ある日、ニヤニヤしながら6歳になる一号機が寄ってきた。

「ねぇねぇパパ、これ、めのところにもってって?」

持っていたのは水の入った透明のペットボトル。
これを横にしてペットボトル越しに私を見ろということらしい。
 
そしたら、
 

「ぎゃははははははははは!パパのめ、おおきすぎておっかしいのーーー!ぎゃははははははははは!」

 
と一号機は笑い転げていた。
こんな感じ。
IMG_2924
 
ふむ、全然面白くない。
大人の僕にとっては全然面白くない。
しかし小学校1年生にとっては生唾モノの芸だったらしく、その後もしきりにペットボトル越しに僕を見ては、「どう?どう?どう?」と聞いてきた。
一号機は、普段ママに怒られまくりでしゅんとしてることも多いのだけれど、このときはとても嬉しそうだった。
その顔を見て、僕も嬉しくなった。
そうか、この程度で爆笑してくれるのか。
もっとおもろいこと沢山できるんだけどな。象さんぶらんぶらん、とか。。。
***
僕にしてみれば、何をしたわけでもない。
言われた通り、水の入ったペットボトル越しに一号機を見ただけ。
たったそれだけ。
たったそれだけで大爆笑。完全な勝利。またパパの点数が上がってしまった。
なかなか時間が取れず、やり取りしてるくまモンの掲示板でもたびたび「プールはいついくの!!!???」とか怒られてる身としては、嬉しい限りだ。
 
それはそれとして、これは結構日常にも当てはまる事象が多い話な気がしている。
自分が命をかけたり、一生懸命何かをして、それが世のため人のためになれば、それは勿論嬉しい。本懐である。
仕事で顧客に貢献する。
先生が生徒の教育をする。
上司が部下をマネジメントする。
全て本業であり、最大限のパワーを以て取り組む事柄だ。
 
でも一方で、自分が出来ることのなかで、ほんのちょっと、指先を動かす程度のわずかな労力を割いただけで、
人をめちゃくちゃ喜ばせることができる、そんなことも十分にあり得るのじゃないだろうか、と今回の一号機を見て強く感じた。
子育てをしていると、そういう場面によく遭遇する。
どうしても小さい二号機ばかり抱っこする必要のある我が家において、たまに一号機を抱っこしてあげると、一号機はものすごく嬉しそうな顔をする。
僕にとって抱っこというのは、腕力のほんの一部を使う、些細な事柄だ。
二号機は現在人間に興味があるらしく、じーっと見ていると必ずニコっと笑って嬉しそうにしてくれる。
目を合わせるなんてのは、ほんのちょっと以下の労力だ。
***
これは別に、子ども相手だけで起きる話ではないと思う。
僕にとって、目の前の人が自分でもよく分かっていない強みを定義し、言語化するというのは、そう難しくない作業だ。
いつもやっているからか、なんとなく「あー、この人のバリューはこういうふうにアピールしたらええんちゃうかな。」というのが見える。
大体の場合は、その人が自分でうっすら思っていたけれど明確に出来ていなかった点を、ぴしゃりと「こうすれば?」と提案することができる。
それを伝えると、自分的には大したことをしていないのだけれど、めっちゃ喜ばれる。それをブログのタイトルにしてくれた人も何人もいる。
繰り返すけれど、僕は自分的には大したことをしていない。当たり前以下のことをしただけ。
 
僕にとっては電車で席に座ってようが立ってようが、あまり負荷は変わらない。そもそもが重いので、座ってても大してラクというわけではない。
んが、たとえば妊婦さんや高齢者となると、立ってるのと座ってるのとでは体力の消耗に雲泥の差があるのだろうと思う。
だから僕は譲る。勇気は必要だけど譲る。
自分的には大したことではないけれど、相手にとっては結構重要なことだと思っている。
 
というわけで明日は水入りペットボトルを装備して一号機を起こそうかなと考え中。寝起きが最悪な一号機さんは、笑いながら起きてくれるかもしれない。
***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

※Facebook友だち申請はお気軽にどうぞ。ただし最低限の自己紹介はお願いします。

 
 
 

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事