ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

人は限界に差し掛かると何を選択するのか? #969

time 2016/05/06


 

僕が空手の練習試合にそれなりの頻度で出ていた頃、試合の終盤になると決まって自分が陥る罠みたいなものに悩んだ時期があった。

序盤はいい。冷静に試合を進めることができる。

中盤もまぁいい。ちょっとアツくはなるが、それでもまだ理性が残っている。

ただ、僕程度のレベルの人間だと、試合終盤にはもうだいぶヘロヘロになってくる。すると途端に大技ばかり狙うようになる。僕の場合は上段回し蹴りだ。

不思議なもので、余裕のある序盤に大して狙ってないのに当たればラッキー程度に思って放った大技は、結構な確率で当たったりする。

逆に、終盤になって試合が膠着し、どうしても当てたい!と心から願うとき、そういうときに限って大技は絶対に当たらない。

終盤に序盤の余裕があったらなぁ、なんてことを考えて修正をしようとするものの、結局のところ毎度終盤になると必ず息が上がり、それと比例するように大技のトライの回数も上がり、そして反比例するように命中率が下がるのであった。

もっとパンチを振ったりキックを蹴り分けたりすれば当たるのに、それが出来ない。ただただ上段を狙ってしまう。

そして毎回のように、同じようなミスを繰り返していたのである。

***

頭では分かっていたはずなのに、できない。

僕に何が起きていたのだろうか?

今になって振り返ると、結局のところ空手の技術とか実力というよりは人間の習性として、

「限界点が近づくと、極めて短期間に最大限の利得を得ようとする」

という人間の本能みたいなものが具現化したのが、僕の試合終盤の醜態だったということが分かった。

 

たとえば海で溺れたとする。

その場合、最も賢いのは仰向けになって力を抜き、ちょっと両手を広げて沈めて相対的にその浮力でアゴを海面から出して呼吸し、プカプカ浮いて救助を待つ、という動作をとることだ。

俗に「ウイテマテ」と呼ばれる必殺ワザだ。

しかし実際は手を全力で海面に叩き付け、少しでも頭を海面から高く保とうとし、口を大きく開けて全力で息をする。そしてそのアンバランスさがゆえにカラダはどんどん海中に沈んでいき、呼吸はみるみる苦しくなっていく。

限界が近づいたせいで、今この瞬間に最も多くの空気を吸える方法を求めてカラダが動いてしまい、それを量を減らしてでも数分、数十分保たせようという理性はどこかへ飛んでいってしまう。

頭が極めて短期の大きな利益しか認めなくなるのだ。

空手でも同じで、要するに「これさえ当たればKOできてラクができる」と、完全にラクを求めての上段回し蹴り連発が発生していた。

人間は、かように追いつめられるとロジカルな判断が影を潜め、本能に根ざしたラクを求めたファーストチョイスしか取れなくなる。

***

そうならないためにはどうしたらいいのだろう?

「そうならない」とは、試合終盤になっても大技を無意味に連発したりせず、海で溺れてもジタバタして死期を早めるような慌て方をしない、という意味である。

 

具体的には、2つの方法が考えられる。

まず1つ目は、そもそも限界まで追い込まれないためにはどうすべきかを考えることだ。

時速100kmで高速道路を走ることができる自動車のスピードの閾値は、高級車でなくとも時速180km−200kmほどである。

つまり、自動車は高速道路ですら、限界の約半分の力で走っている計算になる。

これと同じで、そもそも自分の限界値を高く設定しておけば、よっぽどのことがなければ限界に達することはない。勿論、そのためには膨大なトレーニングがいる。

100kgのバーベルを50%の力で持ち上げるには、常時200kgを持ち上げられるパワーと持久力が必要になるのだ。

 

今ひとつは、限界まで追い込まれたときでも感情や本能の提出してくるファーストチョイスだけに因らずに、少なくとも2−3の選択肢のなかから方向性を選ぶことができるよう、反射神経を鍛えることである。

自分を意図的に追い込み、その環境下で中長期的にメリットのある選択肢を取るという練習をしこたまするのである。

僕にとっての100kmマラソンやアイアンマンディスタンスのトライアスロンは、まさにこのためのトレーニングにあたる。

限界スレスレの苦しい環境下で、それでも「歩く」や「休む」といったラクな選択肢ではなく、ゴール後に味わえる達成感や充実感を優先して前に進めるかどうか、毎回ヒーヒー言いながら自分の反射神経を鍛えている。

 

この2つができれば、限界が近づいてなお理性的な選択肢を検討するという芸当ができるようになる。そしてそれは、そうでない場合と比べて間違いなく中長期的に本人のためにも、あるいは周りのためにもなる選択となるケースが多い。

怒りが臨界点まで達すると、大抵の場合人は「ぶっ飛ばす」とか、もっと物騒であれば「ぶっ殺す」という選択肢しか頭に浮かばなくなる。それをそのまま執行したら、刑務所行きは確実だ。

限界点の上限を大幅に伸ばす、もしくは限界に達しても選択肢を複数取れるようにトレーニングしておけば、怒りが臨界点まで達したところで、

「それでも相手に笑顔で感謝する」とか、「怒りの臨界点まで達した過程をその瞬間に笑いに変える」といった選択肢を取れるようになる。

***

昨今起きている事件や事故、社会問題を見る限り、どうもこの閾値を伸ばすトレーニングもしくは限界に達したときのセルフコントロールのためのトレーニングが足りてない人が圧倒的に多いのではないかと感じる。

こんなことは、社会に出るまで、あるいは出てからも誰も教えてくれないのかもしれない。

だけど、とても大切なことなんじゃないかと思う。常々思うけれど、このあたりの能力を体育会系スポーツ部のヤツらは、社会に出る時点でほぼ標準装備された状態で部活から出荷されてくるので、羨ましい限りである。

僕がこの2つのトレーニングの重要性に気づいたのは、ほんのつい最近のことだからだ。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。