抽象化とは、物事の理解の基本であると感じた話


 

2号機が1歳になってからぴよぴよしながら歩けるようにもなり、俄然意思表示をはっきりするようになってきた。

生まれてしばらくはずーっとぼーっとしていて、こりゃ6歳上の1号機より相当楽だぞ、さすが次女と思ってたら、だんだん本性を表してきよった。良い人オーラが漂う赤子だと思っていたら、幼児に昇格すると同時に「めんどくさい女感」が出て来た。

「喜」「怒」「哀」「楽」のうち、「喜」「怒」「楽」についてはだいぶ今どんな心境なのか、こちらも分かるようになってきた。

あ、でも「哀」についても、触っちゃダメなものを触ろうとしたときに「ダメだよ?」というと、この世の終わりかのような顔をするから表現できてるってことになるのだろうか。

まぁとにかく、毎日毎日違う表情や動きを見せてくれて、本当に飽きない。マジで面白い。

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さて、「パパ」、「ママ」以外に少ないながらもしゃべるようになってきたのだけれど、当然幼児語なので要領を得ない。

けれど、やはり何度も何度も対象物に対して2号機の中での名前を連呼しているので、親としては大体のことは分かるようになってきた。

一例を挙げたい。

 

(初級編)想像がつくのですぐに親としてはすぐに理解できた。

「まんま!」=「ごはんがたべたい」

「バ!」=「バナナがたべたい」

「チー!」=「チーズがたべたい」

「ワンワン」=犬

「ないない」=片付ける

(中級編)若干シチュエーションに因るので最初は戸惑った。

「あっ!」=「あれとって」

「あーっ!」=「じゃましないで」あるいは「あっちにいきたいからどいて」

「あーーーっ!」=「きわめて不快です」

「んっ!」=「う◯こがでてるよ」もしくは「いまからでるよ」

「アヴァ」=水、お茶、牛乳その他液体物

「チャ」=親以外からもらう液体物のこと

「あと」=「ありがとう」

ここまでであれば大して難しくない。僕も今では全部分かる。2号機とのコミュニケーションはそこそこ取れているつもりであった。

***

しかし、ついに上級編の言葉をしゃべり始めたのです2号機は。

それは、

「カッパ!」

という言葉。

これがさっぱり分からない。

 

まず、テレビ番組に河童はあまり登場しない。主役は大体犬とか猫とかキリンさんである。だから「カッパ」がそのまま河童であるとは考えにくい。

「喝破」でもないと思う。大学生でも知らない単語をいきなり話すとも思えない。テレビで「喝破!」と叫ぶクイズ番組があったけれど、そんな時間まで2号機は起きていない。

こういうときは、現場に答えがある。コロンボ刑事も金田一少年も杉下右京警部も、みんな答えは現場にあると知っている。

どんなときに「カッパ!」と言うのか、それをつぶさに調べてみた。

 

まず、2号機はコップを持ったときに「カッパ!」と言った。おお、簡単じゃねーか。

と思ったのもつかの間、テレビに向かって「カッパ!」と言い出した。ん?テレビにコップは映ってないが・・・。コップじゃないのか。。

そしてあるときはベビーカーに乗っているときに、青空に向かって「カッパ!」と叫んだ。ん?空にヒントがあるのか?見上げてみたけれど、カッパらしきものは発見できなかった。

そしてまたあるときは写真のこちら。お店のマネキンを指差しながらの

「カッパーカッパーカッパーッ!!!」

の連呼。

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うーむ、全然わかんねー。

いやマジで全然わかんねー。

奥さんに聞いても、保育園の先生に聞いても、さっぱりな「カッパ!」であった。

いまのところ、1歳の脳の中にしか、「カッパ!」の答えはない。

***

今回の件で感じたことは、

 

抽象化とは、物事の理解の基本中の基本である

 

という当たり前すぎる真理だった。

「ケータイ」という言葉は、誰にとっても同じ意味を持つから僕たちはケータイの話をできるのだ。

確かに僕が持っているケータイ(=iPhone6)と、誰かが持ってるギャラクシーやiPhone7は違う。同じiPhone6だったとしても、僕のように「すみっこぐらし」をカバーにしているヤツもいれば、キティちゃんをカバーにしてるヤツもいる。

それらは少しずつ違う。よくよく見れば全部違う機械だ。

しかしまとめると、それらは「ケータイ」という枠で説明ができる。細かな違いがあれどある程度同じものだと解釈することで、そこに使う脳内メモリを節約して違う部分に資源を投入できる。

人間のコミュニケーションとは、それぞれが無意識にやっているこうした抽象化のおかげで成り立っているということだ。

 

にも関わらず、今回は「カッパ!」の壁の前に、無惨にもそれが打ち砕かれてしまった。

一見して単純なようなのだけれど、どうしても共通点が見つからない。コップとテレビと空とマネキンにどんな共通点を見出し、抽象化すれば良いのか。

それとも、コップもテレビも空もマネキンも、それぞれが「カッパ!」と称するに足る存在なのだろうか。

単語ひとつでここまで考えさせる1歳児にたじたじになった僕は、まさかこれこそが自分に父親の意識を全て向けさせるための2号機なりの作戦だったのではないだろうか、という点に気づき、戦慄した。

あなおそろしや、次女のしたたかさ。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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