ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

なぜ犯罪者に弁護士がつくのか? #962

time 2016/04/29


 

僕は以前から、不思議に思っていたことがある。

なぜあの大量殺人犯に弁護士が付くのだろう?

なぜあんな犯罪を犯したヤツを守る必要があるのだろう?

なぜ犯人だと決まってるヤツの人権なんて考慮する必要があるのだろう?

地下鉄サリン事件や秋葉原の無差別殺人の犯人など、申し訳ないけど死刑の一択しかないような人間に対して、なぜわざわざ時間とお金をかけまくって守ってやる必要があるのか、子どもの頃からずっと疑問だった。

最近、法律を勉強したワケではないけれど、なんとなく理由が分かってきたので僕なりの理解をば。

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歴史を振り返ると、いわゆる「人権」のようなものがきちんと保証されるようになったのは極めて最近のことのようだ。

昔は為政者や権力者によって反乱の疑いをかけられれば、疑いが事実が否かを確認することなく投獄、もしくは処刑されることが非常に多かった。

言うなれば為政者、権力者の胸三寸に生殺与奪を委ねるという、非常にあぶなっかしい環境の元で、我々庶民は暮らさねばならなかった。

ちゃんとした殿様だったらまだいい。でも、そうじゃないことの方が多く、そしてそういうイカれたボスが自分の生活を牛耳るという環境下では、それは地獄でしかなかった。

江戸時代の日本では、踏み絵なるイカれたリトマス試験紙で何万人もの隠れキリシタンが処刑された。

第二次世界大戦下のドイツでは、人種が純粋アーリア人ではないという理由だけで、数百万人のユダヤ人が殺された。

同じ頃のソ連でも、ユダヤ人と同等かそれ以上の人間が、スターリンへの反逆を疑われて殺された。

中国では建国の英雄とされる毛沢東が、世界のどの民族よりも自国民を大量に殺した。その数は1000万人を軽く超える。

優れた人間が本来は上になるべきなのに、人間社会ではライオンや猿の群れと違って、頭のイカれた劣った人格的に最悪のヤツがトップに来る、ということが、歴史上まま起きた。

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んで絶対王政や立憲君主制などを経て今の民主体制が世界の潮流となったわけだけれど、法律がまず何をしたかというと、

「コイツは犯人じゃないかもしれない。その場合に備えてきちんと守ってやろう。多分無罪だから。さらに、証拠がなければほんとに無罪にしてやろう。てか、推定無罪だからよろしこ。」

ということで、為政者、権力者の思い込みだけで死刑になってた可能性の高い人たちを守ることから始めた、ということだ。

だからどんなに凶悪な犯罪の容疑者であっても、ひとまずは弁護士が付き、その起訴、求刑へのプロセスが正しいものであったのかどうかをきちんと検証することがデフォルトになっているのである。

つまりは、

少数の悪人を守っている

のではなく、

悪人じゃないかもしれない多くの人を守っている

のが弁護士であり、近代までの無茶苦茶な絶対王政社会では問答無用で死刑になっていた多くの善人たちを助けるために、仕方なくどう見ても極悪人であるヤツにまで、弁護士がついているのが現在僕が疑問に思っていたこと、ということなのであった。

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浅はかながらも歴史を知ると、「なんでそーなってんの?」と怒りながら疑問に感じていたことに、相応の理由があることに気がつく。

過去に僕のなかでパラダイムシフトが起きたのは、大体その物事の歴史をある程度知ったことで、見える景色が変わったことが原因だった。

ゆえに、今僕が「いや、それあり得んでしょ!」と怒っている様々な政治、経済両面の各種問題に関しても、現時点で明らかに知識が足りないから無用に怒っているだけで、その成り立ちや歴史をしれば、あーそりゃそーかもね、と思えるようになるのかもしれない。

世の中大体そんなもの。

親が自分を産んでくれたときのビデオを見ながら、親に本気でキレられる子どもはいない。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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