ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

長女の卒園式で号泣した話 #908

time 2016/03/06


 

皆さんは、「子どもの卒園式でお父さんは何故泣いているのか?」について、本当のところをご存知だろうか?

下記は、僕が体験した話なので全員に当てはまるワケではないのだけれど、なんとなくこういう視点もあるのだということを、知っておいていただけると嬉しい。

※2月28日東京マラソンゴール地点にて

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一部の羞恥心が薄いお父さん方は、子どもの卒業式や卒園式でこうなる。今思い出しても恥ずかしいぐらい、号泣してしまった。

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本来は保護者から子どもたちへの歌のプレゼントのセッションだったにも関わらず、一小節目から嗚咽してしまい、全然歌にならなかった。目の前の幼児たちからは爆笑される始末だった。

一般的に、卒園式で涙を流すのは、何ら不思議なことではない。自分の子どもの成長に関する奇跡の軌跡を見て、感動してしまうのは親心というものだ。

だけど、根本的なところでの涙の原因は、母親と父親では少し違うのではないかと今回思った。

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母親が涙を流すのは、純粋に我が子の成長が嬉しいからだと思う。

入園したときはあんなに小さくて、あんなに泣き虫で、あんなに何も出来なかったのに、卒園する頃には一丁前のことが出来るようになっているし、一丁前のしゃべり方をするようになっている。

年少さんと年長さんでは、カラダの大きさも全然違うし、母親への言い返し方もレベルが違う。年少だった頃の子どもにマジ切れする母親はあまりいなくても、年長さんになった子どもにマジ切れする母親は、結構多いのではないだろうか。

それぐらい、子どもたちは母親と「互角」に近い存在になっている。「可愛らしい従順な珍獣」が、「必ずしも思い通りにはならない1人の意志を持った人間」になるのが保育園や幼稚園での数年間だ。

あんなこともあったなー、そんなこともあったなー。こんなことも出来るようになったなー。

そんなことを思い浮かべながら、母親たちは涙を流す。

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一方の父親はどうだろうか?

確かに、年少さんだった頃の写真や運動会のビデオを見て、今と全く違う姿であることに驚いた。親が成長するその何倍もの速度で大きく強くたくましく、そして優しくなっていった過程を見るのは、とても感動的だった。

だけれど、涙の原因を突き詰めると、どうやら感動だけではないように思えたのだ。

嗚咽するほど涙が出てきた最大の原因、それは、

「贖罪の意識」

ではないかと思う。

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僕は、イクメンと呼ばれるにふさわしい漢かどうかは置いておいて、一応のことは長女のためにやってきたつもりである。

毎日の保育園へのお見送りは基本僕の役目だし、プリキュアの映画は全て制覇している。「アナと雪の女王」は4回ほど劇場で見たし、なんなら「007」や「ドラえもん のび太の日本誕生」も一緒に見た。

「すてきなしょうがくせいになりたい」という本人の希望もあり、母親依存だった寝室から、自分の部屋で寝るようになった彼女のために、少し添い寝したりサポートもしている。

単身赴任をしていたワケではないため、一定期間会わなかったということもない。保育園の行事は、基本的にほとんど出ているし席取り競争に負けたこともない。

端から見ても、自分自身の認識としても、仲の良い父娘であると思う。

 

んが!

母親と比べると、やはり一緒にいる時間は雲泥の差がある。締め間際になると1ヶ月間土日にほとんど家にいないこともあったし、平日のお芋掘りなど、出られないイベントもあった。

「スケートをやりたい。まおちゃんみたいになりたい。」とずっと懇願されていたにも関わらず、ようやく連れていけたのは2ヶ月も経った日のことだったりした。

長女の話に出てくる男の名前は念のため殺意を以て全員覚えていたものの、女の子の名前はついぞ全員覚えることは出来なかった。

そんなこんなを経て長女の保育園生活に関する知識の抜け漏れが沢山あり、その全てが埋まらないまま唐突に終わりを告げてしまった保育園生活の最終日を迎えるにつけ、

それまでに怠ってきてしまった、仕事を早く終わらせるためのちょっとした努力や、長女の願いを叶えるためのスケジュール調整について、もっとちゃんとやっておけば良かったと激しく後悔したのだった。

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振り返れば、長女の願いをどれだけ叶えようが、それによって空いた仕事の穴など、いくらでも後から取戻すことが出来た。

振り返れば、「パパといっしょにいきたい」と言ってくれたあのセリフは、もう何年かしたら二度と聞けなくなるかもしれない魔法の言葉だったのかもしれなかった。

振り返れば、もっともっともっと一緒にいて、もっともっともっと色んな話をすることも出来たはずだった。

なのに、僕はそれをしなかった。色々な理由をつけて、出来なかったのではなく、しなかった。

そうこうしている間に、二度とは戻らない時間のなかで、長女は素晴らしい成長を遂げていた。

僕の涙は、canだったほどにはdoしなかったことへの後悔と贖罪の気持ちから、止まることを拒んだのであった。

笑顔とともに涙を浮かべている母親たちの横で、うぉう、うぉうと僕がむせび泣いていたのは、こういう背景があったのである。

 

今度は次女が保育園に入る番だ。同じ過ちはしないようにしようと、心に誓った。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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