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退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

約20年ぶりに高校サッカー部OB会に突入して思い出した、人生で大切ないくつかのこと その2 #1127

time 2016/10/11


 

色々あって、約20年ぶりに高校サッカー部のOB会に参加することにした。

つづき。

場所は東京学芸大学教育学部附属高等学校、略して「附高」。

***

学校に着いてみると、当時から変わらぬ、セキュリティの「セ」の時も感じさせない校門が口をがっぽりと開けて僕を待ち構えていた。

安心と信頼で出来ているこの学校は、もしかしたら不信と疑いにまみれている今の日本が失いかけている大切なものをまだ持っているのかもしれない。

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附高生なら一度はお世話になり、100回は店主のおばちゃんに話しかけられたであろう、知る人ぞ知る「周楽」の跡地。現在は一軒家になっていた。

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校舎は相変わらずボロく、補修は多少入っているようだけれど、昔とほぼ変わらない。高校自体には数年前に一度行ったことがあったけれど、そのときに先生たちが「国立だから金がないんだよね〜」と口々に言っていたのはどうも本当のようだ。

***

僕は、駅から学校まで歩く道すがら、なんでか分からないが感動して涙が出そうな状態に陥り、かつ顔は笑っていた。

青春時代を過ごした通学路を歩いて、愛しさと切なさと心強さが湧き上がってきたようだった。

んが、そうはいってもちょいと憂鬱と言えば憂鬱だった。

何せ、オールコートでのサッカーは高校卒業以来一度もやってない。フットサルですら、年に1回あるかどうか程度だ。有酸素運動領域で動き続けるマラソンやトライアスロンと、短い距離のスプリントを繰り返すサッカーは根本的に違う。

更に、先輩にも後輩にも知り合いが少ない可能性が高い。そもそも、OB会の存在は知ってはいたが、いつ開催されるのかの連絡はほとんど来たことがなかった。同期に確認しても、1コ上の先輩に確認しても、皆知らないと言う。

どうも、僕らの年代付近は、OB会から隔絶されてしまっていたようだった。

ということで全く連絡が行き届かず、僕ともう一人の同期が参加するのみにとどまることになった。しかもそいつは大幅に遅れて来て、さらにはさっさと帰るつもりだという。

孤独のまま、サッカーグラウンドに突入することになった。

***

OB会の練習試合は既に始まっていた。

おお、昔のまんまの何の変哲もないグラウンド!

全然新しくなってないし、間違って芝になっていたりもしない。現役当時のまんまである。雨が降るとぐちゃぐちゃになり、乾燥すると砂埃が舞う、あのグラウンドだ。

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まずは当校OBでもあり、卒業後にサッカー部顧問でもあった先生に挨拶をした。当時と全く変わっておらず、少々髪の毛に白いものが混じっている以外は、年齢を感じさせない若さがあった。

その後、居並ぶOBのなかでも優しそうで、かつ幹事臭を全身に纏わせている先輩に挨拶をした。今年ではなく来年の幹事だけど、これから同期らへんの連絡をまとめてもらいたいのでよろしく、と言ってくれた。

どうも、名簿を見る限り最低でも5コ上以上離れた上の先輩しかいないらしい。ヤバい。高校サッカー部において5コ上ともなると、「先輩」とか「エラい人」ではなく、もはや「神」である。

 

後輩とは、呼吸するおもちゃである

 

とは、体育会系部活における有名な不文律である。

目の前の先輩はそんなことを習慣にしていた恐ろしい方には見えないが、しかし油断は出来ない。

ケツの穴をキュッと締め直した。

僕は、幹事臭漂う先輩と会話が進むにつれて、自然と、

「シタ、シタ」

と返事をするようになっていた。

***

附高サッカー部には不思議な伝統が2つあった。

1つは、「ナマティ」というものの着用を1年生が義務づけられる点。ご想像の通り「名前Tシャツ」の略であり、上級生から見て名前が覚えやすいようにと、白地のTシャツに名前を書くことが義務づけられる。

これは、極めて合理的であり、また同時に非合理な制度でもあった。

まず利点としては、上級生から見て新人の名前が覚えやすいという点が挙げられる。しかし、規定は厳しく、

1、「ワンポイント不可」の完全な真っ白なTシャツであること(アディダスとかナイキのマークも不可 ↓こういうの)

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2、文字が信じられないほど極太であること

の2点の遵守が求められた。

 

