知覧に行ってきた話その2(俺の歴史観 少年期編)#889


 

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※知覧に行ってきた。このエントリでは、日本の歴史・・・の前に、僕の歴史観の歴史について触れておきたい。戦争とか歴史とか日本とか右とか左とか、そういうものに30歳ぐらいまで一切興味のなかった僕が、「悲しいまでに盲目的に幸せな日本人」の目線で書くことに、一定の意味はあろうかと思う。

知覧に行ってきた話その1(出来事編)はこちら

 

僕はずっと日本が嫌いだった。そして今は日本が大好きだ。なぜそうなったのか、について、少し書いておきたい。対象は、日本の歴史そのものではなく、日本の歴史に対する僕の認識の歴史だ。

人の価値観というものは、そう簡単に変わるものではない。出会い頭の印象が最悪だった不良が、よくよく見れば落ちてるガムやゴミを拾ってて良いヤツだった、というのとはワケが違う。

長年刷り込まれてきたものが実は正しくなかったと気づいて、それをそこから覆して正しいものを刷り込んでいくのには、短くない年月と、少なくない労力がかかる。なにより、自分が正しいと思い込んできたものを疑うというのは、結構疲れる。

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僕は1980年に生まれた。ざっくり言うと、

小学校は公立、中学高校は国立、大学は私立と、奇跡的に浪人することもなく進学することが出来た。DQN親ではなくDQNな友だちもおらず、いわゆる「まともな教育」は受けてきた方だと思う。(特に同じ小学校〜高校の人はFacebook申請お待ちしております。)

初めて「歴史」というものを認識したのは、「まんが 日本の歴史」を読んだときだったと思う。縄文時代に狩った獣の肉を頬張る原始人の子が羨ましく思え、織田信長や武田信玄、上杉謙信などがとても格好良く見えた。

江戸時代ぐらいになるとタヌキ親父化した家康の出現で一気にトーンが下がり、明治維新や大戦になると、なんだかロマンが消えたような気がして、大して面白いとは思わなくなった。

まぁいずれにしろ、僕には関係のない遠い世界の話だった。「歴史」は、「社会」という科目のほんの一部を構成しているだけだった。

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中学生になると、覚えることは多くなった。各イベントの理由はともかくとして、受験のために年号を覚えることに必死になった。

相変わらず歴史に関する授業は近現代史が欠落しており、現代とほとんど関係がないであろう卑弥呼や邪馬台国、平安時代、室町時代の話に大量に時間が割かれた。ヒミコでもエミコでも僕はどっちでも良かったのだけれど、とにかく年号を覚えまくった。昔は「良い国つくろう鎌倉幕府」だったのが、いつのまにか「良いハコつくろう鎌倉幕府」になっていたらしい。

「何が起きたか」は結構覚えたが、「なぜ起きたか」を学ぶことは、ほとんどなかった。鎌倉幕府は源頼朝が作りたくて作ったのであり、江戸幕府は徳川家康が敵がいなくなって暇になったから開いたのだ。日本は内向きな人間が多かったから、鎖国をした。そして陽気なアメリカ人に影響されて、開国した。

日本は真珠湾を攻撃して、第二次世界大戦を引き起こしたらしいと習った。太平洋戦争で正義の味方アメリカに挑み、日本は完膚なきまでに叩かれ、反省してちょっとだけまともな国になったと習った。そうか、日本はアホな国なんだなと学んだ。

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高校生になると、公民や倫理という、歴史とはちょっと異なる授業も増えた。

ある日、倫理の授業で僕たちはとあるビデオを見せられた。「お昼ごはんが食べられなくなる人もいるので注意してください。」と不思議な伝達事項を受けた後、見たビデオは、今でも覚えてる。

「黒い太陽731」という名前だった。

知らない人は検索してみてほしい。ただし、youtubeなどで見ることはオススメしない。旧日本陸軍が満州で繰り広げていた防疫や生物兵器の研究拠点で、人体実験も行っていた。まぁ最悪の一言。グロすぎて本当に飯が食えなくなったし、気持ち悪くて保健室直行の同級生もいた。

