ブログに関して紳士と淑女からクレームを受けた話 #775


 

ブログを700回以上書いてきて、おそらくは初めて「強烈なクレーム」を受けた。

「あの記事どういうことですか!?全然当たってないんですけど!!!」

女性特有の、「ねぇねぇ、知ってる?」と言われて、「知らねえよ!」と言いたくなるあの感じ。「ひろみがね。」と言われて、「ひろみって誰だよ!」と言いたくなるあの感じ。「あの記事」がどの記事を指すのか分からないよく分からない状態からスタートした、深夜の秋葉原でのクレーム。

クレーム主は、共に歴史を学び日本を変えようとする、同志とも言える淑女@30代。

話を聞いているとどうやら、このエントリに関してのクレームだった。

(大きなお世話シリーズ)既婚FPから見た婚活女子の留意点

「そうそう、男に置き換えても全然間違ってるんですよ!!!」

これまた同志の紳士@30代もクレームに相乗りしてきた。

ふむ、受けて立とうか。

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まず、エントリの内容はざっくり言うと以下だった。婚活女子は、以下の点に留意してねという話を書いた。

①口癖が「仕事辞めたい」、「仕事つまらない」のはキケン

②口癖が「どうせ」はキケン

③スイーツと旅行の話しか出来ないのはキケン

④男の仕事にアドバイスをしてしまうのはキケン

⑤「マイルール」が強烈過ぎるのはキケン

⑥付き合った人数が極端に少ないのはキケン

⑦付き合った人数が極端に多いのもキケン

⑧クレクレ星人はキケン

⑨学歴、職歴が高すぎるのはキケン

⑩空いてるピースがないのはキケン

⑪若いときと同じ待ちの姿勢はキケン

 

これに対し淑女は、

「あたし、どれにも当てはまってないのになんで結婚できないんですか!!??」

と激昂した。紳士も、

「僕もそうですよ!!!どうなってるんですか!!!なんで結婚できないんですか!!!」

と、女性に関するエントリなのになぜかクレームを入れてきた。完全に筋違いだが大柄なので迫力があった。

ちなみに淑女は見事に①〜⑪に当てはまらないまさに「淑女」で、僕から見てもとても素敵な女性に見える。「場を明るくする女性」はどこでも重宝されるが、彼女はそのタイプだ。だが独身。

紳士の方も、超高学歴で頭の回転がすこぶる早く、愛らしい見た目で人気があるタイプ。だが独身。

魅力的としか言い様の無いその紳士淑女の2人が、強烈に詰め寄ってきた。なぜ当てはまってない自分たちが結婚をしていないのだと。

僕は思った。

 

 

 

 

 

 

 

知らんがな。たまたまやろ。。。

 

 

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今、歴史の勉強をしている。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」を地で行くためかどうかは分からないが、グローバル化が進む現代において、自分の生きる国を知るということは、とても重要なことになりつつある。

歴史の因果を追求していく作業は、本当に面白い。例えば「明治維新」を例にとると、

▼明治維新はなぜ起きたのか。

▼明治維新はなぜ日本に起き、他国には起きなかったのか。

▼明治維新を起こしたリーダーはなぜ誕生したのか。

など、「なぜなぜ?」を繰り返していくと見えてくることが沢山ある。明治維新の解釈は数多くの文献で語られているし、そのリーダーたちに関してはそれ以上に多くの関連書籍があるのでそちらに譲るとして、面白かったのは一つだけ、結論の出ない難しい作業があった。

「なぜなぜ?」をトヨタ式に繰り返していくと、どうにも答えのない問いにぶち当たる。そしてそこまでいくと、もはや「たまたまそうなったんじゃないの?」という答えが一番もっともに聞こえる。

日本人には調和を重んずる文化があったとか、

日本人は識字率が高かったので変化の必要性を言語化された論理で理解することが出来たとか、

日本には坂本龍馬、西郷隆盛、桂小五郎、小松帯刀などの素晴らしいリーダーがいたからとか、

日本のリーダー層には滅私の心があったからとか、

つまりは日本人の民度が高かったからとか、

それっぽいことは調べれば誰にでも言える。

 

