「お前に言われたくねーよ問題」を科学する #776


 

人に何かを指摘されて、「お前に言われたくねーよ。」と思うことはないだろうか?

普通に生きていればよくあることと思う。

▼太っている人に「お腹出てますね」と言われたり、

▼色黒の人に「ちょっと黒すぎだよ」と言われたり、

▼ムキムキ90kgの人に「ガタイ良すぎですよ。隣にいるとジャマです。」と言われたり、

▼舌打ちばっかりしている人に、「機嫌悪いんですか?」と言われたり、

▼アメリカ人に、「英語上手いですねー。いやびっくりしましたわ。」と日本語で言われたり、

そんなときに、人は「お前に言われたくねーよ。」と叫びたくなる。

俗に、「お前に言われたくねーよ問題」と言われている。

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僕自身の経験で言うと、

▼「お前は身なりがちゃんとしてねーんだよ。」と以前上司に注意された。なるほどごもっともと思ったが、その人は高級スーツに身を包み、高級時計をし、高級靴を履き、そして締めたはずのネクタイが5秒後にはゆるまってズレズレになるほど、丸々と太ってシャツの首が締まらない人だった。客先に連れていくときは、いつも上司のネクタイをガン見してチェックしなければならないほど、ユルい人だった。

▼高校生3年生の時に偏差値「8」を取った。受験間近でこの成績は絶望的な状況だったのだが、隣にいたヤツが真顔で、「お前、バカだな」と言ってきた。そいつの偏差値は「5」だった。そいつはずっと底辺にいたから無問題で、僕はそのとき飛ぶ鳥が堕ちる勢いで成績急降下した結果の偏差値「8」だったから、底辺住人からしたら堕ち幅のデカい僕の方が「アホ」という理屈だった。

あたりは、「お前に言われたくねーよ。」と心の底から思ったものだった。

今日は、この「お前に言われたくねーよ問題」を少しだけ科学してみたい。

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そもそも、なぜ、「お前に言われたくねーよ問題」が発生するのだろうか?

一つの説としては、人は自分のことはよく見えないが、他人のことはよく見えるから、というのがある。いわゆる「ジョハリの窓」だ。実際、鏡が発明されるまでは、人は自分がどんな顔をしているのか、水面を凝視する以外に知る術はなかった。そして鏡がそこかしこに存在する今も、自分のことはともかく他人のことはよーく見える、というのが人間。

なかでも、他人の欠点というのは面白いほどよく見える。自分がそれを出来ているかに関わらず、指摘したくなるのが人間だ。

大半の人間は、「出来てること」対「出来てないこと」のバランスが、3:7ぐらいになっている。「あー、あれも出来てない、これも出来てない!」とパニックになるほど、「出来てないこと」が多いという心当たりはないだろうか。対して、「出来ていること」というのは、あまり頭に浮かばない。ある意味問題点を見つける方がラクだからそういう比率になるとも言える。

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他方で、「あなたに何か言う資格のある人」「あなたに何か言ってくるが、本来その資格すらない人」というのは、1:9、ぐらいなものだと思う。「あなた、少し自分勝手ですよね。」と指摘してくるヤツがいたとして、ソイツが聖人君子で完全に「自分勝手度ゼロ」な確率は、極めて低い。

「プレゼンがイマイチだよね。」と言われたとしても、その人自身にそのセリフを吐く資格がない可能性は結構高い。ジョブズに言われたら仕方ないが。

「もうちょっと計画的にやりなよ。」と指摘されたとしても、その人自身は結構無計画だったりする。ジャックウェルチに注意されたら、その通りですねと従おう。

「あなた、ちょっと太ったんじゃないの?」とチクチク言ってくる奥さんのお尻は、昔より重力に屈していないだろうか?ジェシカアルバに言われたら、しゃーない。

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ここで、ほとんどの人は、「お前に言われたくねーよ」と思った瞬間にその指摘を遮断する。言ってきた人が「あなたに何か言ってくるが、本来その資格すらない人」の場合、そこから先のPDCAを回すことはない。PDCAを回さないからそこから成長することもない。

言っている本人が間違っているのだから、言っている内容も間違ってるはずだ、とこういう思考になる。そしてご推察の通り、それはとても勿体無い。

1割の、「あなたに何か言う資格のある人」の指摘は、これまで通り甘んじて受け入れればよろし。しかし9割の「あなたに何か言うが、本来その資格すらない人たち」からの指摘を放置するということは、正しいことなのだろうか。

 

人間、誰しも「出来ていないこと」は、7割もある。「出来ていること」の2倍以上だ。てことは、「出来ていないこと」を出来るようになれば、戦闘力も2倍以上になる。今の2倍以上の強さの人間になれるとしたら、それはとても楽しみなことだ。

が、そこに行き着くための道に関して指摘してくれた人の言葉を、「お前に言われたくねーよ。」と9割を遮断していたら、成長機会のうちの9割を放棄することになる。9割の人は、その人に何かを言う資格はないが、言ってくることは至極ごもっとも。

これはとても勿体無いことなのではないか?

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現代日本は、利子が低い。貯金しても、お金はほとんど増えない。投資にはリスクが伴う。だから自己投資をしよう、とかそういう話も良いのだけれど、別に能力を引き上げるだけならそこらへんに無料でいくらでも機会は転がっている。

その一つが、「お前に言われたくねーよ問題」を好意的に解釈し、「ああ、この人は言う資格はないけれど、言ってくれてることはごもっともだな。直そう。さーどーやるべ。」と真剣に考え、行動することなんじゃないかと僕は思う。

ネクタイの締まらない太った上司に言われて「お前に言われたくねーよ。」とは思ったが、確かに当時の僕は服装がちゃんとしていなかった。「お前バカだな」と偏差値「5」のヤツに笑われたが、それはそれとして僕の偏差値「8」は十分深刻だったので、そこから1日15時間ぐらい勉強して受験には滑り込みセーフで間に合った。

僕は9割の成長機会を取りにいきたいと思う。鼻毛ボーボーの人に「鼻毛が1本かすかに出てますよ。」と指摘されたら、「ありがとうございます。では。」と即座に抜いた後、「この30倍があなたの御鼻からこんにちはしております。」と丁寧に返したい。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!