「想定外」を「想定害」と捉えてるうちは人生は前進しない。 #965


 

「想定外」という言葉は誰でも知っているけれど、この言葉をどのように捉え、解釈するかによって人の人生は左右されると最近常々思う。

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「想定外」という言葉は、元々辞書に載ってはいたものの、取り立てて注目を浴びるような言葉でも、日常会話に頻出するような言葉でもなかった。

それが一躍脚光を浴びるようになったのは、10年ほど前に当時ブイブイ言わせはじめていたホリエモンが使った、「想定内」という言葉だった。

当時のホリエモンはスゴかった。

日本テレビ買収のときにメディアから色々言われても「想定内です」、「ライブドア事件」で株価捜査だの粉飾決算だので四面楚歌のときも「想定内です」、「おはようございます」の代わりに「想定内です」。

数百回は「想定内」という言葉を連呼したのではないだろうか。

巷では「想定内」を使うサラリーマンが激増した。会議で何か突っ込まれても、「想定内です」、電車が遅れて遅刻しても「想定内です」、場合によっては転んだ先にウ◯コがあってそれを踏んだ際に「想定外です」という応用ワザを使うリーマンまで現れた。

このように、「想定内」という言葉が脚光を浴びる反対側で、「想定外」という言葉がそれまでとは比較にならないほど使われるようになった。

今では、地震や原発問題を語る上ですら、「想定外」という言葉が使われる。完全に市民権を得た形だ。

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んでこの「想定外」。一般的には頭で想定している外側から物事がやってくるので、あまり良い意味に使われることはない。

今回発生してしまった熊本地震は、多くの人にとって「想定外」だったことだろうと思う。阪神大震災や東日本大震災もそう。人間にとって、どうにもこうにもならない大きな力というのは、存在するのだと改めて見せつけられた思いだ。

ちょっと前までは日本の一部上場企業というのは、一生を安心安全に過ごす上で、鉄板の生活保障をしてくれていた。しかし今では「想定外」のマーケットの変化や「想定外」の不祥事の露見により、全然「想定外」が「想定外」じゃなくなっている。

 

個人レベルでの「想定外」も、普通に生活をしていたとしても頻繁に発生する。

うちの日常生活基本通達第3条2項には、このように書かれている。

’朝は6時に起きること。6時15分までには2号機(9ヶ月)を起こさないように1号機(6歳)を起こし、6時半には朝ごはんを食べ始めること。7時までゆっくり朝食を食べて余裕を持ち、7時半には家を出て1号機のお見送りをすること’

基本的にはこの条項を守っている限り、家庭の平和は保たれることになっている。

しかしだ。

この条項は「想定外」の出来事で簡単に破られることになる。

まず、僕が6時15分まで2度寝をしてしまう。そこから急いで起こそうと1号機を揺すると、これがもう揺らしても揺らしても全く起きない。

起きるまで揺らしてやろうとこちょこちょしたりすると、起きる前に怒りだし、腕を振り回す。そしてその手がうっかり2号機に当たり、2号機がハーンと叫びながら起きる。

メイク中だった皇后はそのことに激怒し、1号機は泣きながら起きることになる。激怒された1号機は、そもそもこちょこちょして起こした僕を恨み、顔が朝から怒りに燃えている。

朝ごはんが支給されても、1号機はずっと僕を睨んでいる。そうすると1号機はご飯が進まず、また怒られる。そうしている間に2号機が僕の部屋にハイハイで勝手に侵入し、ひっくり返って頭を打ちそうになる。

2号機に精神的な依存をしている1号機は、自身のご飯よりも2号機の行動が気になり、それがまた朝ごはんの遅延をもたらす。

結果的に誰が誰に何を怒っているのか分からないまま、怒濤かつ「想定外」な朝が過ぎる。結局、僕の二度寝が全ての原因だと皇后からキツく釘を刺される。

このように、多くの人にとって「想定外」は、マイナスな出来事の発生を指す。いわば

「想定害」

だ。

99%の人間は、「想定外」を「想定害」と捉えていることと思う。人間としては自然な発想だ。

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ところが、最近会う勢いのある人のうち、決して少なくない人たちに共通して見える資質のようなものがあることに気づいた。彼らは過去を覆し、現状を打破し、明るい未来に向かってばく進するような、周りから見ればちょっと変わった、しかしとても気持ちの良い人たちだ。

彼らは何が違うのだろう?と色々な角度から観察していたのだけれど、一つ言えるのは、「想定外」に対する捉え方が、他者とは全く違うということだ。

先に述べたように、大半の人たちは「想定外」を「想定害」と捉える。

出来れば起きて欲しくはない、起きたときにマイナスな感情が必ずといっていいほど発生する。それが「想定害」だ。

勢いのある人たちは違う。

「想定外」を

「想定甲斐」

として捉えている。

「え?またこんなこと起きちゃったの?マジ?マジ?また俺デカくなっちゃったけどいいの?ラッキー!」

といった感じで、物事を極めてポジティブに捉えている。想定の外だけど、これを機に成長できるんじゃないかと、自分の糧にしてしまっている。

断っておくと、棚から100万円が降ってきたら誰だって「想定外」だし、「想定甲斐」だと思える。彼らのスゴいところは、客観的に見たら明らかにマイナスな事柄を、起きたその瞬間に「想定甲斐」に変えてしまうことだ。

ある師匠は、ヤクザに監禁されたことがあったが、当初びっくりしたものの監禁終盤には溢れるほど全身に力がみなぎっていたと言っていた。

また別の師匠は顧客に土下座を強要されたが、申し訳なさそうな顔をしながらも内心では「しめしめ、これは後でネタになる」とブログネタを既にいくつも考えていた。

戦略的ネガティブで有名な僕も、アイアンマン前日に肩に肉離れを起こした時には涙するほど絶望したが、その直後に「コレで完走出来たら俺レジェンドだわ。」と開き直り、結果的に完走することができた。

すべて、「想定外」を「想定害」ではなく「想定甲斐」と捉えた結果である。

最近出逢った若武者も徹頭徹尾「想定外」を「想定甲斐」と捉える人間で、プラスな出来事が起きてもマイナスな出来事が起きても、全てに喜んでいる。

こういう人間はきっとどこまでも前進していくだろうと、僕は確信している。彼のことは、心の中でちょっと師匠だと思っている。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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