なぜ人は教育費を子どもにしか注ぎこまないのか? #806


 

※主な稼ぎ主が旦那さんな一般家庭の場合のお話。逆の家庭は逆に置き換えてくださいませ。

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ふと思ったのでエントリにしてみた。

なぜ人は、子どもに教育費を注ぎ込むのだろう?

あるいはなぜ人は、旦那(もしくは奥さん)には大した教育費をかけないのだろう?

ほとんどの家庭では、子どもにかなりの額の教育費をかける一方で、旦那の教育費はゼロということが極めて多い。

理由の1つは、単純に子どものため。子どもの未来は明るい。子どもの可能性は無限。それは事実だと僕も思うし、お金をかけただけ、ある程度までは学力というのは伸びていくし、少なからず就職にも影響する。

もう1つはお金の問題。子どもの教育費だけで一杯一杯だという家は多い。給料は昔より下がっているし、昔のような将来の保証もない。だから最低限の教育費を子どもにかけるのが精一杯という家は多い。優先順位を付ける能力というのは、人生のクオリティに直結する。この判断はある程度の意味では正しい。

しかし今日は、それ以外の理由に焦点を当ててみたい。僕が過去に累計何千という家庭と家計を見てきて、半ば確信に近い感覚をもっている、「不都合な真実」についての話だ。子どもに教育費をかけ、旦那(や奥さん)にはかけない理由。順不同で述べてみたい。

皆、口には出さないけど、心の奥ではこんなことを思ってるんじゃないだろうか。

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1、「旦那には可能性がなく、子どもには可能性がある」と思っている(思い込んでいる)から

教育費用をかけることというのは、すなわち投資することである。

そして投資というものは、なんらかの形で回収されなければならない。多くの家では、子どもへの投資は回収できると考えているが、旦那への投資は無駄だと考えている。というか、旦那への投資という発想自体がない場合が多い。

これは、本音のところでは「子どもには無限の可能性があるが、旦那にはそれが一切ない。」と考えていることの証左だと僕は考えている。そして、大いなる勘違いであるとも思っている。

子どもの可能性については異論はない。子どもの可能性は無限だ。だけど、旦那の可能性だって同様に無限なのだ。むしろ、過去の経験を持ち、言語をきちんと理解する分、大人の方が子どもより変わるのは簡単だと僕は思っている。

北斗神拳でよく言われている通り、人は自分の潜在能力の5%しか使っていない。今が限界だなんて、どの口が言うのかと思う。

「この家はきちんとしているな。」と思う家庭では、子どもは勿論、旦那への投資をしっかりと行っている。MBAでも、セミナーでも、習い事でもいいんだけど。逆に、「こづかいは3万円、勉強代もこのなかから出してます。」という家には、不安を覚える。勿論、子どもにも旦那にも投資しない家は、少々過激な言い方をすれば、「終わってる」とすら思っている。

 

 

2、子どもへの教育費の投下は、リターンの責任を取らなくて済むから

上記ともつながる話。

人は、自分と近いところに関する投資には費用対効果を求めるが、自分と遠いところに関する投資の場合は、投機となりがちだ。

多くの女性は美容のために化粧品を使っている。その効果がイマイチなら、合う化粧品を探して何度も化粧品メーカーを変える。うちの奥さんも、昔使ってたのと今使ってるのは全く違う。これは、PDCAが高速に回っているからだ。化粧品を使った効果というのは、翌日か遅くとも1週間以内には出る。

自分でやったことの責任を、自分で取ることになる。

ところが、子どもへの教育費というのは、レンジの長い話である。費用対効果はイマイチ不明瞭だ。また、その責任を取るのは、将来的には子ども本人だ。自分のやったことの責任を子どもが取る。これは見方を変えてみれば、非常にラクな話だと僕は思う。

旦那に教育費を投じた場合、その費用対効果を30年後に期待する、なんてことはなかなか出来ない。せいぜい5年以内に、何らかの結果が欲しい。そして、その結果が出るも出ないも、そのこと自体を人は恐れている気がする。

「未来が見えると不安になるけどすっきり見えると怖くなる。」と大黒摩季は言っていたが、物事の結果がはっきり出ることは、子ども以上に大人が怖がる。

なので、ぶっちゃけて言えば、教育費を旦那に投じるよりは、子どもに投じる方がはるかに気持ち的にラクなのである。親としても、「子どものためにやってる感」が出れば、なおのことその逃げ道は正当化される。

 

 

3、「学歴」という言葉を、「学校歴」と勘違いしているから

これは僕も学生時代まで勘違いしていたことなので人のことは言えないのだけれど、大事なことなので触れておく。

「学歴」という言葉は、「学校歴」と通常は解釈される。これは字面的には正しいけれど、実社会で「学校歴」が何の役にも立たないことは皆が知っている通り。

本当の意味での「学歴」というのは、「学習歴」のことだ。

「勉強は学生まで」と思って22歳頃で学びを止めた人と、その後65歳の定年になるまで学びを重ねた人とでは、どちらが「学習歴」が長く濃密で、能力的に上回るかと言えば、当然後者である。

僕が触れてきた家庭や家計のなかで、大きく分ければ旦那が学ぶことに対して、(本人もしくは奥さんが)「義務」であると考えている家と、「道楽」だと考えている家があった。

子どもの勉強は「義務」なので教育費を投下するが、旦那の勉強は「道楽」なのでこづかいの中からやってもらう、と、こういう感じだ。

僕は「学校歴」にも大変お世話になったが、やはり今があるのは社会人になって10年ちょっとで得てきた「学習歴」であったように思う。「学校歴」は、確かにスタートラインを幾分か前に進めてくれたという効果はあった。

しかし、その後のエンジンやブースターになったのは、間違いなく積み重ねてきた「学習歴」の方だった。「道楽」と言われてはたまらないし、絶対にそんなことはないと言い切れる。

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そして最後にもう一つ。

4、旦那が「教育費を俺に割いてくれ!」と予算請求を真剣にしないから

これを目を血走らせながらでも奥さんにちゃんとプレゼンしたことのある旦那は、どれぐらいいるのだろうか?

人は、以前と何かを変えることを、極端に嫌う。家計が昨日と変わるのも、やはり奥さん方は極端に嫌う。当然だ。

にも関わらず、大した決意もないのに「セ、セミナーにいきたいんだけど・・・。あ、いや、ちょっとね。。」と、奥さんの顔色が変わった瞬間に引っ込める程度の覚悟しか持たない旦那、これは結構多い。

現在および未来の家族の状況をもっとよくするために、多少の出費を甘受してでも一歩を踏み出したい。そこに賭けてくれ!いや、賭けにすらしない。100%取戻して見せる!

それぐらいの気概をぶつけないまま、すごすごと背中を丸めて退散している旦那は結構多い。

 

ちなみに僕は、正しいか間違っているかは置いておいて、「自分の教育費に関しては青天井。いかなる異論反論も受け付けない。」というスタンスを取っている。その代わりのコミットメントとしては、「家族の夢は全て叶える。」というもの。結構キツいが、やりがいはある。

東大受かる方がまだラクかも、とたまに思う。

出資してもらうのだから、満足できるリターンを提供するという気概だけは持たないといけない。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!