ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

22歳頃の一人旅の話と24歳頃の旅行の話 #768

time 2015/10/17


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大学4年生だった22歳のとき、僕は初めて海外にバックパックを背負って一人旅に出た。短い間ではあったけれど、トルコ、エジプト、イタリア、メキシコ、ペルー、ボリビアとかけがえのない経験をさせてもらうことが出来た。その後も台湾、インド、シンガポールなどを折りをみて旅した。

今思い出しても涙が出そうなほど人に助けられた旅であり、今思い出しても腹が立つほど色々な人に手を焼かされた旅でもあった。自由とは決してラクなものではなく、責任とは決して重たいものではないと理解することが出来たのも、この旅でのことであった。

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ペルーを旅していたときだっただろうか。一人の日本人の女性と出逢った。その人は、ペルーに存在する見所を全て空路で移動しながら、ものすごい過密な短期間の旅程で各所を制覇していた。何をそんなに急いでいるのだろう?と思ったら、その人は社会人だった。

『お休みが1週間しかなくて。』そんなことを言っていたと思うが、そのうち約2日を日本から南米への移動に費やして、かつ5日弱でペルーを制覇しようとするのだから尋常ではない。かたや僕は、ペルーだけで2週間ほど滞在したがそれでも全然足りないと思っていた。

『なんと勿体無い時間の使い方をするのだろう?クスコ(=インカ帝国の首都。マチュピチュへの玄関口)なんて何日いても新しい発見があるのに。そんなに急いで回ったって、何も残らないだろうに。』とその人を見て感じたが、そのときは何も言わなかった。

メキシコ、ペルー、ボリビアを旅したその春休みは、僕の人生を根本から変えるような刺激と衝撃に満ちた時間だった。

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2年後。僕はスイスとドイツに旅行にいった。当時の彼女、今の奥さんと。社会人になっていたため、夏休みのバカ高い時期にほんの1週間強ほど。

確か1週間ちょいで6都市ぐらい回ったので、ほとんど何がなんだか覚えていない。スイスのグリンデルワルト(ユングラウヨッホがあるとこ)、ツェルマット(マッターホルンがあるとこ)が素晴らしかったのと、ドイツのノイシュバンシュタイン城という舌を噛みそうなお城がやたらかっこ良かったことぐらいしかイメージがない。あとはご飯が総じてソーセージとポテトばかりで最後は辟易していたこと。

スイスの街で、一人の若者に出逢った。大きなバックパックを背負って、2年前の僕と同じように貧乏くさい格好をして歩いていた。聞くと、『1年ぐらい旅してます。スイスは1ヶ月目。』とか。僕が滞在していた街には、もう1週間もいた。

僕が1週間でスイスとドイツのめぼしい街をフル回転で回らねばならないときに、この若者は僕がいた街だけで1週間。羨ましい気持ちが半分、もう半分は、『なんと勿体無い時間の使い方をするのだろう?1週間もあれば、色々回れるのに。沈没してたって何も変わりはしないだろうに。』と思っていた。

この1週間で、僕はスイスとドイツの見所をあらかた制覇し、そして各所に関する薄い思い出とともに、一通りは回ったという満足感と、夏休み満喫してやったぜという自己充足感に満たされていた。

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この例で分かるように、僕の価値観はほんの2年ほどでなんと真逆になっている。22歳と24歳という、どちらも若造に類する年齢なのだけれど、置かれた環境によってこうも違うものなのか、というほど異なる。

勿論、内面的にはどちらの年齢においても22歳の頃の自由な旅を肯定しているのは、なんとなく理解してもらえると思う。それでも24歳の社会人には社会人なりの理屈があり、現実と理想を折り合わせた着地点に関して譲りたくない主張みたいなものもある。『俺は学生と違って時間を有効に使っている』的な。

人は、自分と真逆なことを言う人に対して、理解出来ないがゆえに全否定してしまうことがある。学生の頃に社会人の旅行者に対して感じていたことがそれであり、社会人になって学生の旅行者に感じていたこともそれである。

『理解出来ない』とは言うものの、実はそれらの価値観は他人のものではなくどちらもそのときの自分のなかでトッププライオリティにある『自分の価値観』なのであって、本来全否定するのはおかしい。

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若者は高齢者を、高齢者は若者を否定する。

上司は部下を、部下は上司を否定する。

健常者は病人を、病人は健常者を否定する。

これらのことと、『男が女を否定し、女が男を否定する』のとは少し違う。男は女に滅多にならないし、女は男に滅多にならない。(ごく少数、そうじゃない人もいる。)しかし若者はいずれ高齢者になるし、高齢者は昔若者だった。上司と部下もそう、健常者と病人もそう。

いつ自分が真逆の立場になるのかは分からない。前職の部下が次の職場の上司になっていて、しかしそれでも立派に部下としての務めを果たして結果的に昇進していった人を知っているが、その人は素晴らしい心持ちの人であったと思う。

僕は昔、『ダメなヤツはダメだ。どうにもならん。』と言っていた上司に対して『なんて諦めの早いヤツだ!三井寿か!』と全否定していた時期がある。ところがここ数年勉強会を指揮するようになって、例としては少ないが『とにかくダメでどうにもならん』という人間がいることを初めて知った。意識がダメで、行動がダメで、素直さないから改善も一切なく手に負えない。そしてそういう人間に関わり過ぎると、こちらが無力感に苛まれて潰れる。

僕は反対の立場になって初めて、当時の上司の言動の理由を理解することが出来た。彼は理想から見たら明らかに間違っていたが、現実を見れば明らかに正しくもあった。世の中には、煮ても焼いても食えないヤツがいるというのは、目を背けてはならない事実だ。

幼稚園や保育園の新設に関して『うるさいから反対』という声が出たり、満員電車にベビーカーを持ち込んだら『邪魔』と一喝されたり、ちょっとのミスを中世魔女の磔かのように喚き立てる人を見ると、たった2年間で立場と価値観が真逆になった自分のことを思い出し、激昂しないように気をつけたいと日々思うのである。

足を踏まれると腹が立つが、同じ数ぐらい、人の足を踏んでいるはずなのだ。怪我をしている足を踏まれると憤怒にかられる。一方で僕が足を踏んでしまった人は、痛風のために触れられただけで激痛が走っているのかもしれない。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。