えーとですね。

囲碁始めて1年3ヶ月で三段になりました!

 
おしまい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・・・と高らかに自慢したかったのだけれど、もう少しだけ続ける。
実は一応結果として三段にはなったのだけれど、四戦中、二勝すれば合格できるのが囲碁の試験。さらに言うと、二勝のうち一つは対戦相手不在の不戦勝で、もう一勝はなんとかガチでぶつかって勝ったという、なんとも言えない補欠合格。
まぁ、僕の人生中学受験、高校部活、大学受験、大学サークル、就職1回目と、全部補欠なので、今回もよしとしましょう。補欠でも運でも、とにかく小指一本分土俵際に残って勝つのが僕の人生だ。
が、今日の話はそこではない。
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囲碁界では通常3−4年かかると言われる初段を、僕は半年で取った。ちょっと才能があるのかも??と思った矢先、「3ヶ月で初段獲得プログラム」がスタートしてしまい、あろうことかそのなかから数名の合格者が出た。僕は半年で初段、彼らは3ヶ月で初段だ。
所詮、ひとときの夢だった。いい感じの夢だった。「スゴいですよ半年で初段なんて!」と先生からもライバルからも、色々な人から言われて舞い上がってたが、3ヶ月で初段が量産されてからは、誰も僕に見向きもしなくなった。
んで、悔しいので運だけ(とちょっとの実力)で三段になってやった。久々の全能感!
勝利に酔いしれていたら、後ろからふと声がした。
「ごうかくちまちた〜」
振り返ると、そこにいたのはごく普通の4歳児。
しかし彼が受かったのは二段だった。え?え?なんて?
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興味が湧いた僕は、合格して暇になったであろうその子(仮に「神童くん」とする)に声をかけ、師匠の一人と対極してもらった。あまりの強さに、師匠は度々頭を垂れていた。髪型がナウい。
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神童くんは、明らかに僕より強かった。囲碁の試験は、ちょっとしたバイアスにまみれている。大人は自分の実力よりちょっと上の段を受け、子どもは自分のそれよりちょっと下の段を受ける。
子どもの場合は、我が子に成功体験を積ませたいと願う親御さんの思惑が働き、おそらくは合格するであろう段にしか出さない。なので、二段に余裕で合格するということは、おそらくは三段、ヘタをすると四段か五段の実力があるということだ。
師匠も多少いっぱいいっぱいになっていたが、なんとか最後は勝利。
驚くことに神童くんはまだ言葉もろくに話せず、碁盤の端まで手が届かない。手も小さいので碁石もしょっちゅう落とす。にも関わらず、僕が必死になって覚えた定石や、本を読みまくって覚えた手筋を華麗に使って師匠と戦っていた。
親御さんに聞くと、「本人なりに理由があってあそこに石を打ってるみたいですよ?」とのことだったが、驚いたのは親御さんは両方とも囲碁が全然出来ないということだった。
つまり、神童くんはたった一人で、字もほとんど読めないのに、大人である僕が必死になって身につけた実力に恐らくは倍するチカラを持ったということだ。
しかも驚くことに、始めたのは2015年の5月から。当時3歳なのでルールもろくにわからず、まともに打てるようになるまでにそこから2ヶ月はかかったとな。つまり、実質はルールを理解してからたったの7ヶ月で二段(本当は恐らく三段か四段)までたどり着いたということ。
正直、ぶったまげた。
これが才能か、とある意味で初めて理解した。
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このあと、実は更に驚くべきことが起きた。
僕の隣にいた小学生の男の子(仮に「秀才くん」とする。)が四段に合格したというので、神童くん(4歳)対秀才くん(小3)の対極を見られることとなった。
秀才くんは四段合格者。さすがに勝つだろうと思っていたら、なんと神童くんが勝ってしまった。ほとんどしゃべれず、ほとんど碁盤の端まで手が届かないのに、恐ろしい勢いで打って相手の石を取りまくっていく。どうなってんだこれは。
打ち終わったあとの秀才くんは、さすがにちょっと悔しそうだった。神童くんはというと、とくに何もなかったかのように親御さんのもとに顔をうずめにいっていた。そうだった、神童くんは4歳だったのだ。
後で聞いたら、こういうレベルの子が「院生」(ヒカルの碁などで出てきたプロ棋士養成機関)となり、そのうちのほんの一握りがプロになるんだという。
オーマイガ、なんて世界だ。スゴすぎて気持ち悪くなる。何人かいるプロの知り合いたちを、改めて尊敬した。
***
僕は神童くんに期待している。なんかメッシの幼少期を見たような、そんな心の高ぶりを感じている。これからウォッチしよう。
そして実は秀才くんにも期待したいと思っている。秀才くんは恐らく、あれほど歳の離れた子にボコられたのは、初めての経験だったことだろうと思う。顔がそう言っていた。
しばらくは引きずるかもしれない。心が折れたかもしれない。人は、後ろから高速で追い上げられ、並ばれたときに、「コイツはモノが違う」と、心の折れる音を聞く。
でも、多くの一般人にとっては、そこからが勝負だ。ほとんどの人の人生は、心の折れる音を聞いてから始まる。
「才能」というのは、改めて思い知ったけれど、確かに存在する。完全に神様の気まぐれで、一握りの人に、分け与えられる。それは、容易には覆せないものなのかもしれない。でも、きっとやりようはあるはず。
世の中の「才能」がみんな、それを開花させることに成功しているわけではない。光が強烈な分、闇も深くなる。持ち上げられるだけ持ち上げられて、親も含め誰にも欠点を直されないまま突然ハシゴを外される可能性もある。
「天才」と呼ばれたサッカー選手の大半は、大成していない。一方で高校時代無名、Jリーグに入るときもドラ6ぐらいの選手が、日本代表になったりしている。
秀才くんは、そういう「才能」に恵まれたヤツらを将来ぶっ飛ばす資格を手に入れたわけだ。なぜなら彼は負けた。完膚なきまでに。
負けの味を知ってるヤツは、強い。心が折れたことのあるヤツは、折れたあとのリカバリの仕方を身につけることが出来る。秀才くんはものすごく素直な良い子だったので、このへんの技術を身につけることは、そう難しくはないはずだ。
神童くんと秀才くん、僕は将来に向けて2人の楽しみな人財を見つけることができた。
自分が三段になったことなど、すっかり忘れていた。社会から引退した方がダイヤの原石を見つけたときの胸の高鳴りは、こういうものなのだろうか。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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