ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

「だったらお前がやってみろ」は自分に言え #961

time 2016/04/28


 

最近、何かと言えば他人様の不祥事がメディアによって暴かれる事件が続いている。

政治家の不祥事、芸能人の不祥事、企業の不祥事。

ワイドショーの8割はこのネタで出来てるんじゃないかと思うぐらい、プラスのネタよりもマイナスネタが跋扈している。

んで、政治家の不祥事であれば「やめろ!」の声がこだまし、

芸能人の不祥事であれば「謝れ!」の怒号が飛び、

企業の不祥事であれば「潰れろ!」と叫ぶという、

おとなしい日本人のどこにそんな怒りが籠ってたんだと思わざるを得ないような怒り方をする人たちが沢山いるということが、どうやら分かってきた。

***

こういう他人様の不祥事の場合、不祥事を問いつめられた側の、とっておきのキレ台詞がある。

「だったらお前がやってみろ!」

というものだ。

大半の人は政治家の責務は背負えないし、芸能人の激務には耐えられないし、企業家のプレッシャーには潰されてしまう。この三者の不祥事は、自分がその立場なら100%避けられたかというと、怪しいものばかりだと思わされる。

だからこの反論は一定の説得力を持ち、追及する側を一瞬沈黙させることができる。「だったらお前がやってみろ!」と言われて実際に出来る人はいない。

ただ、このセリフは門外不出のリーサルウェポンであって、言ったら結構な確率でおしまいになるので、みんな言わないだけなのだ。

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上記のように、「だったらお前がやってみろ!」を他人に対して言うと、結構な確率でブーメランのように被弾することになる。だからあまりこのセリフを連発することはお勧めしない。

他方で、自分に対してはこのセリフは結構効き目があるのではないかと思って、自分の中ではしょっちゅう連発している。

人は、放っておくと様々なことを「当たり前」に感じる生き物だ。

タクシーの運転手さんが道を間違えないのも当たり前、吉野家で牛丼が数十秒で出てくるのも当たり前、家でごはんが出てくるのも当たり前。

本来、その逆が当たり前であるにも関わらず、自分のために在ること、なされることに対して、それが当たり前のように提供されればされるほど、その存在をすら「当たり前」と勘違いしてしまう生き物なのだ。なんてアホな、といつも思うが自分もそういうことが多々ある。

そして「当たり前」と勘違いするからこそ、そうでなかった場合に怒りが湧く。

タクシーの運転手さんが道を間違えただけでキレる人。(←実在)

牛丼が2分かかっただけで「こないんですけどー、どうなってんの?」とクレームつける人。(←実在)

家のごはんのおかずの品目が足りないだけで奥さんに怒るアホ旦那。(←実在)

人の不備ややらかしに対して過度に怒る人というのは、ほとんどのことを「当たり前」と思っているからそうなっているということを自覚すべきだ。

で、そんなときは自分で自分に対して、

「だったら自分でやってみろ!」

と言ってみることをオススメする。

自分がタクシーの運転手さんだったら、顧客から言われた道をうっかり間違えることもあるだろうし、牛丼を盛るのに手間取るだろう。奥さんの代わりに家事をやったら、おかずどころか家を清潔に保つのすら一苦労だということがよくわかる。

怒りっぽい人は試してみるがよろし。

てか、「当たり前」の範囲が広いヤツはロクなヤツがいない。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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