平成5年 冬の敗戦 #874


 

タイトルは今読んでる「昭和16年 夏の敗戦」のパクリ。

大東亜戦争時、日本は昭和20年に敗戦を経験した。

しかし実は、軍や官僚の若手エリートを集めた「総力戦研究所」においては、昭和16年の時点で、

「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」

という驚くべき史実との一致性を持ったシミュレーション結果が出されていた、という話。外れていたのは奇襲だった真珠湾攻撃と原爆ぐらいなものだったとか。

今近現代史を洗い直し中なので、このへんの本はしばらく何冊か読んでいきたい。右でも左でもなく、ど真ん中をいくためには、きちんと自分の国の歴史を知らねばならないと思っている。

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さて本題。23年前の今日。僕は中学受験1日目を迎えていた。

迎え撃つ敵は武蔵中学。

「武蔵にいくと男子校だからモテるらしい」というおかん情報を受けて、栄えある初日の相手とすることにした。

結果は惨敗。たしか普通に実力不足で落ちた気がする。

 

2月2日はたしか慶應義塾湘南藤沢中学を受けた。

「慶應にいくと、KOボーイだからモテるらしい」というおかん情報を受けて、栄えある2日目の相手とすることにした。

結果は惨敗。たしか普通に実力不足で落ちた気がする。

 

2月3日は学芸大学附属世田谷中学。

中学受験は何故だから分からないが、この2月1日〜3日だけしか候補がなかった。他にも開成、麻布、筑波大駒場などが候補にあったけれど、よく分からないうちに受けないことになっていた。

んで、武蔵、慶應湘南藤沢ともに落ちたので、もう後がない。もともと成績的にはかなりキツい志望校だったので仕方ないが、やっぱり小学生の身には堪える。

もともと、「日本の東に位置する海はなんと呼ばれていますか?」という問いに対して、「東京湾」と答えるようなレベルの小学生だったから、仕方ない。

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僕は次の日が受験最終日だというのに、自暴自棄になり、「ドラクエⅤ」をやっていた。本来は受験が終わってから解禁だったはずなのだけれど、もう我慢出来なくなっていたのだ。しかたない、「ドラクエⅤ」と言えば、「ドラクエⅢ」、「ドラクエⅣ」の続編だ。

当たり前だと今の人は思うかもしれないけれど、あの偉大なる作品たちの続編を発売の瞬間にプレイしていないということは、当時の少年たちにとって、

「ジャンプの内容を月曜まで把握していない」ことや、「学校でう◯こをする」ことや、「好きなコの笛を舐める」のと同じぐらいあり得ない、犯罪に近い行為だという認識だった。

僕は受験ストレスから、「ドラクエⅤ」を解放して現実から逃げていた。

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気づいたら、おかんが隣で叫んでいた。

「カンボジアはココよ!ココ!分かった!?覚えた!?ねぇ聞いてるのあんた!!!」

僕はビアンカかフローラのどちらを選ぶかに頭を悩ませながら(※)、片耳だけでおかんの相手をした。

※「ドラクエⅤ」では、青少年向けにしては珍しく二股が可能だった。明るいアナチックな金髪の美女ビアンカと、おしとやかでお嬢様なエルサタイプのフローラと、どっちでも好きな方を選べるという贅沢な悩みに当時の小学生はみんな悶えた。こんな奇跡があるのか、と、何度も悶えた。

なぜおかんがカンボジアの位置を叫んでいたかというと、当時は「PKO=国連平和維持活動」がテレビのニュースの全盛だったからだ。PKOのカンボジア派遣についての話が、時事問題で出るとおかんは踏んでいた。

「ココよ!ココ!ちょっと!片目だけでいいから見なさいってば!!!」

メラミとベギラマのどちらを使うかを悩んでいる僕に対して、おかんが叫び続ける。そして僕は仕方なく、片耳と片目だけ、おかんの示す世界地図に向けることにした。

おかんはキレながら、なんとか僕にカンボジアの地図を見せることに成功した。

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果たして、学大附属世田谷の試験で、なんとカンボジアの位置が出た。

僕は記憶を呼び覚まし、記憶にあったドラクエの地図を、世界地図に書き換えた。

うーん、どっちだったっけ?どっちかがカンボジアで、どっちかがビルマ。うーん、うーん、うーん。。

 

当てずっぽうで書いたが、まさかの当たりだったらしい。

僕は、晴れて補欠で学大附属世田谷中学に入学することになった。

その後、高校はまともに受かったが、サッカー部では最後には補欠、大学入学も補欠、テニスサークルでも補欠、最初の就職もほとんど補欠と、なぜか補欠人生を歩むようになった。

しかし寸でのところで小指一本分だけかかった合格だけは勝ち取る勝ちグセみたいなものは、この中学合格のときを最初として身に付いたもののようだった。

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何を言いたいか?

人生は、ほんのちょっとしたことで変わるという、とても当たり前のことを言いたい。

僕がもしカンボジアの場所を覚えていなければ、当然のことながら学大附属世田谷中学には受からなかったし、その後の高校、大学進学もなかった。

奥さんにも会ってなければ娘とも会えなかった。勿論、今の仕事はしていない。

人生とは、なんと些細なことで変わるものなのだろう。

おかんの一言が、こんなに重みを持つなんて。

 

おかんは「あたしがカンボジアの場所を教えたのよ!!!」という話を、かれこれ1000回以上は周りのあらゆる人にしている。

僕がある程度の高さまで上り詰めたとしても、必ずこの話は大声でされるに違いない。

平成5年 冬の敗戦は、結果的にその後の高度成長をもたらした。

受験生の皆さん、頑張ってください。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!