「はじめの一歩」の幕之内一歩は現実的に存在し得るが、「スラムダンク」の桜木花道は現実的に存在し得ないと思う話 #933


 

そもそもがフィクションである漫画に対してリアリティを求めるなと言われればそれまでの話なんだけど、僕は「はじめの一歩」の幕之内一歩は存在し得ても、「スラムダンク」の桜木花道は存在し得ないと前々から思っているんだよという話をしたい。

ご存知ない方のために、簡単に両方のストーリーをば。

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「おっかしーなー?」と思ったら要注意。「おかしいのはお前だよ」と思うべし。 #932


 

皆さん、こういう経験はないだろうか?

自社製品の営業をしているとき、プレゼンは完璧だったのに、想定していたのと程遠い成果しか出ないことがある。そんなとき、「おっかしーなー?」と首をかしげる。そういうときは、来月もまたその次の月も、同じミスを繰り返すことになる。

テニスをしているとき、ボールがネットにかかる。何度やっても、ネットにかかる。そんなとき、「おっかしーなー?」と思いながら、ガットに指をかけて、ボールがうまく飛ぶよう微調整する。

ダイエットをしていると、思い通り痩せないことがある。ライザップの使用前使用後のように、数ヶ月で劇的に変わることを期待していたのに、数ヶ月経っても使用前の背筋が曲がったままの姿を、鏡の前で見ることになる。「おっかしーなー?」と、本来無くなってたはずの横腹の肉をつまむ。

物事が自分の想定通り運ばなかった時、人は、「おっかしーなー?」と首をかしげながら独りごちる。僕はこの「おっかしーなー?」を人生で数千回、いやもしかしたら数万回以上経験してきたかもしれない。

受験でもそうだった、スポーツでもそうだった。何なら仕事でもそういう場面がしょっちゅうある。その上でたどり着いた結論があるので聞いてほしい。

 

「おっかしーなー?」と思ったら、十中八九、おかしいのはお前だよ。

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人は掛け算に魅力を感じる #930


 

「1つの分野で偏差値80を目指すよりも、偏差値60と偏差値60の得意分野の掛け算で勝負する。」

という考え方を数年前に得て以来、世の中の見方が少し変わってきたように思う。

偏差値80を超えるのは、全体の0.13499%。

高校時代に英語の偏差値80超えの友人がいたり、数学で「◯◯の定理」という、「◯◯」に自分自身の名前が入る定理をアルキメデスばりに開発した人間がいて、素直に「コイツらには一生勝てない」と思ったものだった。

一部の天才や、努力の秀才が集まるエリアが偏差値80という領域だ。

一方の偏差値60を超えるのは、全体の15.866%。これなら何とかなる。「好き」かつ「得意」な分野であれば、この偏差値60を超えることはそう難しくない。

なぜなら一般ピープルに比べてその分野に投下できる時間が「好き」かつ「得意」な場合は相対的に多いからだ。センスなんぞなくても、なんとかなる。

ちなみに、偏差値20を下回るのも世の中の0.13499%。僕の最高記録の「偏差値8」(高3の2学期に記録)ともなると、小数点が3個ぐらい必要な勢いだ。

昔の僕はどこかの分野で偏差値80を目指そうとしていたけれど、そのたびに心折れてダメになっていった。「俺は『あいつら』みたいになれない。無理だ。」そういうふうに諦めたことが、何遍もあった。

偏差値60の掛け算という概念を覚えてからは、少しラクになった気がする。こんな自分でも戦える、という実感が湧いてきたからだった。人は、希望がないと動けない構造のようだ。

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今の日本に必要なのは、「定年延長」ともう一つ、「テイネンエンチョウ」 #929


 

「昔の人の定年って、何歳だったか知ってますか?」

仕事の面談中、ふと聞くことがある。

大体の人は、「60歳ですか?」と答える。「いま65歳だから、前は60歳ですよね。」と。

違う。

正解は55歳だ。1970年代はみんなそうだった。55歳で「定年退職」だった時代があった。55歳から年金をもらっていたのだ。

今は条件付きで65歳定年になり、これからの年金問題や少子高齢化問題、またその一方での従来と比較した寿命の延びを考えると、70歳、75歳への「定年延長」は今の日本に必要な方策であると言える。

昔の高齢者よりも今の高齢者の方が家事や農作業などで腰を痛めたりしていない分、はるかに元気だから、その人たちに年齢をあまり気にせず働いてもらうというのは、理に叶っている。昔の50歳が今の70歳ぐらいじゃなかろうか。

60歳〜70歳の高齢者が消費人口ではなく生産人口に変わるだけで、国としては一気に元気が出てくる。「ここからはあなたの人生は『老後』ですよ。今までおつかれさまでした。おとなしくしていてね。」という宣告をするのは、これからは75歳をすぎた本当のおじいちゃんおばあちゃんだけで良くないか?

