ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

間違えたことを間違えたと言えない人たちの話 #772

time 2015/10/21


いやー、久々に政治家の話でブルったって話。

毎日ブログを更新している恐らくは唯一の政治家、おときた駿さんの書かれたエントリ。毎度、分かりにくい政治の世界のあんなことやこんなことをを極めて分かりやすく解説してくれているので個人的にとても応援しているのだけれど、そのなかでも特大級にブルったのがこちら。

なぜ政治・政策はゆっくり・少しずつしか変わることができないのか?−官僚の無謬性神話−

あなおそろしや。ロシアよりもおそろしや。

Q:データや海外の事例から、間違っている・直した方が良いと明白に思われることが多いのに、どうして変えることができないんですか?

という一般人の素朴な質問に対して、おときたさんはその原因を『官僚(行政)の無謬性』という、聞き慣れない言葉で説明している。

***

長くなるけれど、少し引用してみたい。(原文ママ)

謬とは「誤り」という意味なので、無謬とは「誤りがない」ということ。我が国では、官僚・公務員・行政は間違いを起こさないということになっているんですね。

なんのこっちゃと感じると思いますので、解説します。

官僚が行う政策はこれまで何十年にも渡って行われ、
また将来的にも長期スパンで行われるものが多く存在します。
よってその影響も、何百万・何千万人にも及ぶことが予想されます(年金など)。

これだけ影響力が大きい政策を実行する官僚部隊には、
万が一にでも間違いを犯してはいけないという強烈な圧力がかかるわけです。

そうした「健全な圧力」があるだけなら、
緊張感を保つ意味で望ましいものだったかもしれません。
しかし我が国では、この強迫観念やプレッシャーが高じて

「官僚は間違えてはいけない=官僚は間違えない

という恐ろしい発想に飛躍していくことになります。

ひとたび間違いを認めてしまえば、自分たちのみならず、
それを実行してきたすべての官僚たちが間違っていたことになり、
歴史上何千万人もの人に間違った政策を実行してきたことになる…。

そんなことは絶対に認められないので、
官僚たち自身(ひいてはそれを指示した政治家自身)が

「制度設計を間違えたので、年金は崩壊しました

とか絶対に言えないわけです(苦笑)。
嘘のような本当の話ですが、間違いを認めなければ間違いにならないじゃないか、と。
彼らは数字をつぎはぎ、なんとか当初の政策を延命させようとします。

世論の力によって変わっていく場合でも、
少しずつ、ほとぼりが冷めたころに、せめてその制度設計をした
歴代の政治家・局長・官僚たちが引退した頃に…という力学が働くため、

よっぽど強力なリーダーシップが働かない限り、
行政政策というのは少しずつの改善しか行われないということになります。
民間企業で当然行われる「PDCAサイクル」は、無謬性によって機能しないのですね。

・・・ここまで読んで、僕はブルった。そういうことだったのか。官僚、行政、ヤベェじゃん。だからアレもソレもコレもこうなっていたのか、と今まで腑に落ちなかったことが腑に落ちて、かつ絶望的に改善が見込めないことが分かった瞬間。

あれだけ頭良い人たちだから大丈夫だろうとタカをくくって政治とか行政を信頼していたが、急に怖くなった。バカだのアホだのとは言っても、最後は頭の良い人たちの良識に期待しようと思っていたけれど、それは無駄なことだとはっきり分かったのだ。

***

ところで、何人か官僚や政治家という生き物を知っているけれど、その人たちそれぞれは決してバカでもアホでもないどころか、極めて優秀で人格者で尊敬できる人たちであったりする。

それはもう、僕なんぞが逆立ちしても朝立ちしても勝てないぐらい強靭な体力、広範な知識、修羅場をくぐり抜けた経験を持っていて、どんだけ優秀なんだと思わされることも少なくない。

ここで、座右の書である『銀河英雄伝説』にある一文を思い出す。

『貴族を恐れる必要はない、と僕も思います。しかし貴族たちには注意すべきです。』

簡単に背景を説明すると、銀河帝国設立以来の特権階級であった貴族は、その約束された地位ゆえに危機感もなく放蕩三昧で、生活に苦慮する一般市民のことなど考えもせずに、この世の春を数百年に渡り謳歌していた。

今で言えば年金を年3000万もらっている高齢者たちが支配者層で、年収10万以下で生活しているのがそれ以外の層で、かつ選挙権は高齢者にしかない、みたいな感じ。

で、その特権階級制度をぶち壊そうぜ、とイキった平民の主人公に、『高齢者は怖くないけど、高齢者たちには注意しようぜ、徒党を組むと何するか分からんよ。なにせ選挙権あるし金もあるし。老い先短いから、環境を変えないためならなんでもしてくるぜ、たぶん。』と副主人公が諌めたときの場面が上記。

まぁ未読の方は読んでみてください。正直、『坂の上の雲』やその他歴史小説よりも立派で分かりやすい歴史小説です、『銀河英雄伝説』は。

 

***

結局、頭が良いとか悪いとかじゃなく、人格が優れてるか終わってるかでもなく、それらの条件が良い方に満たされていたとしても、『官僚という生き物』の習性ゆえに方向性を間違うということが大いにあり得るということがよく分かったエントリだった。

分かった、以後信じるのはやめる。

一つ言えるとすれば、2歳や3歳で親から仕込まれる、『ごめんなさい、もうしません。』や、『ごめんなさい、つぎはきをつけます。』が大人になってもきちんと言えたり実行出来ていれば、行政に発生する多くの無謬性問題は起こらないのではないかということ。

個人レベルで考えるべきは、『間違えないこと』ではなく、『間違えたときにすぐにそれを認めて瞬時に修正すること』を徹底してトレーニングすることだろう。勿論、個人か組織かでその容易さは全く異なるけれど、個人で出来ない『過ちを認め、修正する』ということが組織になったときに急に出来るようになるとも思えない。

日頃から間違える→認める→修正する(ついでにちょっと恥をかく)ということを習慣に織り込めているか否かが、どこかで大きな過ちを犯すか、あるいはそうでないかを決定するように思う。

そうそう。尊敬している先輩が、ある日ちょっとしたチョンボでめっちゃ上層部に怒られていた。3時間ほどこってりと絞られた挙げ句に会議室から出てきて、発した一言がこちら。

『あーあ、俺悪くないんだけどな。』

スゴい人というのは自分の過ちを認めない、という完全なる具体例がすぐそこに転がっていることを発見した瞬間だった。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。