ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

テニスがヘタな人は、ボールに対して頭が高い #925

time 2016/03/23


 

terrapin-411853_1280

僕の弟は、元プロテニス選手である。インターハイには出てたしインカレもベスト4になって、そのままプロになった。

小さいときはよく一緒にやっていたが、明らかな実力差が出てからはなかなか一緒に打ってくれなくなった。「兄ちゃんと打つと球が遅すぎてヘタになるから。」というのが理由だった。

ちなみに僕の球は、テニススクールやサークルではかなり速く重い部類に属していたことと思う。つまりはそれだけのレベルの違いがあった。

そんな弟にたまに打ってもらうと、よく言われることがあった。

「カラダ開きすぎ。」

「ボール見てなさすぎ。」

「膝曲げてなさすぎ。」

「構えるの遅すぎ。」

当時の僕は、「いや、そこ修正しなくても、もっとお手軽なやり方でお前(弟)と同じぐらい打てるようになるやり方を教えてくれ。」と、兄のくせに弟に反発していた。

打ち損じては同じことを注意されるのに、僕はひたすら「おっかしーなー。おっかしーなー。」と首を傾げながら、自分の致命的な弱点をそのままにして、そしてあわよくば上手になろうとしていた。

弟はいつもそんな兄を見て、深いため息をついていた。

***

時はたち、先日久しぶりに仲間内でテニスをすることになった。「キトウさん」という呼ばれる漢とその一味が相手だった。

「キトウさん」は2年ほど前にテニスを始めた。つまりはまだ中級ぐらいの実力だ。センスはあり、よくぞ2年でそこまでうまくなったと言いたくなるぐらい、レベルが高い。大人になってから始めるとたいていは球感が追いつかず、ちぐはぐな動きになるのだけれど、「キトウさん」にそれは見られなかった。

ラリーを始めると、当たり前のことながら「キトウさん」はしょっちゅうミスをしていた。テニスはミスのスポーツだ。ミスの量は、経験に反比例する。「キトウさん」はミスをするそのたびに、「おっかしーなー。」と首をかしげていた。

ボレーでもそうだった。ミスるたびに、「おっかしーなー」と首をかしげていた。

僕は心の中で思っていた。

「全然おかしくない、むしろそれじゃミスして当たり前だ。」と。

同時に、弟がこういう気持ちで自分を見ていたのかと、10年の時を経て分かったような気がした。そのことに気づいたとき、僕は「キトウさん」にこう言っていた。

「ボールに対して頭が高いです。」

***

テニスの原理原則は、ボールである。プレイヤーではない。

ボールがどこに飛んでくるか、ボールがどう跳ねるか、それによってプレイヤーの取るべき行動が決まる。プレイヤーが行動を決めて、ボールが後からそこめがけて飛んでくるわけではない。

ボールこそが全てだ。

 

10年ほど前、テニスの世界トップ選手たちにアンケートが配られた。内容は、「(当時世界ナンバーワンで、古今東西含めてたぶん最強の)ロジャー・フェデラーの武器の何か一つが手に入るとしたら、あなたは何が欲しいですか?」というもの。

フェデラーの武器と言えば、強烈なフォア(ホントに最強だった。)、ミスのないバック(片手バックにしてはあり得ない攻撃力を誇っていた)、確率の高いファーストサーブ(全盛期のサンプラスぐらい強かった)、相手に付け入る隙を与えないセカンドサーブ(通常のセカンドサーブは付け入る隙がある)と、全ての武器がメッシ級と言ってよいぐらい、あらゆるものが揃っていた。

アンケート主は、それぞれの選手がそれぞれ苦手とするものフェデラーから欲しがるだろうと予想していた。しかし結果は全員一致で、

「フェデラーのフットワークが欲しい」というものだった。

 

フットワークとはテニスにおいてすなわち、「テニスの原理原則であるボールをベストな体勢で打つために、ベストな場所にベストなタイミングと速度で移動するための最も基本的な技術」である。

フェデラーの強さとはつまり、すべてこのフットワークから生み出されていたのだ。ベストな場所にベストなタイミングと速度で移動できるから、いつでもベストなボールを打つことができる。

他の選手はベストなときは100%のボールが打てても、あるときは60%でつなぎ、あるときは30%でしのぐだけ、となっている一方で、フェデラーだけはいつでも100%で打てていたということ。

僅差が勝負を分けるトッププロの世界で、この差はあまりにも大きい。フェデラーが世界最強な理由がものすごくしっくりきた瞬間だった。全然関係ないけど、どんなに追い込まれても全てのボールを腕力350%で打ちまくっていたラファエル・ナダルも、素晴らしいプレイヤーだ。

***

これを違う方面から分析すると、つまりは

フェデラーは、世界一、ボールというテニスの原理原則を最優先していた。

という言い方もできる。

他の選手には、少なからずエゴがあった。ボールが少し高く跳ねても、上から押さえ込む。低くてもラケットの軌道でなんとかする。遠ければ手を伸ばす。

フェデラーは違った。なんというか、いつも「いつも通り簡単そうに打っている」のである。サーブは200kmを軽く超え、ストロークでさえ150kmを超えるボールを打ち合ってるのだから、簡単なワケはない。しかしフェデラーの周りはいつも、ゆっくりと時間が流れているように当時の僕には見えた。

それは、彼がいつでもベストなポジションに陣取っていたからであり、ボールにまつわる原理原則を最優先していたからである。これは、ゴッドハンドの医師の手術が超早いのにゆったり見えることと少し似ている。

***

翻って「キトウさん」。

「キトウさん」は、ボールが低く来たらラケットを低く出し、ボールが高く来たら手を伸ばしていた。ボールという原理原則を最優先するのではなく、自分の打ちやすさ、自分のラクさを最優先していた。

テニスでは、ボレーの際にラケットが寝ているとボールが言うことを聞かないで飛んでいってしまうことが多く、ストロークにおいては準備が遅いと必ず振り遅れる。

ボレーに関して僕が「ボールに対して頭が高い。」といったのはその通りで、ボールが低く飛んできたら、自分も下半身ごと低く構えるべきなのだ。ラケットでお手軽にキャッチしようとしてはいけない。ボレーに限らずともボールに対して頭が高い、つまりボールを最優先しないと、テニスではありとあらゆる場面で無理が出てミスにつながる。

なんてことをアドバイスしながら、自分がいかに同じようなことをしてきたのかを、思い出しては「キトウさん」にぶつけてしまう自分がいた。

世界一のフェデラーは世界一テニスの原理原則であるボールを最優先していて、世界一じゃない我々は原理原則を軽視している。

同じことは仕事やプライベートでも起きているのではないだろうか?よく考えてみたい。

「キトウさん」は敢えてカタカナにしてみただけ。冒頭の写真とは関係ない。

※実際は「キトウさん」と自分はそう変わらないレベル。隣の芝生は青く見え、隣人の弱点はよく見えるって話。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

家族とか教育とかの話

ラオウを目指す羅王のブログ

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。