ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

囲碁のプロ棋士になれる人となれない人の意外な違い #791

time 2015/11/10


 

囲碁を初めて始めてから約1年が経った。そのなかで色んな人に出逢った。「囲碁のプロ棋士」という、過去の人生でカスることすら一度もなかった人種に、何度か出逢う機会があった。

プロはどこの世界でも凄いのだけれど、プロ棋士で言えば、

東大理Ⅲよりはるかに難しい

というのが難易度を表す表現としては適当らしい。

僕は東大理Ⅲどころか文Ⅱにも落ちたし、プロ棋士など雲の上どころか宇宙をミジンコが眺めるレベルなのでそもそも言う資格がないのだけれど、なんとなくこの評価は正しいように思う。

 

理由は、

▼理Ⅲレベルは、地頭のある程度の良さ、勉強の効率、勉強の量があれば何とかなる気がする。ハンパじゃない質と量が必要なことは当然だけど、しかしながら結局は「努力」の範疇に思える。プロ棋士は、上記と同等量の努力に加え、「才能」の範疇でなれるかなれないかが決まる。

▼理Ⅲを目指すかどうかは、主に高校生のときに決める。灘→理Ⅲという選択肢を中学時代から思い浮かべてる人もいるかもしれないが、それはかなり限定された人たち。理Ⅲが確定するのは早くて18歳だし、それを決める16〜17歳というのは、ある意味大人に近い思考が出来る。プロ棋士には、11〜15歳ぐらいでなる。てことは、9〜13歳ぐらいで「プロ棋士」という職業を念頭に置いて努力せねばならない。小中学生にそれが出来るってことが僕には信じられない。僕の友人は16歳でプロになったが、「遅い方なんですよ〜」と言っていた。マジかよ。

▼「東大理Ⅲ」は将来をかなり保証するが、「プロ棋士」は将来をほとんど保証しない。これは「三菱商事に入る」のと「ベンチャーを起業する」のと結構近いかなと思う。勿論東大理Ⅲや三菱商事に入ってもその後は本人次第なのだけれど、その「本人次第度」が囲碁のプロやベンチャー起業とでは全く違うように思える。完全に結果のみで全てが決まる世界と、ある程度の速度のエスカレーターに乗れる世界とではその難易度は同様ではない。

といった感じ。ちなみに彼らプロ棋士は100通りの手が100手先まで見えるんだとか。ベジータがフリーザ様に「ば、化け物め!!!」と言いたくなったのがよく分かる化け物ぷり。初段の僕は、3通りの手を2手先まで読むので頭が破裂しそうになる。

***

プロ棋士になるには、原則的には「院生」と呼ばれる、漫画「ヒカルの碁」にも出てきたプロ棋士養成所を出る必要がある。抜け道もないではないが、塾にいかずに受験に合格したり、独自練習を一人でやってサッカー全国大会に出場するようなもので、その他の道はなかなか厳しいので皆この院生になる。

院生はAクラスを筆頭にいくつかに分かれており、年に1度のトップクラス限定での総当たり戦を勝ち抜いたそのなかの1人ないし2人の勇者が、プロになる。

僕の師匠の一人はこのプロ合格スレスレまで行ったけれど、結局プロになれなかった。「90分を戦い抜いた後の延長戦の後の再延長戦の後のPK戦を20対19で負けるような微差過ぎる敗北」(PKは通常5人でおしまい)を3戦連続繰り返し、夢を断たれた。壮絶過ぎる。

 

さて、トップのAクラスのそのまたトップクラスに位置する、全く互角の実力を持つミッターマイヤー君(仮)とロイエンタール君(仮)がいた場合にでも、院生の先生は「君はプロになりなさい。」あるいは「君にはプロは無理だ。諦めなさい。」ということをどこかで告げなくてはならない。

勿論みんなプロ棋士になりたくて院生になっているわけだけれど、それが仮に合格したとしても将来を保証するものではない以上、先生としても子どもたちの将来の選択に対しては慎重にならざるを得ない。囲碁のプロとしてやってくのが無理な子に、囲碁以外の選択肢を提供してあげるのも先生の役目の一つではある。

では同じような実力の2人に対して、先生は何を基準に「君はプロになりなさい。」、「君にはプロは無理だ。諦めなさい。」と告げるのだろう?勿論実力は大事。しかしそれが2人ともプロ水準に高く、互角だった場合は?

***

院生経験のある師匠の言葉は、少し意外だった。そしてとても興味深いものだった。答えは、

 

囲碁しか出来ない不器用なミッタマイヤー君に対しては、「君はプロになりなさい」

囲碁以外も出来る器用なロイエンタール君に対しては、「君にはプロは無理だ。諦めなさい。」

 

と告げるというもの。同じ実力の2人に、こんなふうに白黒はっきりつけて言うんだって。

僕は逆だと思っていた。しかし真実はそのまた逆だった。

プロ棋士になる以上、必ず壁にぶつかる。その壁は果てしなくぶ厚く、果てしなく高い。そういった壁にぶつかったときに、囲碁しか出来ないミッターマイヤー君は、前進を続け折れても折れても立ち上がり、最終的には壁を突破できるのに対し、囲碁以外もできるロイエンタール君は囲碁以外に逃げ道を探すようになる、というのがその理由らしい。囲碁しか出来ない以上、囲碁に向き合い続けるしかないし、そうではない人はそうではない。

僕は結構「なるほどな」と思った。確かに思い返してみれば、僕の周りでも似たような事象は発生していた。うちのトップセールスは本当に保険の営業マンしか出来ないような人ばっかりだし、中小企業のオーナー社長の多くは、本当にその仕事しか出来ないと思われる人が多い。

つまりは、大きな欠陥があるがゆえに、ある道においては圧倒的な強さを発揮する、ということだ。勿論プロの世界にはイチロー選手や中田英寿さんのように、極めてマルチな人もいるにはいる。けれど、大多数の「プロ」と呼ばれる人たちは、それ以外が出来ないからプロになっているんだということもまた事実だ。

プロは「スゴい人」がなるものでもあるが「それ以外が全然ダメな人」がなるものでもあり、「ダメなところが沢山ある人」は「ある分野でプロになれる可能性のある人」、という視点も、結構面白いのではないかと思った話。

そういえば僕の師匠は「対人」も「タイ人」も全然ダメだ。ブログとかITとか太ももとかは本当にスゴいんだけど。見た目はタイ人なんだけど。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。