ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

我慢ならない輩を穏やかな目で見るためのブラック心理術 #956

time 2016/04/23


 

“過去と他人は変えられない

自分と未来は変えられる”

という格言がある。

約10年前にこの言葉を知り、それ以来、人間関係に触れるたびにこの言葉を思い起こすように行動してきた。勿論幾度かは間違いを犯したけれど、基本的にはこの言葉の通りにしている限り、大きな失敗をすることはなかった。

間違いが起きるのは決まって、この格言から外れたことをやろうとしたときだった

 

一方、宇多田ヒカルレベルの人になると、こういうことを言っている。

“変えられないものを受け入れる力

そして

受け入れられないものを変える力を

頂戴よ”

(Wait&See 歌詞より)

神様にお願いするのは幸せとか結婚とか子種とか受験合格が普通かと思ってたけれど、宇多田ヒカルクラスになるとこういうお願いを神様にするんだと、軽く衝撃を受けたことを覚えている。他人と過去すら変えようと言うのか、さすが宇多田ヒカルだ。

***

ところが、そんな格言を知っていたとしても、どうにも我慢できない人間というのがいるのが世の中。

僕の感覚だと、高校生ぐらいまでは好き嫌いは別として、まぁそこまで受け入れられないとか理解出来ない人間というのは、あまりいなかった気がする。ゆうても同じような地域に住み、同じような教育を受けているのだから、最低限のところの常識は似ていてもおかしくはない。

例えば、僕の周りには泣きながらカツアゲをされるヤツはいても、笑顔でカツアゲをするヤツはいなかった。ゴミをまき散らすヤツというものいなかったし、給食費を親が払わない家庭というのもなかった。

大学ぐらいからは人数がキャンパス内に爆増することもあり、少しずつそういう人間が増えてきたかもしれないけれど、ある程度ちゃんとした大学ということもあったのか、あからさまな不快感を感じる関係というのはなかったし、そういう人間を見ることも多くはなかった。

初めて海外に一人旅にいったときも、騙されはしたけれど可愛げのある騙され方をしたし、出逢った人は人種は違えどみんな素晴らしく良い人たちだった。トルコ人もイタリア人もペルー人もメキシコ人も。世界には素晴らしい人が沢山いるんだということがよく分かった。

***

ところが、社会人になると、明らかに「お前には我慢ならん!」という人間なり、直接会わないにしてもその価値観に触れることが多くなった。

たとえばこんな感じの輩がそれだ。

▼大小問わずトイレを流さない人間。外国人ならともかく、トイレから出てきたおっさんは明らかに日本人だった。

▼いわゆる「ネトウヨ」。ネットに人の文句を投稿する人間は、どんな精神構造をしているのだろう?

▼子どもをネグレクトする親。先日相談されたが、即離婚して子どもを実家で保護することを勧めた。

▼ニコニコしながら応対し、裏で悪口を言いまくる専業主婦。あからさまな敵意を剥き出しにするよりはるかにタチが悪い。

▼芸能人が何かやらかすたびに、「絶対に許せない!」と吼えまくる人たち。お前はそんなにエラいのか。

▼事実をねじ曲げまくるマスコミ。高給もらってるくせにノーブレス・オブリージュという言葉は知らないの?

▼自分の国の代表なのに、自分の国を貶めまくり他国に媚を売る政治家。トランプの方が10000倍マシ。

▼何度言ってもちょっと追い込まれるとすぐ自分の殻に閉じこもって音信不通になる輩。お前のペースなんぞ知らん。

▼過去に培った知識と技術と経験を駆使して、どうにか人を引き摺り下ろそうとする作業を無意識にする輩。会社にもいるが理解不能。燃料の使い道間違ってるよ。

人の価値観は人それぞれだよね、と安易に認めるつもりはない。僕はこれらの輩に関しては明確に「罪」であると考えているし、あまり反対されるようなことを言ってるつもりもない。

がしかし、民主主義の世の中というのは、こういう人間にも1人の人間としての権利を与えるということであり、それについて文句を言うことは出来ない。そして、残念ながらそんなに遠くないところに、こういった人間というのは生息していたりして、たまに遭遇してしまう。

***

以前は、僕は怒っていた。

宇多田ヒカルのごとく、受け入れられないものを変える力を神様に願ったこともあった。

あるいは、自分が成長すれば、こういう人間とも分かり合える日が来るのではないかと思ったこともあった。ラオウのような覇王色の気を身につければ、一瞬で心を通わせることもできるのではないかと考えていた。恐怖で。

時が経って気づいたのは、全部とは言わないが、これらの努力がほぼ無駄であるということだった。

ぜんぜん無理だった。まったく分かり合うことはできなかった。相手が変わることもなかった。

無理に踏み込むと、手痛い反撃を食らうこともしばしばだった。家族を持ってからは、か弱い珍獣が増えてからは、その反撃が家族にまで及ぶことを恐れるようになった。

我慢ならない輩について、どうにか解釈を変える必要があった。

***

がしかし、そうは言っても自分の身は自分で守らなければいけない。自分の心は自分で守らなければいけない。

叶わない願いに怒ったりイライラしたりするのは、誰でも分かる通り精神衛生上良いものでは決してないけれど、きちんと意識しないと無意識のうちに輩に対して心を乱してしまう。

どうにかしないといけないとずっと思っていた。

んでかくかくしかじかを経て結果的に僕がたどり着いたのは、

「ああ、この人は病気なんだ」

と思いこむことだった。憐れみの目で見るように心がけることだった。

人は、怒ると他人を攻撃する。僕自身、そういう側面を見せたことがこれまで一度もないかというと、そんなことは全くない。ある局面では過去に気に食わない人間を攻撃しまくったこともある。(今ではとても反省している。)

一方、人は哀れみを気持ちを持つと、人を攻撃しようと思うことはほぼ皆無になる。例えば、昔から心からムカついていたヤツが病床で今際の際にいたとしたら、さすがにもうそれ以上攻撃しようとは普通は思わないだろう。

それと同じ精神状態を、現在の状態で意図的に作り出すことにしたら、ある瞬間にすっとラクになった感覚があった。

▼トイレを流さないおっさんは、トイレを流すという常識が欠けた病気なのだろう。かわいそうに。

▼ネトウヨは、ネットでしか発言できない病なんだろう。かわいそうに。

▼子どもをネグレクトする親は、この世で最も尊く愛おしい存在を理解できない病なんだ。かわいそうに。

▼陰湿な専業主婦は他人の噂以外に趣味がない病なんだ。かわいそうに。

▼芸能人に不寛容な人たちは、完全主義者病なんだ。かわいそうに。

▼マスコミは自分たちを特別な存在だと勘違いする病なんだ。かわいそうに。

▼政治家は政治「屋」病なんだ。かわいそうに。

▼すぐ殻に閉じこもるヤツは貝社員病なんだ。かわいそうに。

▼人を引き摺り下ろすことを生業にする人は、それが好きで好きでしょうがない病なんだ。かわいそうに。

おお・・・なんだか怒りがおさまって寛大な気持ちになってきた。

僕は少しでも自分が寛大な存在だと思いたい病なんだ。かわいそうに。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。