当時、ユニクロやZARAはなかった。ヒートテックでもない、無地のTシャツなど、どこそこに売っているものでもなかった。

規定を甘く見てワンポイントの入ったTシャツやソックスを履いてこようものなら、「罰ラン」という名の罰則ランニングが連帯責任で課せられた。

 

また、

「先輩たちの名前の方が数が多くて大変なんですけど」

という至極まっとうな反論も、当然のことながら許されることはなかった。基本的に、部活はハイかYesかの世界である。帰国子女ならそこにOuiとSiが加わることもある。

さらには、少しでも文字が小さかったり、先輩方が満足する太さでなかった場合は、これまた「罰ラン」が課された。

「田中」とか「山田」のようなシンプルな名前であれば、大きく極太にすることはそう難しい話ではなかった。しかし、例えば「サイトウ」というヤツは相当に大変だったことと思う。

「斉藤」であればまだ良い。「斎藤」もまぁ救いがある。しかし「齋藤」は最悪だ。

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パワーポイントですらこんな感じになる。マジックでこんな上手に書けるわけもない。

「字が潰れて読めねーじゃねーか!罰ラン行ってこい!!!」

と言われるのは目に見えている。自分の名前がそこまで複雑でないことに心から感謝した。連帯責任だからあんまり関係ないけど。

***

2つ目の伝統は、後輩の返事が全て

 

「シタ!」

 

で統一されているという点だ。

これは、「分かりました!」の「シタ!」が語源と言われている。今、僕の会社では「テス!」というのが流行っているけれど、それに比べれば系譜が明確で非常にロジカルである。

ただ、慣れてくるとやはりなにかしらオリジナリティを加えたくなるもので、僕たちの時代の末期には、

 

「シトゥ!」

 

という形になっていた。「シタ!」に比べると、丹田に力が入りやすく、締まりも良いと思われた。

とある期の先輩方も、自身が下級生だったときには、

 

「シタァ〜?」

 

と疑問系を駆使していたらしい。しかしこれは明らかに先輩を挑発する行為であり、勇気を必要とする返事であったと思う。(「分かったか!」と先輩に聞かれて、「分かりましたぁ〜?」と答えるのと同じ。よほどのブレイブハートでなければ無理だと思う。)

そんなわけで、現役時代を思い出した僕は、自然と先輩に対して、「シタ、シタ」と返事をし始めたのであった。

***

「で、お前さぁ〜」

「シタ、シタ」と埋め込まれたDNAの命令通り返事をし始めた僕に対して、先輩の態度が明らかに変わり始めた。さっきまで丁寧語だったのに、もう押し戻せないほどの絶対的ヒエラルキーを感じる。

「なんでお前の期、こないわけ?」

社会人の基本は、コンクルージョンファースト。出来ないことは出来ないと顧客に率直に伝えるのも、ビジネスマナーのひとつだ。僕は答えた。

「はい、OB会の連絡網自体が10年以上我々のところまで届いておらず、知る術がありませんでした。」

軍人同様、必要な情報を網羅し、最低限の長さの文章に搭載させた点では満点の回答と言える。数値も入っているので相手との文脈の共有も出来ている。

ウソでもなんでもなく、同期の誰も、そして1個上の先輩方ですら誰も、OB会がいつどのように開催されるかを知らなかった。

僕は、ファクトベースでした回答に満足していた。そしたら、

 

「うん、そうなんだけど、お前らなんでこないの?」

 

とのお返事。

ウップス。

そうか。

そうだった。

「ビジネスは結果が全て」という原理原則を思い出した。連絡が来てなかったからこれませんでした、なんていう「理由」は、「言い訳」でしかない。

「ポストが赤いのも社長のせい」と言われるほど、経営者は圧倒的主体性を以て事に臨む存在であるべきであると言われているけれど、これからのビジネスパーソンはすべからくそうあらねばならない。そうでなくては生き残っていけない時代に差し掛かっている。

受け身になるな。

常に自ら情報を取りにいけ。

人生の主人公になれ。

全てを自分事として捉えろ。

そんなことを教えるために、先輩は僕の言い訳を両断してくださったのだろうか。。

 

「焼きそばの入ったメロンパン買ってこい」

とその昔、別の先輩が言っていたことを、少し思い出した。理不尽に対する最大の処方箋は、圧倒的な主体性である。

 

もうちょっとつづく。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。