ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

良いセミナーをきちんと高く売らねばならない理由5選 #883

time 2016/02/10


 

良い商品には良い値付けが必須。「値決めは経営である。」と稲盛和夫さんは言ったが、まさにその通り。

ところが、なかなかこれがうまく出来ない。大したことのない商品力なのに、やたら高いものが世の中には跋扈している。

僕が思う代表例は家。特に東京は高過ぎる。大したことない設備、大したことない広さにも関わらず、月10万は軽くかかる。あとはキャバクラ。なぜあんな高い額を払ってまで話を聞いてほしいと思うおっさんがこんなに多いんだろう?需要があるからその価格で供給されているのだとは分かっていても、なんだかなぁと思う。

また、直接的に経営の話ではないものの、やる気のなくなった人たち(老若男女問わず)の人件費。特に大手一流企業。寄生虫としか思えないような人たちに多額のお金を払う意味が、どこにあるのかと毎回思う。

「過去の貢献に対する返報生が」といっても、そういう寄生虫系の人たちは実際問題、あまり会社の業績に貢献してきてないはずだ。安くてアホみたいにバリバリ働く20代とかにお金をもっと払った方が全然業績は上がると思う。実際は年齢の問題というわけでもない。こないだお会いした70代後半の元経営者は、ハンパないパワーがあった。

ちなみに僕が頻繁に参加している各種セミナーでも、ある過去の偉人を招聘しただけで中身がなく、にも関わらず1日10万を請求するものや、観客をドームに集めて群衆的興奮を味あわせるだけのセミナーが数十万したりするものがあった。

自己投資を「事故投資」だったと割り切るしかないが、ただで起き上がるのも癪なので、そういうセミナーの長所を欠点と集客方法を徹底的にコピーしてやった。

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んで、一方では需要と中身がしっかりあって供給が限られている(提供できる人がその人しかいないから)のに、不自然なぐらい安価なセミナーもあった。

今までは不必要に高いセミナーもいかがなものかなと思っていたけれど、不必要に安いセミナーを体験したことで、実は前者にも相応の利点があったことを痛感することになった。

結論から言うと、高過ぎるセミナーも、安過ぎるセミナーも、あまりよろしくはない。高過ぎるセミナーは高いからよろしくないのであるが、安過ぎるセミナーは、ちと理由が異なる。

良いセミナーであれば適正な値付けをした方が良いと思う理由については、以下が考えられる。適正というか、ちゃんと高く売るべきだと僕は思っている。

ちなみにほんとかどうか知らないけれど、銀座にあった売れない宝石店(質は良いものを扱っていた)が、あまりに売れないので潰れる覚悟で価格を10倍にしたら、飛ぶように売れてあっという間にV字回復どころか企業価値が何倍にもなってしまったという話もある。

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1、「UKC」が来る

安いセミナーには、「UKC」な人が来やすい。UKCとは、「薄い」、「軽い」、「チャラい」の3拍子揃った人間のことだ。

「なんか得になればと思ってぇ。」、「ラクして稼ぎたくてぇ。」、「仕事なんてやってられなくてぇ。」みたいな人が来てしまう。セミナーの質は、45%ぐらいが講師の質。講師がレベルの高い人であることは必須だけれど、それ以上に大きいのが残り55%を占める参加者の質だ。

UKCは結構影響力だけは大きいことが多いので、要注意だ。

ちなみに、見た目がUKCの人間とはこういうヤツだが、ここで言ってる必ずしも見た目だけの話ではない。人間としての話。

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2、「ZTK」が来ない

当然のことながら、セミナーをやるからには意識高い系、覚悟高い系、熱量高い系、コミットメント高い系、コミュニケーション力高い系の人(=「ZTK」、「全部高い系」、「ズィーティーケー」と読む。)に来てもらった方が良い。

しかしZTKは、あまり安いセミナーには行かない。なんでか知らないけど、安いセミナーには行かない。

つまり、安いセミナーにそういう人はあまり来ない。あるいは、UKCは高いセミナーには絶対に行かない。労せず得ばかり狙う人種が多いからだ。

うまい具合に住み分けられているのがセミナー業界なので、どちらの属性の顧客を得られるかは、値付けで決まる。

 

3、潜在的、顕在的クレームが増えやすい

集客の時点で間違えると、セミナーのデリバリにも影響が出る。

「低価格者」(=低所得者じゃないよ)は、コスパに厳しい人たちのなかで、ちょっと勘違いが甚だしい人のことを指す。低い価格を払ってるだけなのに、その代償をはるかに超える価値を求める人のことだ。その人の収入はあまり関係ない。「低価格者」は、「高クレーム者」と一定確率で相関する。