「日本はこういうことをしてきた最悪な国だ。」先生はそうは言わなかったが、そうとしか取れないメッセージを発していた。

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そんなこんなで、「まともな教育」を受けてきた僕は、大学生になる頃には立派な「反日本主義者」へと育っていた。

今でも覚えているけれど、天皇陛下が映ってるテレビを見て、「なんでラクして生活してる人にみんなへこへこしてるの?」と母親に真顔で聞いたことがある。そのときはたしなめられたが、たしなめられた意味すら分かっていなかった。

大学生になると、就活という問題にぶちあたる。少しだけ、社会のことを知ろうという欲求が出てきた。当時は、「外資系」という言葉も、「IT」という言葉も、僕は知らなかった。おめでたいヤツだ。

とりあえずは、身近なところで働いてるヤツといえば親父だ。親父の仕事に目をつけた。

「まっきんぜー」というところに勤めてるらしい。他の親は大手銀行やら大手証券やら大手メーカーに勤めているのに、うちの親父だけ聞いたこともない、「まっきんぜー」という会社。

試しに友だちに聞いてみたら、「お前、マッキンゼー知らないの?ヤバいよ?バカなの?」と怒られてしまった。「外資系の最強企業だよ?」と言われた。

「外資系は格好良いらしい。」ということを覚えた。それは同時に、「国内会社はダメだ。」と言っていた親父の価値観と一緒だった。

ちなみに親父は、「国内会社は◯◯がダメだからどげんかせんといかん。そのためには・・・」という意味で言っていたのだけれど、当時の僕はその後半の部分を端折り、「国内会社はダメだ。」という部分だけ自分の価値観にフィットさせていた。

確かに、親父の書斎にはガイジンの書いた本が多かった。ドラッカー、コトラー、コヴィー、ウェルチ。大前研一というおっさんが書いた本も沢山あったが、そういえばオーストラリアに行ったときにクルーザーに乗せてもらったから付き合いで買ってるんだろうとだけ思っていた。

「あの大前研一」の本をそういうふうにしか見ていなかったアホ、ここにあり。

そんなこんなで「外資系IT企業」に内定が決まった。

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卒業旅行代わりに、海外に一人旅に行った。

トルコ、イタリア、エジプト、メキシコ、ペルー、ボリビア。

たった6カ国ではあったが、人生観を変えるぐらいの出逢いと衝撃が沢山あった旅だった。

「反日本主義者」の僕は、英語の成績だけは良かった。偏差値が「8」まで落ちたときも、なぜか英語の偏差値は70ぐらいあった。当然だ。僕はアメリカに憧れていた。

旅先で、よく聞かれた。

ガイジン「おいアミーゴ、どうして君はそんなに英語うまいんだい?留学でもしてたのか?」

僕「違うよアミーゴ。日本から出たことないよ。独学だよ。」

ガイジン「じゃあなんでそんなにうまいんだ?日本人ってのは、英語できないはずだろ?」

僕「そう、日本人は英語できないし、努力もしないクソみたいな民族なんだ。」

ガイジン「アミーゴは自分の国のこと、どう思ってるんだ?」

僕「日本?ああ、ダメさ。良かったのは昔だけで、これからは全然ダメだと思うよ。英語出来ないのだって、その証拠だよ。」

以上のように、自分で過去の自分を屠ってやりたいぐらい恥ずかしい会話をしていた。ガイジンと話すとどこかの段階で必ず自分の国の話になる。そしてそうなったとき、僕は相手に言われるより何より先に、自分の国の悪口を言っていた。

当たり前だ、僕は「まともな教育」を受けて育った。

たまたま僕が生まれただけの国で、たまたま世界トップの経済力を持っているだけで、ダサくて、イモくて、古くさい、そして先の大戦で最悪なことをした国。

それが僕にとっての日本だった。

(続く)

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!