ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

保育園の先生の給料が低く抑えられ、かつ容易に上がらない裏の理由を発見した話 #914

time 2016/03/12


 

ついに1号機が保育園を卒業した。

この2週間で卒園祝会と卒園式があり、まぁ自分的には2回ともよく泣いた。

おかげでカメラも心なしか曇っちまった。保育園の先生方、本当にありがとうございました。

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さて今日は、最近「保育園落ちた!日本死ね!」問題などで注目を集めている待機児童・・・の方ではなく、その原因の一つともなっている保育園の先生の給料はなぜ低く抑えられ、かつ容易に上がらないのか?についての、僕が考える裏の理由に焦点を当ててみようと思う。(以下、略して「保育園の先生の給料問題」)

解決策のない話なので単なる徒然話なのですが、飲みかけのコーンスープが冷めないうちに聞いてください。

***

まず、現状について。僕も知らなかったのだけど、どうやら「給料が低い」のは、保育園の先生(本当は「保育士」とする方が正しいのだけど僕はまさに「先生」だと思ってる)全員の話ではない模様。詳しくは識者の方々のブログに明るい。

「保育士の給料平均は月給20万程度で低過ぎる!」、「いや、認可の先生は準公務員扱いだから年収800万程度だ。」と色々な説があって若干混乱してるので、本エントリでは、めんどくさいので「保育園の先生の給料は低い」という一律の前提条件でもって話をしたい。

「保育園の先生の給料問題」について、既に幾人もの知識人の方が書いている通り、次のようなものがある。

保育園落ちた日本死ね!!! →もともとの発端。ごもっともな心の叫び。

「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由

「保育園落ちて日本死ね!!!」って言われたけど、むしろ東京都は保育園をつくるべきではない理由

政治が子育て層を簡単に無視できる、投票率以外の大きな理由

これらは、「保育園の先生の給料問題」の表の理由としては極めてロジカルに描かれている。ニワトリが先かタマゴが先かの話はあれど、どれも納得できるものである。

が、僕は卒園祝会と卒園式に2週連続で出てどちらも号泣し、本問題に関する一つの結論に達した。この問題には、裏の原因がある。

***

といっても、難しいことを言いたいワケじゃない。

「保育園の先生の給料問題」が発生する裏の理由については、答えから遠いようで近いこの写真が物語っている。

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「園児たちへの、保護者の皆さんからの歌のプレゼント」と題した歌の1小節目でいきなり嗚咽して歌に全くならなかった場面である。

小さかった年少さんの頃からのビデオを見せられ、その一つ一つの成長の軌跡を見るにつけ、涙が止まらなくなった。映画「ハチ公」ぐらいでしか泣かない僕の涙腺は、緩みっぱなしだった。

先生からは、「あなたのせいでこっちも泣いてしまいました。」と怒られた。別に僕だけのせいでもないだろうに、先生たちもみんな泣いていた。

 

んで話を戻し、結論から言うと要するに、

保育園の先生の仕事は素晴らし過ぎる

のである。そしてこれこそが、「保育園の先生の給料問題」の裏の理由である。

16世紀の産業革命を契機として、経営側が押し付ける理不尽な労働環境や待遇に対して、労働者は怒りをぶちまけることで、その権利を勝ち取ってきた。

今では高給と言っても過言ではない看護師の世界でも、一昔前までは当たり前のように超絶ブラック残業が常態化していて、その手当が月1000円というナメた環境だったりしたが、ある時期を境に労働闘争が起きて、現在の待遇を勝ち取るに至った。

「私たちをナメるな!搾取するな!」という正当な怒りが集積し、時間はかかったものの、労働環境は大幅に改善された。

同じことを保育園の先生たちもやればいいだろう、と僕は当初思っていた。給料が低いなら戦えば良い、主体性を発揮して、集団となって抗議すればいい。組織の論理とか財源の問題とかあるけれど、そうは言っても見過ごせないレベルの運動になってくれば、経営側も自治体も国も、看護師界のときのように無視は出来ないだろう。

そう思っていた。

が、卒園祝会、卒園式に出席して、上記のごとく号泣して、考えが変わった。

この仕事は素晴らし過ぎる。

こんな素晴らしい仕事では、怒れない。

***

保育園の先生たちは、僕たち親が命をかけて授かり、人生を懸けて愛していくと決めた子どもたちを預かっている。ほとんどの子は当初は何にも出来ない状態で預けられ、しかし数年を経て驚くほどいろんなことが出来るようになって、旅立って行く。

ある日、長女がいきなり1人で寝ると言い出した。どうしたの?と聞くと、「すてきなしょうがくせいになりたいから、ひとりでねるれんしゅうするの。」と言っていた。

これだけでも泣きそうになった。

また別のある日に、手紙を書いていたので、「何書いてるの?」と言って除いたら、それは今期限りで辞める先生への手紙だった。中身を見ると、

「せんせいのこと、ずっとわすれないからね。はなれてもこころはつながってるよ。」

と書いてあった。盗み見ただけなのに泣きそうになった。

そんな細かな、しかし凄まじいまでの園児たちの変化を、保育園の先生たちは、場合によっては親たちよりも長い時間、ずっと見ている。

運動会で組み体操を指揮していた体操の先生は、僕たち親が園児の組み体操に歓声を上げるのとは対照的に、隅っこで一人シクシクと泣いていた。

組み体操を始めた当初は収集が付かず、出来る子もいれば出来ない子も多く、演目の完成には遠いと思われたほどカオスだったのに、運動会当日には園児全員が一糸乱れぬ素晴らしい演技を披露してくれて、思わず嗚咽したのだろう。

子どもたちは大人が手を抜くとすぐに見抜くため、僕の目から見ても、保育園の先生たちはいなすことなく出し切っている。園児たちと全力でぶつかっている。卒園式で、他人の子どものために涙が流せるのも、そういう日々があってのことだというのがよく分かった。

ちなみに僕はたまにママさん会における「ママさんたちが気兼ねなく飲むために園児の気を引く担当」として働くことがあるが、一度20人の園児とドロケイをやって、1人で泥棒役をやって逃げてみた。全力で走ったものの1分で捕まったが、その後それを20回ぐらいやらされた。たったの20分で完全燃焼。ライザップよりも完璧なワークアウトでバーンアウトした。

加えて、園児たちの笑顔というのは、最高である。どんなブラックな環境で働いていても、どんなに給料が安くても、自分の生活もあることは分かっているのに、あの笑顔が見られるなら全てを忘れてもいいと思えてしまう瞬間が、きっとあるのだと思う。しかも毎日。

そりゃ怒れないよ。心の底からは怒れないよ。

よしんば戦うとしても、「保育園の優しい先生」という顔を修羅に変えてまで、戦うことなんて出来やしない。

そして、そういう怒り方しかしない心優しい勢力に対して、経営側や自治体や国が本気で何かを解決してやろうなんて、思うはずがないのだ。

なんとかしてあげたい、しかしなんともできない。最初に書いた通り、極めて難しい問題だ。徒然に書いたけど、問題の根本が保育園の先生たちの仕事への究極の満足度だとすると、そこはどうして良いのか分からない。

でもとにかく、素晴らしい仕事だと思った。将来はそんなこともやってみたいかも。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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