「ワーク・◯◯◯・バランス」について #780


 

社会人の漢たるもの、ダーウィン御大の教えに従って、「変化すべし」と思う今日このごろ。

強い者ではなく、変化した者が生き残るのが生物界の常だし、「強い者が勝つんじゃない、勝った者が強いんだ!」とカール・ハインツ・シュナイダーくん(ドイツジュニアユースキャプテン。翼くんのライバル)も言っていた。

時代は、漢たちに意識と行動の変革を求めている。その代表格が、

「ワーク・◯◯◯・バランス」

と呼ばれるもの。代表的なものは「ワーク・ライフ・バランス」。僕が子どもの頃から社会人初期に至る2000年頃まで、こんな言葉は聞いたことがなかった。全盛期のウチの親父はほぼ家にいなかったし、会話した数さえ、指で数えられるぐらいかもしれない。

でも、今はこの言葉を意識し、行動規範と出来ない人間は1億総ブーイングを受ける時代だ。「ワーク&ワーク&は?バランスって意味なくね?」だった親父の時代、「親父」あるいは「夫」という職業の役割は本当に仕事一辺倒だった。

今はそうじゃない。「ワーク・ライフ・バランス」を考えられないヤツは、ステーキを食べるときにサラダを頼めないヤツという烙印と同じタグを付けられる。メラゾーマばかり連発してホイミすら唱えられない、使えない魔法使いの扱いを受ける。

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確かに女性の社会進出が進み、終身雇用と年功序列の崩壊が止められなくなっている昨今、共働き家庭は一昔前に比べて劇的に増えている。また、モノが一通り行き届いた今では、幸せの基準はモノからヒトやコトに移っている。

畢竟、「仕事は夫、家事育児は妻」という明確な役割分担の境界線はなくなり、どちらもお互いの分野に進出することを強いられるようになった。仕事だけではなく、家庭や育児、趣味のバランスも取ることが「幸せ」とされるようになった。

「ワーク・ライフ・バランス」はその現象を非常に上手く言い当てた言葉であろうと思う。

が、この「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が出てきてからもうすぐ10年。僕はこの言葉を遵守しようとするだけでは、単に「9時−21時で働くよりも9時−5時で働く方が趣味を満喫できてかっこ良くない?」という、ゆとり世代が喜ぶだけの短絡的な方向に社会が向いてしまうのではないかと危惧している。

僕は9時−21時で働いている漢は文句なく格好良いと思うし、そういう人間が今も昔も社会を本当に支えていると信じている。でも、「働くだけじゃダメ」なのは肌感覚としてよく分かる。「ワーク・ライフ・バランス」と言われても、分かるような分からないような気もする。

今日は、この「ワーク・ライフ・バランス」を考える上で、その下位概念となる3つの考え方について触れておきたい。この3つをきちんと理解できれば、「ワーク・ライフ・バランス」を真の意味で体得できるものと思う。

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1、ワーク・「ライス」・バランス

「メシを食うためだけの仕事」もよろしくないが、「メシを食えない仕事」はそれ以上にいかがなものかと、正直僕は思っている。

「自分らしく」、「ありのままに」、「好きなことを」。それをそのままやってきちんと食えている人はいいし、僕はそういう人を何人も知っている。かなりカッコいい生き方だと思う。新しいドローンが出たらすぐ買っちゃう税理士さんとかいるけど、いろんな意味で凄いと思う。

が、「好きな仕事をしている。でも食えない。」というのは、僕のなかではナシだ。少なくとも、家庭を持っているのであれば完全にアウトだ。好きな仕事で食えないということは、好きな仕事ですら価値提供が出来ていないということ。いくら立派な理念を掲げていても、給料を払わない会社からは従業員が離脱する。家庭もそう。

仕事の一つの基準は、ビジョンだパッションだと言う前に、ライスが食えるかどうか、というのは、分かっていてみんな触れない、当たり前の基準なのではないだろうか。ちょっと偏ってるけど。

 

 

2、ワーク・「サイフ」・バランス

「今食える仕事か?」というのは上記で触れた。一方でワーク・「サイフ」・バランスでは、その仕事が「中長期的にサイフを豊かにしてくれるか?」を見る。物理的なサイフだけではなく、人生というサイフを豊かにできるか?それが大事だ。

