「好きだからやる」のではなく、「嫌いだからやる」 #950


 

僕は、サッカーは好きである。

僕は、テニスも好きである。

僕は、ゴルフもちょっとは好きである。

なぜなら、それらはボールを蹴る、打つという行為のなかに日常生活にはない快感が伴うからだ。動き自体も複雑であり、その複雑ななかで法則性を見出したりするのが楽しい。

まぁ、あまり思い通りにはいかないけれど。

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一方で、僕は泳ぐのも、バイクを漕ぐのも、走るのも、実はあまり好きではない。

それらは全て単純作業であり、単純作業ゆえに変化があまりない。手応えとか足応えみたいのもあまりなく、ちょっとペースを上げただけでツラくなる。

学生時代は陸上部とか水泳部とかを忌避していたぐらい、そういう単純作業が好きではない。

にも関わらず、僕は今、マラソンやトライアスロンをやっている。

「ストイックなんですね!」と黄色い声で言われたいからではない。嫌いだからやっている。

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僕は究極的にはラクをして生きていきたいと、心のどこかでは思っている。努力なんてまっぴらだ、なるべくラクな道を選びたいとすら思っている。たぶん。

なので、一時期は本当にラクに生きていた。フランクリンコヴィーの言うところの第4象限(緊急でも重要でもない領域)に時間とお金を使い、のほほんと生きてきた。

ところが、ある時期を過ぎると、それまで楽勝だと思えていたことに途端に苦しむようになった。重力のない宇宙で暮らしていたら、地球に戻ってきただけで骨折した、みたいな話を思い出した。

やべー、これはやべー。ラクをしたいと思ってたのに、ラクしてたら途端に何もかもがツラくなってきたぞ?

そんなことを思った。

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そこからは発想を変えてみた。

好きなことだけをしていると、確かにラクだ。「好きを仕事に!」と言って輝いてる人もいる。だけど僕の場合、好きなことと言えば漫画を読むこととゲームをすることと球技をすることぐらい。

やべー、仕事になんねー。

全く仕事になんねー。

好きなことだけをしていると、人生ヤバくなるというのは何となく昔から思っていたけれど、まさにそういう局面が目の前に訪れつつあった。

なので、逆にしてみた。

嫌いなことをやろう。

もうちょっと言うと、嫌いなことを好きになれるプロセスを研究できたら、それはきっと素晴らしいことになるだろうと思った。

嫌いなことを好きになれたら、それをどの分野でも実行できたら、嫌いなことが世の中からなくなって、当初の目的であった「ラクに生きる」というのを実践できるかもしれない。

そして非常に重要なことは、嫌いなことの大半は、出来ないことだということにも気づいた。僕は数学が嫌いだが、実際は数学で点が取れないから嫌いになった。英語は好きだが、これは英語で高得点を連発していたからだ。

好き嫌いなんてそんなもの。

だから僕は、嫌いなものをこそツボやコツを掴んでパフォーマンスを出すということを考え始めた。

それにあたった目の前に現れたのが、マラソンでありトライアスロンであるというわけだ。

繰り返すが、ストイックに生きたいわけではない。むしろラクがしたい。

ラクがしたいから、嫌いなことに取り組む。

本当な、僕は毎日お菓子を食べて横になりながらドラクエ5をやっていたいのだ。

来週はスイム3.8km、バイク180km、ラン42kmのレースです。

あー憂鬱。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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