しかし、そこも「なぜなぜ?」と追求していくと、僕個人の意見としては最終的に、

日本がたまたま強烈に安全な島国だったから。そして(元寇でちょっと攻められた以外に)侵略されたことがないから。

というのが日本の明治維新の「風が吹けば桶屋が儲かる式」の発生理由であり成功理由。日本が戦国時代のように同士討ちだけならまだしも、外敵から侵略されまくるり、国民が殺されまくったり蹂躙されまくる陸の国だったら、日本の民度はここまで高くなってたとは思わないわけ。

つまり、日本人はもともと素晴らしかったというよりは、地政学的要因で素晴らしい人間になっていった、というのが僕の説。日本を愛するがゆえに、無条件の日本礼賛、日本人礼賛にはリスクを感じていたけれど、色々調べるうちにやはりそれは確信に変わった。

我々が我々たるゆえん、我々の国が我々の国たるゆえんは、結局のところ元を正せば、、「たまたま島国だったから」。その「たまたま島国だったから」という土壌があって、そこから風が吹いて桶屋が儲かってなんだかんだあって、明治維新しかり、今の素晴らしい国、素晴らしい国民性につながっていったということ。あくまで自説ですけどね。

レベルが低すぎて申し訳ないが、僕は歴史解釈の究極は、深堀りに深堀りを重ねたどこかの段階で、この「たまたま」を受け入れることだと思う。

「物事には原因があり、結果がある。」という格言がある。至極ごもっとも。食べ過ぎれば太るし、きのこの山を食べ過ぎればもっと太る。

しかし、9割の結果には発生原因があるものの、残り1割ぐらいは「先に何らかの結果がたまたま出ちゃって、それが原因となり次の結果につながった」、というふうに出来ているんじゃないか。火を起こした最初の人類は、火を起こそうと思って火を起こしたのではなく、「あれ?何か明るいのが点いちゃった!あちっ!!!何だコレ!何だコレ!」となって徐々に再現性を高めていったり使い方に習熟していったのだろうと思う。

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逆に、「たまたまそうだったもの」を「たまたまにしない」という選択を取ると、少しキケンな気もする。たまたま勝ったケンカを、自分の実力のおかげと勘違いして挑んだ先の大戦争で、日本はこっぴどく負けた。たまたま良い会社にいるから給料が良いだけなのに、それを自分の能力と勘違いしている人たちは少なくない。

テレビ局のおエラいさんに聞いたが、下請けの制作会社の人たちの方が3倍優秀なのに、自分たちは彼らの3倍の給料をもらっていて何かがオカシイ、とのこと。この人はそのことに気づいているだけでエラいが、他の人達は自分がたまたまその会社にいてその報酬をもらっていることを、自分の能力と勘違いしているんだとか。

僕はたまたま「良い大学に行くのが当たり前」と考える両親の間に生まれた。だから僕のなかでは物心ついたときから大学に行くことが当たり前となっており、しかもそれは世間で言うところの「良い大学」がデフォルトだった。別に自分に目的意識があって行ったわけではない。

ちゃんと考えて進学した人には大変申し訳ないけれど、僕は本当に何も考えていなかった。振り返って、「あのとき、進学したあとはこういう勉強をして、こういうキャリアパスを描いて、ということを常に考えていました。」なんて美談は口が割けても言えない。

自分にとって良い話であれ、悪い話であれ、「たまたま」というのをどこかで受け入れる必要はあると思うのだ。

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紳士と淑女の話に戻ると、結局のところ彼らが独身でいるのは、「たまたま」だろうと思う。とても良い意味で「たまたま」なのだ。

彼らに瑕疵があったわけでも、能力や魅力が不足していたのでもない。そこには原因などないのだ。

本当にたまたま出た結果に対して、存在しない原因を追求するのは、時に疲れる行為だったりする。悲観する必要もなければ、過度に肯定する必要もない、「たまたま生まれた結果」なんてのは、そこら中にゴロゴロしている。

このあと打席に立ち続ければ、別にいつでもホームランが打てる彼らなのになと思う。

「知らんがな」

と思ったのはそういうわけである。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!