労働の対価を日次で求める人は日雇い労働者と呼ばれ、月次で求める人はサラリーマンと呼ばれ、年次や3年5年スパンで考えられる人はエリートと呼ばれ、10年単位で考えられる人は成功者と呼ばれる、と言われている。(アカバさんて人が作ったらしい。)

中長期的にサイフを豊かにしたければ、今現在やったことに対して対価の支払いを得られなくても、将来より大きな対価を得られることを信じて時間とお金を投資する必要がある。

例えば大学にいくことや留学は一つの代表格。その期間は、ぶっちゃけ働いてる人と比べると収入が低くなる。がその後は推して知るべし。今の仕事が今の収入にしかつならがないようでは、現状維持どころか競争に巻き込まれて先細っていくのが人生。

企業はこれをよくよく分かっているから、今すぐの売り上げにならない研究開発に余念がないが、個人レベルだとそうじゃない人はとても多い。個人にも中長期的な視野での研究開発は必要。

今のサイフの中身は、大体5−10年前に仕込んだものが花開いた結果だと見て間違いない。別に留学しなくても、例えば朝活、例えば早起き、例えばトレーニング、例えばセミナー、例えば資格取得。未来のための研究開発手段は何でも良い。ワーク・「サイフ」・バランスは、一問一答制ではないため、コレをやればサイフが豊かになる、という簡単なものではないのだ。

 

 

3、ワーク・「ワイフ」・バランス

いわゆる「普通の人生」を歩んでいると、どこかの段階で必ず直面するのがコレ。

VERYなる浪費妻養成雑誌がバカ売れしている現代は、昔と違って「素晴らしいワイフ生活像」みたいなものが過大に広告されてしまっているため、それを実現する家計環境を完璧に提供しきれない夫に対する風当たりは昔より強い。

稼ぎは有限で、VERYが提供するのは無限の欲だ。上流の生活を、なぜか中流家庭でもできますよというアピールにノセられて混乱している家庭は多い。例えば世帯年収1000万で子どもを私立に入れると、結構みじめな目に遭うと僕は予測する。

さて、語弊があるのを承知で一言。

VERYの副作用もあるが、一般的には「妻の要求」に全て応えていたら、夫諸氏はダメになると僕は思う。(稼ぐの夫がメイン、妻がパートなどで家事育児メインの典型的家庭の場合)

もっと休みとってー、もっと子どもの相手してー、でももっと稼いでー、こづかいはもっと下げるけどねー、もっとー、もっとー、もっとー。分かりやすく抽象化すれば、「仕事を人並み以上に減らせ。ただし稼ぎは人並み以上に上げろ。」という、現代日本でヒジョーに難しいことを要求しているのが、妻という家庭内株主の在り方だ。(年間数百人に会う家計の専門家調べ)

企業が研究開発を止めれば、その期の利益は過去最高となる。そしてそういう企業は、そのたった数年後には競争力を維持できなくなって、市場から撤退を迫られる。妻の「もっとー、もっとー」に反応しているだけの夫の末路は、まさにコレだと僕は思う。

休みを取ることも、家事育児に精を出すことも、僕は全く否定しない。僕自身、イクメンという言葉が不要な社会を目指している。娘のお見送りは、僕の専業仕事だ。が、正直に言えば、今の幸せが未来の不幸につながるなら、僕はそれを幸せとは呼びたくはない。

自分を選んでくれた妻を幸せにするために、全てを懸ける。でも、幸せにするために、全ての要求には敢えて応えない。こんな姿勢も大事なんじゃないだろうか。夫諸氏よ、研究開発費は、その必要性を盛り込んだプレゼンをカマしてしてもぎ取れ!子どもにお金かけまくってるわりに自分には一切かけない、そんなお前に未来は微笑まない!!たぶん!!!

もちろん、研究開発費が利益を上回ったらクビ(=離婚)になるけどね。当初赤字は仕方ない。そこまでは説得しましょう。

※うちはあまり「もっとー」がないのでありがたい限り。娘も、「パパ、おかねないからおかしはかえないよね。おとなになったらあたしがかってあげるね。」と言ってくれる。

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ということで、「ワーク・ライフ・バランス」をきちんと実現するために考えるべきは、ワーク・ライス/サイフ/ワイフ・バランスの3つである。

よくステーキ屋で肉しか食わない僕が言うのもなんなんですが。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!