昨日のエントリでは、「人は掛け算に魅力を感じる」という現象について書いた。
今日は、「わり算」にも人は魅力を感じるものなんだよという点について触れたい。
といっても加減乗除の話ではない。
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「あの人、金持ちのわりにケチだよね。」
とか、
「彼、東大卒のわりに仕事遅いよね。」
といった感じの「◯◯のわりに」の使い方をすると、ある特定の人の評価を下げることが出来てしまう。金持ちという高みからケチへ、東大卒という高みから仕事の出来ないヤツへ。
こういう使い方はあまり宜しいとは言えない。銃や包丁と一緒で、誤った使い方をすると人を不幸にする。
がしかし、「◯◯のわりに」をある程度の計算をもって使う、すなわち「わり算」として活用すると、人が人を、あるいは自分を紹介するときなどにちょっとしたブランディングになる。
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最近よくつるんでいるK氏が、先日こんなことを言っていた。
「いやー、僕、見た目のわりによく風邪引くんですよ。」
ちなみにK氏の外見はというと、生まれたての子鹿ライクな見た目通り、とても風邪を引きやすそうな貧弱なカラダをしている。だから彼が風邪をよく引くのは、全くもって不思議なことではない。
「見た目通りよく風邪引くんですよ。」という言われるよりも、35%程度この人物が魅力的に見えてしまったのは、気のせいだろうか。この一言で、K氏は僕に対する自己ブランディングに少なからず成功していると言える。
 
最近修了したかさこ塾の塾長のかさこ氏は、ブログ上でアホだの死ねだのを連発することが頻繁にある。
確かにアホだの死ねだのと言ってやりたくなる事象に対して触れているので全く同感であることは多いのだけれど、それを叩かれやすいネットにそのまま書いてしまう男気は、毎度さすがだと思う。
しかしである。実際に会ったかさこ氏は、ネット上での暴論暴言を含めた高い攻撃性のわりに、極めて穏やかで優しい人であった。ほとんどの受講者はまさかそんな人だとは想像していなかったみたいで、みんな豆が鳩鉄砲食らったような顔になっていた。
ただ単に攻撃的なよりも、ただ単に穏やかなよりも、それぞれの間に存在するギャップが相互の要素をより際立たせているという現実が、そこにあった。
 
トライアスロンの師匠である「元帥」は、漆黒で屈強なカラダを持っている。今まで見たどの人よりも、脚が太い。
よく、「頭痛が痛い」は日本語の代表的な間違いであると言われているけれど、この方に当てはめて言うのであれば、「太ももが太い」という表現がピッタリだ。もともと太いはずの太ももが、わざわざ「太い」と付け加えねばならないほど太いのだ。目の前で何度も地方のおばちゃんに「競輪の人?」と真顔で言われてるのを見たことがある。
しかし元帥は、その屈強なカラダのわりに、今まで一度も筋トレをしたことがないという。激しい筋トレをしてああなったのなら分かる。しかしそうではなく、生きてるだけでああなったのだそうだ。いわゆるポリネシア系の、生まれながらにして筋肉質なアレに近い。
我がトライアスロンチームを率いる元帥の人望の半分は、鍛えてないのに異様に鍛えられている太ももに因るところが大きいと僕は見ている。
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僕はどうなのだろう。どんな「わり算」があるだろうか。ちょっと色々考えてみた。
▼デブのわりにサブ4ランナー
▼87kgのわりにウルトラランナー
▼見た目のわりにカラダが弱い
▼見た目のわりにおなかも弱い
▼おなかが弱いわりにア◯ルは強く、痔にならない
▼アイアンマンのわりに引き続きデブ
うーん、なんか微妙な魅力があるようなないような気がしてきた。あまりないか。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

 
 
 

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