ハイヤーが道を間違えてキレるのならまだ分かるが、タクシーに乗っているのに運転手さんのちょっとしたミスにキレる人がいる。高級レストランのウェイターさんがワインの知識がなかったら怒っても良いかもしれないが、松屋の店員さんが間違った料理を持ってきても、まぁしょうがないではないか。

ちなみにこういうことは言うべきなのではないかもだけど、僕は医療保険一本のために何度も担当を呼び出し、挙げ句の果てに設計だけさせて最寄りの代理店で入る、みたいな人を見ると、吐き気がする。「結局あなたの会社で入るんだからいいでしょ?」と。「低価格者」は、「お客様は神様面(ヅラ)」をすることが確率的には極めて高い。

高価格のものを買う人は、商品に対するリスペクトをきちんと持っている。それは必ずしも完璧なものを求めるということではなく、人間のやることである以上一定のミスや間違いがあることも理解した上で、その商品から来る満足を最大化するためにクレームという形ではなく自助努力を伴って完結させることができる。

安く提供してるのにクレームという形になりやすいのだとしたら、たまったものではない。マックとか、企業としてはあまり好きではないけど、その低価格路線がゆえにワケの分からない顧客を呼び寄せてるということも考えてあげるべきかと思う。

クレームを言う人は、クレームを言ってる自分自身が一番不幸だということになかなか気づかない。

 

4、成果が出にくい

集客でミスり、デリバリで誤解が生まれ、挙げ句の果てには成果が出ない、ということが、安いセミナーでは起こりやすい。

そりゃそうだ。UKCが集まり、大した対価も払わず、コミットメントも低く、な状態で、いくら良質のコンテンツを提供したとしても、セミナー以降に参加者の意識や行動が変わることはあまり期待できない。

結果として、そのセミナー自体が失敗ということになってしまう。顧客が成果を出せないセミナーはあまりうまく行ってるとは言えない。

勿論、セミナー中の時間に全力投球すれば、ある一定の化学反応は起こすことができる。しかし参加者の人生はそこから先もずっと続いていくのであり、講師がその全てに影響を及ぼせるわけではない。とすると、結局のところ参加者の心にずっと消えない火を灯すことができるかどうか、が勝負になる。自主性の育成、とも言うべきか。

そうすると、ある意味でいうところの「十字架」を背負わせることは、講師としての務めになるのではないかと僕は思う。「あんだけ勉強したから」、「あれだけ払ったから」、「他の皆もあり得ないぐらい頑張ってるから」など、理由はなんでもいい。

◯◯したい、もいいけど、◯◯せねばならない、にならないと人はマストでは動かない。ある種のプレッシャーに、支払ったお金はなると思うのだ。ちなみに僕は大体、払った額の100倍〜1000倍を取戻そうと毎回思っている。

 

5、掛け算の結果が大したことない

これは僕の思い込みの話なので、あまり参考にはならないかもしれない。

「コスパ」という言葉は、「コスト」と「パフォーマンス」に分けられる。んで、「コスパ重視」という言葉も、実は2つの意味を持っている。

簡単に言うと、頭のなかで

コスト>パフォーマンス(コスト重視)

の人と、

コスト<パフォーマンス(パフォーマンス重視)

の人に分かれる。

前者のコスト重視型にはUKC系の人が多く、後者のパフォーマンス重視型にはZTK系の人が多いことも付け足しておく。先に僕は1セミナーにつき、100倍〜1000倍の効果を見込んでいるといったけれど、つまり

5千円のセミナーなら最低50万の効果を見込んでいるのであり、

5万円のセミナーなら最低500万の効果を見込んでいる、

ということだ。

単純比較で、5千円払って50万得られるのと、5万円払って500万得られるのだったら、僕は後者がいい。そして5万円も払うと成果出ないと腹立つので500万を狙うが、5千円だと払ったことすら忘れてしまい、結果として50万すら手に入らない。

自称ZTK(能力は高くないが、意識と覚悟だけは高い系)の僕としては、あまり安いセミナーは、それだけで損していると思う。大体そういう人は、与える価値じゃなく、かかってる原価で値決めをしちゃってるんじゃないかな。

以上が、あたくしが良いセミナーは良いセミナーなりの価格にすべきと感じる理由也。

「セミナー」という部分を、それぞれ必要に応じて「コンサル」、「商品」、「勉強会」などに読み替えてくださいまし。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。