を滅ぼしかねないなと思ったことが何度かある。

***

そんなわけで最近僕が取り入れたのが、ロジカルとエモーショナルのフュージョン系、その名も、

『ロジモーショナル』

漫画では『ベジット』で映画では『ゴジータ』だったのでどっちが正しいんだという話があるように、『エモカル』でも良かったのだけれど、『ロジモーショナル』の方がそれっぽいのでこっちにしておく。(※悟空とベジータがフュージョン=合体した時の名。宇宙最強のZ戦士。)

要は、『感情の振れた方に意思決定をする。でもロジカルな根拠がなければやらない。』という、言われてみれば至極当たり前なことであって、特筆すべきことは実は何もない。

たとえば、僕はこの数年で、それまの人生で縁のなかったマラソン、トライアスロン、囲碁などに手を出す意思決定をした。これらは心震えるに足る理由も勿論あったけれど、どう考えても人生にプラスになるだろうという算段もしっかりあってのことだった。デメリットもいくつかあったが、どれも呑み込めるサイズのものであると、ロジカルに考えることが出来た。

逆に、『中国で起業して成功している友人』の話を聞いたときもそれはそれは心震えたけれど、じゃあそれで僕も起業!とは全く思えなかった。扶養家族が増え、全財産をオールインして仮にコケたときに路頭に迷うわけにはいかなかったからだ。

夢からの逆算も大いに結構だが、現実の延長線上で夢までの到達経路を考えるのもとても大事なことだ。僕はそちらを選ばざるを得ない立場にいる。実力ないし。次女は首座ったばっかだし。

『ロジカルな意思決定』とは、『やるべきと思われることをやること』だ。

『エモーショナルな意思決定』とは、『やりたいと思うことをやること』だ。

そして『ロジモーショナルな意思決定』とは、『やりたいしやるべきと思われることをやること』であり、現在僕はこの意思決定システムを結構気に入っている。なぜなら、入り口は感情の振れるままに任せているので自分に正直でいられるし、かといって挑んだ事柄関しては成功を期すためにカテナチオのごとくロジックを積み上げるからだ。

イタリアのサッカーと同じで、まぁそうは負けない。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。