「若い高齢者」には、仕事でも趣味でも、何でもいいから「現役」を続けてほしいなと思う。それはきっとその人自身の生き甲斐にもなるはずだ。毎日日曜日というのは、正直言ってかなりツラいのじゃないかと思う。

ただ僕としては、その「定年延長」のためには、もう一つの「テイネンエンチョウ」が欠かせないと思っている。それは、

「諦念延長」

だ。

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ロジカルに考えて正しいか正しくないかではなく、「自分を為すことをどれだけ正しいと思っているか」だ! #928


 

リーダー格の人のなかには、とある面白い人種が存在する。

言ってることがめちゃくちゃで半分以上間違ってるんだけど、なんか正しいことを言ってる気にさせられてしまう人

という人種がそれだ。

僕はこのタイプに人生で何度も遭遇したことがあり、そのたびにアタマがハテナ?になった。ロジカルに考えれば彼らは正しくないどころか、明らかに間違っている。しかしいつのまにか正義が彼らにあるような、そんな気にさせられている。

いくつかの事例を紹介したい。僕が過去に出逢った素敵な上司たちは、そんな人が多かったと記憶している。

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「意識高くて覚悟低い系人罪」の特徴 #927


 

少し前に、盛り上がった時こそ相手の覚悟を秘密裏に確かめようてな主旨の提案をした。

その続きで、今日は「意識高くて覚悟低い系人罪」の特徴について、いくつか触れてみたい。彼らが「人材」ではなく「人罪」である理由は、

こちらが彼らの扱いに慣れていないとその口車にうっかり載せられてしまい、「意識高くて覚悟高い系」ではなく「意識高くて覚悟低い系」だと気づくまでに時間が相当かかり、すなわち何も物事が動かない数ヶ月ないし1年ないし数年を無駄にする可能性が高いから

だ。

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「意識高くて覚悟低い系人罪」の特徴①:知識は豊富

彼らはとにかく知識が豊富だ。話していてとても楽しい。よくそんなこと知ってるね、ということまで知っている。

ドラッカーやコヴィー博士は勿論、マイケル・ポーター、松下幸之助、稲盛和夫、最近で言えば「ストーリーとしての競争戦略」ぐらいは読んでいる。

四書五経や歴史書にも食指を広げている場合もあり、話が尽きることはない。

しかし彼らが何かを成し遂げたこともまた、ない。

 

「意識高くて覚悟低い系人罪」の特徴②:経験も豊富

彼らは経験も豊富である。学生時代からイベントを立ち上げたり、今も複数の案件が仕掛かり中になっている。

いつ話をしていも忙しそうで、いつも何かしらが仕掛かり中である。

しかし不思議なことに、彼らは何もDoneしない。いつもOn Goingである。

 

「意識高くて覚悟低い系人罪」の特徴③:「朝7時からミーティングやろう」というと逃げる

前回のブログにも書いたけれど、彼らは「面白そう!それやろう!」というテンションになったときにすかさず、「じゃあ来週月曜の7時からミーティングやろう!」と言うと、

「いやー、朝早いのはちょっと・・・」とか言い出す。

日時を変更しても、「いやー、土日はちょっと」、「いやー、横浜はちょっと」と色々な言い訳が出てくる。結果として「次のミーティングは3ヶ月・・・ぐらい?また今度!」と不確かなアクションアイテムしか決まらない。つまりは何も決まっていない。

 

「意識高くて覚悟低い系人罪」の特徴④:大体独身である(男の場合)

これは完全に僕の独断と偏見なのかもしれないけれど、なんとなくそういうイメージがある。

で、何でなのかと一応考えてみたが、思い当たるフシが家庭内の些細なやり取りにあったので再喝。家庭の自分以外の人たち(奥さんとか子ども)は、夫、旦那の意識が高いかどうかはどうでもいいと考えている。ある意味で最も成果に厳しいのが彼女らだ。

業界動向や景気などどこふく風。給料が減れば怒るし、生活レベルが下がれば家の中で犬以下に降格される。特にシビアなのが、「些細な約束の履行状況」だ。

「お皿洗っといてね。」と言われて生返事をして、うっかり寝てしまってそのままにすると、翌朝逆鱗に触れる。「パパえいがいこうね、こんしゅうのおやすみのひにね。」と娘に言われて「うんうんわかったよ。」と生返事をしてうっかり週末の予定を入れてしまうと、「パパのうそつき!」となじられる。

つまり、どれだけ意識が高くても、覚悟(=実践)がないと、何も認められないのが家庭という場である。覚悟の有無を常に問われる現場にいる人間は、わりと外界でもそうあろうとする傾向が強いように思う。そうではない人はそうではない性質になりやすいのかも、とちょっと思った。

