その一手は何年先まで影響力を及ぼすのか? #785


※35歳、6歳、4ヶ月

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最近、「影響力」という言葉について頻繁に耳にするようになった。

人間力があるとか、魅力があるとか、パワーがあるとか、迫力があるとか、人格者だとか、人を表現する言葉は数多くあるけれど、つまるところこの「影響力」を持っているか持っていないかが、ビジネスにしろ家庭にしろ成否を分けているような気がする。

僕の保険という仕事でいうと、この「影響力」がない人はまず例外なく売れない。どれだけ知識があっても、お客さんの意識や行動に影響を及ぼせない人は、苦しむことになる。話はうまいが、全くお客さんに響かない人もいれば、何をしゃべっているかほとんど分からないのになぜかお客さんが超共感しちゃってる、という人もいる。そういう場面を何度も見てきた。

人は知識を得たければネットに走る。でも決断はなかなか自分だけでは出来ない。それが自分の未来を良くすることであってもだ。だからそのお手伝いをするのが僕らの役目なのだけれど、先のこの「影響力」に欠ける人は、その意思決定のお手伝いが出来ない。

「影響力」、大事っす。

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ところでこの「影響力」という言葉。別にぶっちゃけ言えばあろうがなかろうが構わないし、ある人もない人もそりゃ当然いる。僕なんて大して影響力ないのでエラそうに言う資格は全くないのだけれど、最近ちっこい二匹目が生まれて色々考えることが増えた。

人は、自分の「縦の影響力」について、もっと考えるべきなんではないか?

なんつって。

普通に暮らしていると、自分の持つ「横の影響力」については、評価がわりと明確だしPDCAを回しやすい。

自分の発言力は会社でどの程度あるのか?家ではどの程度隅に追いやられているのか?はたまたどちらでも中心的な役割を果たしているのか?

自分が何かをしようとしたときに動いてくれる人や共感してくれる人がどれぐらいいて、またその反対の人がどれぐらいいて、ということは比較的分かりやすい。

自分の意見は課長までしか届かないのか?部長までなのか?取締役か?はたまた社長まで動かせるのか?なんとなくサラリーマンであれば分かっているだろうことと思う。営業マンの成績というのは、「影響力」に比例するため、みんな自分の「影響力」の程度は分かっている。

これらは、自分の生きる時代の、自分の周りに関する「横の影響力」だ。多少の年代のばらつきはあれど、自分が直接及ぼしうる影響範囲の話だ。

ボーリングの球を投げて、数秒後にストライクなのかガーターなのか、スプリットで惜しいことになるのか、結果がすぐ分かりやすいし対策も立てやすい。ここについては皆結構一生懸命考えている。

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一方、二匹目が生まれてから僕が気にするようになったのは、「縦の影響力」だ。

僕は娘たちに、受験させようと思っている。世の中はエスカレーターに乗ってれば良いというラクなもんじゃなく、むしろボートを自分で漕いで方向も距離も決めなきゃいけないんだよということを教える一部として、受験は必須だと思っている。

また、「失敗していいんだよ。チャレンジが大事だから。」というようなことも毎日刷り込んでいる。どうも放っておくとある年齢から急にチャレンジを怖がるのが人間なようで、それは本能的に仕方ないことなのかもしれないけれど、それで歩みを止めてつまらない大人になった人を僕は何人も知っている。そんな人生はブルシットだ。

出来たら母校に入れて、上昇志向のあるサムライな男に、イヤだけど嫁いで可愛い孫をそれぞれ3人ずつぐらい産んでくれたら、それで僕は満足だ。娘には恵まれたが男児がいないので、大リーガーにすべく男児を所望したい。

なんてことを妄想しながらの教育方針があるわけだけれど、よくよく考えたら僕の打っている一手一手は、途方もないほど先の未来にまで影響を及ぼしているということに気づいた。

例えば僕が上記のような教育方針を持つのと、あるいは「勉強なんてくだらない」、「好きなことだけしてればいい」、「(悪い意味の)ありのままで」、「ツラいことなんてしなくていい、楽しいことだけしてればよし」なんてことを言ってたら、少なくとも娘たちの人生は、最初に挙げた事例とは良きにつけ悪しきにつけ全く変わったものとなる。

そして娘たちがさらに自分の子どもを産んだとしたら、そのときに与える教育は、間違いなく僕が娘に与えたものが基準になるはずだ。僕がしていた考え方、生き方が娘たちに継承され、そのまた子どもたちに継承され、それは彼らが大人になったときの生き方を規定するものになる。

つまりは、およそ100年間に渡り、僕の繰り出す一手が「影響力」を及ぼすことになる。これこそが「縦の影響力」。

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正直、自分だけの人生、他に誰も関わらない人生なら、タバコを吸おうが酒麻薬に溺れようが、最悪逮捕されようが、そんなことは自分で責任を取れば良い話だ。

でも、小さな手とそれよりさらに小さな手を見るにつけ、自分という存在がどれだけ長きに渡り「影響力」を持つものなのかということを、まざまざと考えさせられる。

そういえば昨日は「きのこの山」を食べ、先ほどは「ピーナッツパン」を頬張った。自分だけの人生ならそれでもいい。

でもこの習慣が100年後まで影響を及ぼすとなると、食習慣にもメスを入れねばならないなと思う今日このごろなのであった。

100年先まで続いたとして、それが◯なら◯。×なら×、というものをやったりやめたりしたらいいんでないのかね。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!