ロジカルに考えて正しいか正しくないかではなく、「自分を為すことをどれだけ正しいと思っているか」だ! #928


 

リーダー格の人のなかには、とある面白い人種が存在する。

言ってることがめちゃくちゃで半分以上間違ってるんだけど、なんか正しいことを言ってる気にさせられてしまう人

という人種がそれだ。

僕はこのタイプに人生で何度も遭遇したことがあり、そのたびにアタマがハテナ?になった。ロジカルに考えれば彼らは正しくないどころか、明らかに間違っている。しかしいつのまにか正義が彼らにあるような、そんな気にさせられている。

いくつかの事例を紹介したい。僕が過去に出逢った素敵な上司たちは、そんな人が多かったと記憶している。

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ある上司N氏は、「ネプチューンマン(※)」とタメを張るぐらい、「完璧」を志す人だった。(※「キン肉マン」に出てくる「完璧超人」。分からない人はウィキりましょう。)

N氏は、自分は完璧だといつも言っていた。自分ほど完璧な人間が他にいるのだろうかと、いつも思っているようであった。僕に対しては、「お前はだらしがない」といつも怠惰な姿勢を戒めてくれた。

ところが問題が1つあった。T氏は極めつけのデブだった。

客先に突入する前に締めたネクタイが、1分後には首周りの脂肪のせいで緩んでダラダラになってる姿を、しょっちゅうみかけた。飲み会の前におにぎりを3個頬張り、飲み会の後におにぎりを3個頬張るような男だった。ロジカルに考えれば、というか一見して彼は欠陥人間だった。

しかし、心からの「俺は完璧だ」発言を、僕は最後の最後まで信じるハメになった。

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ある上司M氏は、ある時期ランニングにハマっていた。

「ちょっとちょっと」と手招きされて行くと、いつも決まって鍛え抜かれたふくらはぎを見せてくれた。「ゲヘヘ、これが努力の結晶だよ。」と、目の前にふくらはぎを出してくれた。なるほど見事なふくらはぎだった。

他人のふくらはぎをまじまじと見る経験などそれまでなかった僕は、「なるほど、鍛え抜かれたふくらはぎは、努力の結晶なのか。」と思ってしまった。

後から聞くところによると、それほどまでに興味を持ってふくらはぎを見てくれたのは、どうやら僕だけだったらしい。他の人は「はいはい」てな感じでいなしていたが、純朴青年だった僕は、どれだけロジカルに考えてもおかしい「上司にふくらはぎをプレゼンされる」という事象に対して、その上司のあまりの自信満々ぷりに反論する気を失っていた。

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ある上司F氏は、部下の目から見ても、失礼ながらとても純真な人だった。

新製品が出ると、「うそ!マジ!新製品すごいじゃん!」と連発していた。一般的に、新製品というのは、確かに目新しい機能があったりエポックメイキングな部分もあったりはするんだけど、既存のマーケットとの食い合いになったり、肝心要の安定性が不足していたりと、弱点もそれなりにあった。

新製品が出ると、当初はそれに狂喜していたメンバーも、だんだんとその弱点の方に目が向き始める。しかしそのF氏に限っては、毎度新製品のポイントを聞くたびに、「うそ!マジ!新製品すごいじゃん!」と叫んでいた。そのポイントは、もう何回も、下手をすれば10回以上は説明されている内容であるにも関わらず、毎度初めて聞いたかのように喜んでいた。

どう考えても、「また同じ話に喜んでるの?」としか見えなかったのだけれど、その一方で少なからず僕も、「おお、新製品すごいじゃん!」と思わざるを得なかった。マンネリによって色あせた新製品の魅力が、F氏の純真さによって不死鳥のように蘇ること度々であった。

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ある上司K氏は、今まで仕えた他のどの上司よりも、ピントのズレた人だった。5個を頼めば4個は忘れ、10個を頼めば9個は忘れた。ようやく出てきた1つのアウトプットに関しては、僕がやった方が早いというレベルの出来だった。業務は基本的に壊滅していた。

しかし、K氏には不思議な魅力があった。K氏はよく言ったものだ。「お前、今絶対勃起してるだろ?正直に言え。」と。

勿論、僕は上司と話しながら勃起するような破廉恥な漢ではない。しかし、異様な迫力で追求してくるK氏の様子を見ていると、なんだか自分が本当に男性に勃起してしまっているような、そんな申し訳なさとか後ろめたさとか罪悪感を感じさせられることしばしばであった。

どう考えても僕は勃起していないのに、なぜかK氏の暴言によってそういう気にさせられてばかりだった。

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今思えば、素敵な上司たちに恵まれていた僕の人生。あんな人もいればこんな人もいた。どの人も素晴らしい学びを僕にくれた。

どの人にも凄まじいまでの説得力があり、そしてよくよく考えれば全員がいい感じに間違っていた。

彼らの共通点は何だったのだろう?

彼らは、正しいか正しくないか?で言えば、正しいことも多かったが、正しくないことの方が多かった。

現場にいるわけではないので専門知識は現場に遠く及ばず、本人は優秀だがマネジメントに関しては腐っている場合もあった。

しかし、

自分の為すことをどれだけ正しいと思っているか?

という点については、どの人も文句なく100点満点だった。

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今の世の中、価値観は無数にある。どれが正解で、どれが間違っているかということは、昔以上に定義しづらくなっている。正しいと思っていたことが間違っていると判明したり、その逆もしかりだったりする。

自分が常に間違ってるかもしれないという疑いの目で自分を見ることは、バランスのとれた生き方をする上でも、致命的な間違いを起こさないためにも、必要である。自問自答する姿勢というのは、いかなるときもなくしてはならないと僕も思う。

しかしその一方で、ひとたびこれをやると決めたら、それはそれで腹を括る必要がある。新しいことを始めると、決まってその労力と同程度かそれ以上の邪魔が入る。かけてるパワーじゃ登りきれないほどの壁が目の前に立ちふさがる。

そんなときに自分を奮い立たせてくれるのは、自分のやろうとしていることが正しいか、正しくないかという現実よりも、「自分の為すことをどれだけ正しいと思えているか」という思い込みの方である。

道義的、倫理的に間違ったことじゃなければ、今の日本で何かをやろうとした際に、そうそう間違ったことにはならない。もし間違ったことになるとしたら、それは、周りの複数の人から「それは間違ってるよ。」と言われ、本人も、「うん、間違ってるかも」と納得してしまった場合だけである。

自分のネクタイがユルユルでも全力で僕の怠慢を否定してきた上司のように、大きな漢になりたいと思うのはこういうときである。道を選ぶまでは散々悩んでも迷っても良い。道を選んだのであれば、まっすぐに進みたいと思う今日この頃。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!