「才能ですね!」は戦わずして敗北を認めた怠惰な人間の戯れ言 #909


 

「才能」、「センス」、「能力」という言葉を最近使わないようにしている。というか、そう決めた出来事がいくつかあったのでご紹介。

と、その前に。

本エントリは、「褒める対象の人間と少なからぬ程度、同じフィールドで戦う人間」のためのエントリであることを最初に断っておく。

別に近所のサッカー好きなおじさんが「メッシってさ、やっぱあれは才能の怪物だよね。」と言ったところで、それは怠惰な人間の発言だとも思わないし、そこからおじさんが何かに気づいて改善すべきだとも思わない。

なぜなら、そのおじさんはメッシと同じフィールドで戦う人間ではないからだ。サッカー好きというところは共通していても、そのおじさん自身も自分がメッシと張れるとは思っていない。

がしかし、プロを本気で目指す高校生や、現在プロで活躍中の選手が「メッシってさ、やっぱあれは才能の怪物だよね。」ともし言ったとしたら、僕は100%同意はしないと思う。

なんでかは下記に記すことするけれど、そういう類いの話。

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「才能」という言葉を封印しようと思った出来事その1:「文才ありますよね!」と褒められた。

断っておくと、「文才ありますね!」と褒められること自体はめっちゃ嬉しい。はっきり言って舞い上がる。駄文とはいえブログを書き続けている身としては、最高の褒め言葉だ。

んが、こと褒めてくれた相手のことを考えると、そう喜んでばかりもいられない。失礼を承知で思っていることがある。

よくブログ仲間に、「文才ありますよね!」と言ってもらえるが、僕は喜ぶと同時に、頭の片隅ではこんなことを思っている。

「いや、申し訳ないけどあなたの10倍以上考えてますがな。。。」

「ぶっちゃけ、文章うまくなる努力してないでしょ?いつも自分の安全圏の中で書いてるでしょ?」

「俺、一流の人の文章を写経するぐらいのことやってるよ。」

「比喩とか具体抽象の事例とか、24時間考えてるよ。あ、ウソ、18時間ぐらいは考えてるよ。」

「『表現が上手い』とか言うけど、んなもん良質の本にいくらでも書いてあるがな。。。パクればいいやん。」

「『書けない』って言葉はウソやな。正確には『書いたのを人に読まれてその反応がイマイチだったときが怖いから書けない』んでしょ。それってプライドやん。無駄な方の。」

まとめると、努力で上回ってるから上手いように見えるだけで、「才能」って言ってる時点で、その努力の差を埋めようという気がないのだということだ。

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「才能」という言葉を封印しようと思った出来事その2:トップセールスの先輩に「才能ですね!」と言ったら、「ぶっ殺すぞ」と言われた。

今はもうカラダで理解している話なのだけど、まだ僕が芯からアマチュアだった頃の話。

あるトップセールスの先輩は、常人が理解しがたい数字を挙げていた。一発屋ではなく、長期間に渡って。んで、オーラもあるし知識もすごいしトークもハンパないし人間力もあるので、うっかり「才能ですね!」と言ってしまったことがあった。

本心から僕はそう思っていたのだけれど、先輩は、「ぶっ殺すぞ」と返してきた。先輩は続けて、「俺ぐらい失敗してからその言葉を吐け。」と言ってきた。

聞くと、その先輩は法人の専門家ではあったのだけれど、今の地位にたどり着く前に、のべ1万社はゆうに超えるぐらい、断られたのだという。今ある質は、すべてそれ以前の量に支えられているのだという。

そのとき時点で僕が断られた法人の数は、累計でゆうに50社を下回っていた。「失敗は成功の母」という言葉は知っていたが、ある意味その言葉の真実性に気づいたのは、そのときが初めてだった。

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「才能」という言葉を封印しようと思った出来事その3:勝間和代さんが思ったよりゲリラ部隊じみていた。

先日、あの「勝間和代」に逢ったという話をした。

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勝間さんは、アーサー・アンダーセン、マッキンゼー、JPモルガンなど、超一流の会社を渡り歩き、その後独立してメディアを席巻した。著作は累計で400万部を超える売り上げを誇っている。

なのにびっくりするほど気さくな方だった。

まぁそれはいいとして。

勝間さんほどの人であれば、基本的には何をやるにしても「空爆」がメインになっていると僕は思っていた。遠くの大本営から作戦を立て、自身の影響力を最大限行使して、ネットをフル活用しながら情報を広める。信頼できるビジネスパートナーが傘下にたっぷりいて、その人たちが歩兵部隊となってガシガシ営業していく。

そんなイメージを持っていた。本人は大本営にいて、頭だけ使って手や足は極力動かさない。勝手にそんなふうな人だと想像していた。

ところが、著作の話になったとき、

「本?あんなの、書いた人が売るの、当たり前でしょ。」

というセリフが飛び出したあたりから、雲行きが良い意味で怪しくなっていった。

「出版社は週に何冊も書いてるし、編集者は何人も著者の面倒見ないといけないし、だったら著者のリソースが一番融通が利く。だったらその著者がフルパワーで営業すればそれが一番合理的じゃない。やらない意味がわかんない。」

とのこと。おいおい、思ったよりゲリラ部隊やがな。これは新鮮な驚きだった。

合理的であると考えれば、自分が動く。当たり前のことではあるのだけれど、この世界の人にとっては当たり前ではないと思い込んでいた僕は、鴨が豆鉄砲を食らったぐらい、驚いた。

その後も色々な分野についての色々な話をしたが、どうやらどの分野に関しても、大本営で指揮を取ってる人ではないらしいと、話しながら気づいた。

何なら、いつも最前線で、銃剣と徒手空拳で敵を倒しまくっている、ランボーみたいな人だった。ランボーばりの近接戦闘を繰り返していたら、いつのまにか有名になってしまった、そんな感じだった。ただし、戦略的思考を身につけたランボーなので恐ろしいことこの上ないのだが。

ちなみにそのへんの話はこの本に書かれている。あの実績にして、この地べた這いつくばってでも結果を出そうとする感が、ハンパない。名著だと思う。

なお、ネットで探したら、勝間さんが言ったとされる名言があった。

「私は本については、書く努力の5倍、売る努力をするということを決めています。」

かっこええがな。

 

これは僕の直感だけれど、勝間さんは「才能」という言葉が嫌いだと思う。

「おそらくは」としか言えない範囲だけれど、それは御本人に本当の意味での(マーク・ザッカーバーグとかスティーブ・ジョブズレベルの)「才能」がないことを承知しているからであり、

また、よほどのレベル(上記天才たち)でなければ「才能」という言葉は負けを認めて行動しないことの言い訳に過ぎないということを、本人が一番よく知っているからだろうと思う。

だから僕は勝間さんに、怖くて「才能ですね!」とは言えない。たぶん、

「は?才能云々言う前に、あんた私と同じぐらい努力してんの?才能なんて言う資格あんたにあんの?」

と一刀両断されそうだ。

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そんなわけで、「才能」があるとかないとかは、メジャーのホームラン王とかシリコンバレーのほんの一部の会社のトップとか、そういう世界に足を踏み入れるか踏み入れないかのときにのみ、使用が許される言葉だということにしておこう。

また、自分がその言葉を使うときは、「あなたには勝てません。また、勝とうとするつもりもありません。そのための努力もする予定はありません。」と同意だということを肝に命じよう。

 

 

 

 

ああ、努力が要らないぐらいの才能が欲しい。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!