ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

なぜか「出世する」ことが自分のなかで決まった話 #856

time 2016/01/14


 

新年明けましておめでたかった10日前、御成門から程近い愛宕神社にお参りに行ってきた。

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ここ数年は同僚たちと行く恒例のお参り先になっていて、なぜかというと上の写真に書かれている通り「出世の石段」があったり、とにかく「何やら出世につながるご利益があるらしい」ということがまことしやかに言われているため、ノセられる形で毎年行っている。

ご存知の方も多いと思うけれど、この「出世の石段」はかなり急で段数が多い。新年早々に「壁をぶち壊し障害を乗り越える漢」をアピールする意味では絶好の場所だ。

3代目将軍徳川家光がこの階段を見て、「誰か上まで馬で行って咲いてる梅を取ってこいや。」と無茶ぶりをしたら、家臣一同は死亡フラグ確実なこの無茶ぶりに一同下を向いたが、曲垣平九郎という普段から馬を乗り回してる若者が気合いを見せて家光に梅を取ってきたら「あいつ、すごくね?お前ら見習えよ?」とたった1日で全国デビューしたという逸話が残っている。

ちなみにこの話は眉唾じゃないかということで実例でチャレンジしようとした人がいて、上りは1分で意気揚々と登ったが、帰りは45分もかかったそう。もはやギャグ。下から見ても相当に過酷な階段。

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登りきった後も参拝までになんと1時間半ほど並ばねばならず、どんだけ出世したいヤツ多いんやねんと文句の一つも言いたくなった。

***

んで、実は「出世する」ということに関して、少しだけ心境の変化があったことが新年の最初の発見となった。前まで「出世する」てのは、どこかこう「お金を稼ぐ」とか、「一流企業に就職する」みたいに、一種の

ダサいこと

のように捉えてるフシが僕にはあった。

「お金が全てじゃない」、「一流企業だけが企業じゃない」みたいな形で、「出世だけが人生じゃない」と思っていた。そのためだけになりふり構わず突き進むのは、どこかかっこわるいことであるように考えていた。

それは確かにその通りなんだけど、でもそうじゃないかもしれないなと思うようになったのが今回の参拝。

最近、心に決めたことがいくつかある。自分のこともそうだし、娘たちの未来に関することもそう。平たく言うと、

「日本を変える」

ことに対しての本気のコミットをした。なんで?っていうのは、話が長くなるので覚えてたら僕に会ったときに聞いてみてほしい。まぁ、そういうことを決意する機会に、2015年は恵まれたということだ。決意に至るまで関わってくれた皆さん、どうもありがとう。

勿論、何をどうすれば良いかはまだ全ては見えていない。出来ることと出来ないことがある。自分は依然力不足だし、フリーザ様を倒したいと言ってるのにまだ亀仙流の甲羅を背負って修行している最中だ。

日本や日本人の問題は、簡単に言うと表出している色々な問題以外に、というかその根っこの問題として、形而上での「意識改革」と形而下での「行動改革」が必要だ。逆に言えばそれさえ出来れば、日本は引き続き世界の一線で戦えると信じている。多少人口が減ろうが、多少資源がなかろうが、無問題。日本にも日本人にも、それだけの潜在能力がある。

なのでこれからの僕の行動は、その「意識改革」と「行動改革」を身の回りの人間から、自分のアクセスできる範囲の人間からどのレベルで行うことが出来るかに集中していくことになる。ちなみにご想像の通り、このブログもその一環。世の99%を占める凡人な皆様に、凡人中の凡人が開発、発見した思考の軌跡を公開し、凡人の到達しうる頂点に皆でたどり着くのが目的だ。

そう考えると、出来るだけ多くの人に影響力を発揮できる人間にならないといけない。一言で言えば、「出世する」ということをしなければいけない。「偉くなる」とか、「昇格する」とか、「年収1000万稼げるようになる」ではない。

「世に出る」

ということをしなければならない。

井の中の蛙がどれだけ吼えても、井戸の上からたまたま覗き込んでいる人にしか声は届かない。大したことのない人間に、大したことを言われても何も響かない。日本を変えるには、まずそのための第一歩どころか大前提として、自分が世に出ていなければならない。

どういう形かは分からないけれど、それがなんとなく確信に変わった愛宕神社。

***

そう、なので今年は、「世に出る」ための準備期間とする。

本来「出世する」ってのは「世に出る」ということを差していたはずなのだけれど、それをいつの間にか「一流企業で偉くなる」とか、「沢山稼ぐ」という現代風の解釈にしてしまっていた。

そうではない。まさに、「世に出る」。これをこの1年やっていく。

「出世したい。」

そう思うようになったのは、10年以上ぶりぐらいかもしれない。今度は本当の意味での出世として。

 

お賽銭箱までたどり着くと、なんとEdyでお賽銭が出来るようになっていた。これはさすがにやり過ぎだろうと思った。出世の決意は揺らがないが、宗教というものに対しては改めて失望した。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。