「クソ多様性問題」について思ったこと #819


 

僕の友人には、「あんた、一体何やってんの?」と眉をしかめながら真顔で言いたくなるような人間が何人かいる。

このブログのAuthorもその一人で、簡単に言うと

▼20代で起業したいと思ってた。

▼そのためにまずは準備と超大企業に入った。で、かなりの高給をもらってた。

▼が、思春期になり、年収が数分の1になるのに辞めてミャンマーに事業立ち上げに行っちゃった。

▼で、ブログを読むと分かる通り、繊細な日本語の読解能力がどうやらかなり落ちてしまった模様。ミャンマーの副作用か。

という、よく分からない人種だ。その行動力よりも、その根っこにある「ネジの外れ具合」に関して、心からの尊敬の念を抱いている。

コードネーム「KGY」と呼ばれる彼に比べたら、多少なりとも「攻めてますねー。」と皆様から頻繁に言っていただける僕の人生なんぞ、保守の塊のようなクソ人生だ。

先日、KGYのプレゼンを聞く機会があり、以前からあった賢さや聡明さに、理不尽な国ミャンマーで鍛えられたのか、以前にはなかった力強さや図太さ、大きさのようなものが追加装備されているのを感じた。

羨ましい限りだった。

KGYのブログには、こんな言葉が紹介されていた。

若者を確実に堕落させる方法がある。違う思想を持つ者よりも同じ思想を持つ者を尊重するように指導することである。

ニーチェの言葉だ。フムフムなるほど、そういうことでしたかと、今更ながらに得心した思いだった。

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過去の自分を振り返ると、僕は基本的に海外も好きだし勉強はするし根は素直だし新しいモノはバンバン取り入れるし、「多様性」を重視している人間だと思っていた。しかし一部に関しては、極めて排他主義だったのかもしれないなと、上記のニーチェの言葉を反芻しながら反省した。正直に言えば、「多様性なんぞクソだ!」と思っていた場面も、思い返してみれば複数あった。

文化祭でクラスの出し物が決まると、みんなで頑張ろう的な空気が醸成される一方、必ず一定の確率で、「ハハハハ歯!何アツくなってんの?」という勢力がボウフラのように発生する。僕はそういう人間が大嫌いだった。

自分がそういうテンションのときもあるくせに、自分が熱を入れていることに対して、その熱量の引き下げを試みる輩に関しては、容赦のないところがあった。

「みんなで成果だそうぜ!」ということが会社のチームで決まったときに、そのチームの長たるボスが全くやる気を見せないことがあった。言葉を選ばず言えば、無気力と無能を掛け合わせて3乗したような人だった。

ご想像の通り、僕はそのボスを結構な勢いで糾弾した。「お役所仕事」が思ってたより全然手強い価値観の掃き溜めのようなものなのだと気づいたのは、この頃だった。話しても分からない人間がいるもんなんだと、ある意味衝撃だった。

そういえば、「言うことを聞かない我が子」を怒鳴りつけている母親は、世の中に結構多い。(父親はあまり見たことない。なぜだろう。)本当にやってはいけないことをやってる場合もあるが、結構な確率で、「自分のやり方とは異なる」という理由だけで怒っているように見える。

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「多様性」という言葉は、聞こえは良いが実現するのはなかなかに大変なものである。大変なものであるからして、僕は時にそれを避ける傾向にあった。

が、ニーチェの言葉ではっとさせられた思いだ。そうか、そういうことやったんかと。

なぜアメリカが強いのか?それは、「多様性」を地で行く国だからだ。肌の色も違えば、しゃべる言語も異なる人たちが人種のるつぼ目指して、さらに多様化していく。正直、「阿吽の呼吸」で通じる日本の方が、情報の減衰が少なくて良いんじゃないの?と思っていたけれど、どうやらそうではなかったみたい。

要は、「同質」てのはとてもラクな状態のことで、「多様性」てのはしんどい状態のことだって分かったワケ。

昔からの級友と話しているとリラックスできる、という人は多い。自分のことを分かってくれる、自分が言わなくても理解してくれる。1年会ってなくてもすぐに昔に戻れる。

でもこれ、恐らくは脳の1%ぐらいしか使っていないにも関わらず、場をコントロールしたり居場所を作ったりが出来ているってことなんだと思う。そりゃラクさ。

しかし、「多様性」のなかに身を置くと、話は変わる。初対面の人が相手の場合、考え方が違う人と話す場合、話す言語や人種すら違う場合、脳の5%ぐらいは使わないといけなくなる。ざっと「同質」相手の5倍。それだけの労力を必要とする。

声は大きくしなきゃいかんし、身振り手振りも交えて話す必要があるし、考え方の違う相手の理解をしたり説得したりをしなきゃいけない。伝えても伝わらないことも多いし、誤解される恐れすらある。そりゃ疲れるわ。

が、「どちらが鍛えられるか?」という視点に立てば、1%対5%なのだから一目瞭然。「多様性」に軍配が上がる。いちいちしんどい思いをしてパワーをかけてコミュニケーションやネゴシエーションをしていることを日常的にやってるヤツらが、弱いわけはない。

日本の若者のパワーが低下しているというのは、元々あった言語や人種の壁に加えて、ネットの進化で「近くにいないけど同質な人」を探しやすくなったからではないかと、ニーチェの言葉を見て思った次第。

そういや最近意識して(ニーチェの言葉は知らんかったけど)「多様性」の環境下に身を置いていたら、ちと自分が強くなった気がしたのも、まんざら感覚値だけの話ではなかったようだ。

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対「同質」では脳の1%しか使わず、「多様性」のなかでは5%を使ってる。その差5倍と言いつつ。じゃあ残りの95〜99%はどうなってんの?と訝しんだ方もいるかもしれない。

そんな当然の疑問を抱いた方には、

 

 

 

 

 

 

 

北斗神拳を学べ!と言いたい。

 

 

 

 

 

 

※人間の潜在能力は、5%程度しか使われてないと言われている。北斗神拳の伝承者だけが、潜在能力の100%を使いこなす術を修行によって身につけている。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!