普段から重力10倍の惑星で鍛えられてるサイヤ人が原則強く、重力1倍の地球人が原則弱いのと同じだ。といっても、完全に僕の思い込みなのかもしれない。また、家族持ちであれば「意識高くて覚悟高い系」なのかというと、当然そんなことはないが。

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「意識高くて覚悟低い系」の人の行動や考え方には共通点があって、言うなれば簡単に守備範囲から出ようとしないという性質がある。彼らは安全地帯からモノを言う。

意識が高いので、結構格好良いことを言う。ところがその実現を本当に志そうとすれば、守備範囲から出て慣れ親しんだ安全地帯の外に撃って出なければならないような項目がいくつも出てくる。

ここで彼らは考える。「なんとか自分の守備範囲から出ずに実現する方法はないか?」、「なんとか安全地帯から指揮だけしてて現場に出ずにやる方法はないか?」

これらの問いがクリエイティブにはたらくことは、理論的にはありそうだが現実にはまずない。本当に「守備範囲から出ずにやる方法」や「安全地帯から安全に指揮しながらパフォーマンスを出す方法」が生まれることは、残念なぐらい少ない。

いつか一緒に会社を作ろうと約束していた竹馬の友と、「一緒に起業しようぜ!そうしよう!」とがっつり握手して起業した次の日から、相方が「じゃ、俺ハワイで1年戦略立案してくるわ。」といっていなくなるようなものだ。

資金調達や営業という地道な話になると、途端に行方を眩ます。彼らは、泥臭いことはとても嫌がる。いつも「格好良いやり方はないのか。」と、ありもしないラボーナみたいなプレーを探している。

とある僕が支援してる会社のメンバーが、当初完全に「意識高くて覚悟低い系」だったので、雷を何度か落としたことがあった。いまでは、中身が変わったかは分からないが、そこの社長の髪型は変わっている。

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覚悟を証明するには、「髪型を変える」のが最も説得力を持ったやり方になり得るのだと、この社長に教えてもらった。

そこからこの会社の快進撃がはじまったのは、言うまでもない。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

「俺たちずっと一緒だよな!」系の言葉は1学期の最初に言わない方がいい #926


 

僕は、「俺たち、ずっと一緒だよな!」といった類いの言葉が大好きである。体育会系というか、むさくるしい系というか、今の日本にはそういう無意味なアツさが足りない。みんなどんどんアツく叫んでほしい。

んが、それはそれとして、その系の言葉を吐くのは、時期や段階を考えないといかんなと思う今日この頃なので触れておく。

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テニスがヘタな人は、ボールに対して頭が高い #925


 

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僕の弟は、元プロテニス選手である。インターハイには出てたしインカレもベスト4になって、そのままプロになった。

小さいときはよく一緒にやっていたが、明らかな実力差が出てからはなかなか一緒に打ってくれなくなった。「兄ちゃんと打つと球が遅すぎてヘタになるから。」というのが理由だった。

ちなみに僕の球は、テニススクールやサークルではかなり速く重い部類に属していたことと思う。つまりはそれだけのレベルの違いがあった。

そんな弟にたまに打ってもらうと、よく言われることがあった。

「カラダ開きすぎ。」

「ボール見てなさすぎ。」

「膝曲げてなさすぎ。」

「構えるの遅すぎ。」

当時の僕は、「いや、そこ修正しなくても、もっとお手軽なやり方でお前(弟)と同じぐらい打てるようになるやり方を教えてくれ。」と、兄のくせに弟に反発していた。

打ち損じては同じことを注意されるのに、僕はひたすら「おっかしーなー。おっかしーなー。」と首を傾げながら、自分の致命的な弱点をそのままにして、そしてあわよくば上手になろうとしていた。

弟はいつもそんな兄を見て、深いため息をついていた。

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「ショーンショック」におけるホラッチョ氏の功罪をチェケラッチョ #924


 

ショーンショック!!!

1週間ほど前、午後10時のお茶の間のちゃぶ台がひっくり返る事件が起きた。

完全ハーフだと思っていたら純正日本人で、ハーバードMBA卒だと思っていたら短期コースの聴講生で、世界的コンサルだと思っていたらどうやらオフィスも存在していないらしいと話題のあの方。

学生時代のあだ名は「ホラッチョ」だったらしいが、巷には彼の「罪」についてしか言及しない輩が多い。悪い部分はあったと思いますよ確かに。

だけど、しっかりと「功」の部分にも焦点を当ててこそのジャーナリズムではないかと僕は思っている。

ということで、「ショーンショック」におけるホラッチョ氏の功罪について、この駄ログにおいてチェケラッチョしてみたいと思う。

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