最近は色々なことがあって正直言えば思春期まっただ中なのだけれど、先日ふと思いついたことを書いておきたい。もちろんやっちまってる場合もあるので自戒を込めて。
お題は「問題の捉え方」について。
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僕は色白で細い二の腕を鍛えようともしないネガティブめなモヤシ系男がキライなのだけれど、それ以外の人種をキライになることはあまりない。
ちなみになんでそういうヤツがキライかというと、この荒んだ世紀末にバイクに乗ってボーガン持ったモヒカン野郎どもが

ヒャーハハハ!!!

って襲って来たら、少しぐらい鍛えてないとユリアもリンもミスミじいさんも守ってあげることができない。力なき正義は無力なのである。
イメージ図はこちら。
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(「北斗の拳」より)

つまりはあまりに危機意識がないんじゃないの?文明にすがってんじゃないの?原始時代ナメてんじゃないの?と思ってしまうからキライなのである。
 
ちなみに就活生諸氏には、面接官の主軸を占めると思われる30代−40代対策として、「北斗の拳」は必読本に挙げられるのだけれど、うっかり「北斗の拳 イチゴ味」を買わないように注意されたい。
こちらは本家「北斗の拳」をパロったにしてはあまりに失礼な出来なので、まずはちゃんと本家を読んでもらいたい。

 
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ところで、そういう「色白で細い二の腕を鍛えようともしないネガティブめなモヤシ系男」に引き続き、もうひとつ、キライな人種がいることに気づいた。
名付けて

「虫眼鏡野郎」

だ。
これは男女問わず。
どういうことかというと、

ものすごく小さな問題が目の前にあるだけなのに、至近距離から虫眼鏡で見るがごとくその問題を界王拳10倍並に大きく捉えてしまい、それにテンパり、騒ぎ、怒りを露にして周りに迷惑をかけるヤツ

がこの「虫眼鏡野郎」だ。
 
たとえば、タクシーの運転手さんが、その道のプロのはずなのに、道を間違えたり、まごつくことがある。まー、よろしくないことはよろしくない。
普通であれば多少イライラはするけども、怒ったところで何も起こらないのだから放置して早く着くことを願うのみだろう。
しかしある中堅企業の役員はそれにいらつき、「早くしやがれバカヤロー!」と後部座席から蹴りを入れたそうだ。
そいつは社内では「デキる漢」として有名だったらしいが、どっかで消えるよねと思われていたらやはり消えた。デキるもなにも、よくもまぁそこまで傲慢になれるものだと感心する。
 
営業職で売れている人間の場合、やたら事務方やコールセンターに強い、というか態度のデカいヤツがたまにいる。
そういうヤツはヤムチャの操気弾でも食らってサイバイマンとともに自爆すれば良いのじゃないかと思うのだけれど、見てると大抵は相手(=相対的に弱い)の犯した些細なミスに、異様なほどの執念を燃やして怒ってたり、ことさらそれを公開処刑しようとしたりする。
いや、君、怒ってる時間の方が、問題解決にかかる時間より長くないかい?と思ってしまう。先方のミスをエスカレーションして公開して裁判してる時間で、それ以外の問題が10個ぐらいは片付いてしまうのでじゃないかと思うのだが。
 
女性には大変失礼な話かもしれないが、「髪型が決まらないから」とか、「化粧が乗らないから」といった理由でテンションがやや落ちするのは仕方ないにしても、そんな些細な問題で周りにまで波及するような機嫌の悪さを振りまくのは、マジでやめてもらいたい。
そういう女性には「お前はマジでラーメン二郎で修行してこい!」と言いたくなってしまう。
店内に鳩が歩いてても、たまにゴキちゃんの赤ちゃんが歩いていても、「はいお待ち!」とすら言わない無愛想で無言のオヤジがラーメンを差し出してくるときに親指がズッポリ入っていても、文句のひとつも言わず二郎を食せることの幸せに身を浸すヤツらを少しは見習ってほしい。
性の特徴として感情が豊かなのは良いけれど、感情的なのは何も生まないのだよ君たち。
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これらに共通しているのは、

大したことない問題を敢えてデカく捉えて勝手に追い込まれ、あまつさえ他人に迷惑をかける

という行為の未熟さであり醜さだ。
僕もやったことが一切ないかと言われれば、自信を持って「ない」とは言えないかもしれない。
だけど、最低限のラインとして、ご飯に虫が入ってても、注文したのと違うのが来ても、足を踏まれても、思い粋り肩がぶつかっても、怒ることはない。
だってそんなのは、

一歩下がって上から距離を取って見てみれば、ほぼほぼ大した問題ではない

からだ。
極端なことを言えば、人は肉親の死や自身の大病ですら、時間は必要になるけれどもいずれは客観視できてしまうようになる。
事が起きたときは泣き叫び、悲しみに暮れ、全てに無気力になるかもしれないけれど、それでもいずれ回復する。親が亡くなって10年後も泣き叫んでいる人を、僕は見たことがない。
つまりはどんな問題も、捉え方次第である一定の幅で大きくも小さくもできるということである。
であるならば、日常の些細な問題を敢えて虫眼鏡で見る必要など、どこにあるのだろうかと思う。
わざわざ虫眼鏡を抱えて1cmの距離まで近づいて、小さな小さな問題を、「うわ、デカ!ヤバすぎる!」とテンパる理由は、タンスのどこを探しても見つからない。
あまりの物忘れが激しいのでメモを取ってくれとお願いしたらメモをした場所を忘れ、「話が3つある」と言って1つ目から見事に忘れる天然危険物級な芋上司に怒鳴り散らしてしまった過去の自分を自省しつつ、当時の僕は「その程度」の問題をあまりに大きく捉えすぎていたのではないかと思う。
いや、普通怒るやろそれは、と今でも思っているけども。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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