ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

約20年ぶりに高校サッカー部OB会に突入して思い出した、人生で大切ないくつかのこと その3 #1128

time 2016/10/12


 

色々あって、約20年ぶりに高校サッカー部のOB会に参加することにした。

つづきのつづき。

場所は東京学芸大学教育学部附属高等学校、略して「附高」。

***

幹事臭を纏った先輩から同期の出席率の悪さについて詰められた後、さぁ試合に出るぞ、と思って準備をしていたら、また別の先輩から呼び出しがあった。

問題がひとつあった。今度は明らかに恐そうである。

 

一般的に、部活のOBが一番恐いのは卒業直後から数年と言われている。

理由の1つには、最上級生であった頃の威厳が卒業後数年までは色あせずに残っていることが挙げられる。

後輩のうちの一部(主に2−3年生)は自分のことをまだ知っており、現役当時に与えた恐怖をリマインドさせることはそう難しくない。

 

もう1つは、OB自身の内面に起因する。つまり、あまりに歳が離れると、ガチで怒るということが出来なくなるという点が挙げられる。

小学校6年生が5年生を相手にガチでやっつけることはあっても、1年生をガチでいじめるということはなかなかない。

サルやオランウータンが生き残ることが出来たのは、人間よりはるかに知能で劣っていたからだと、生物学の世界では言われている。もっと知能的に人間に近い類人猿は多数地球上に存在したが、それらは皆、人間に殺されてしまったのだ。

なぜなら、人間にとってそれらは、「いつ寝首を掻かれるか分からない恐怖の存在」であったからである。

逆に言えば、人間から見てサルやオランウータンは、「安パイ」な存在だったとも言える。

 

話を戻すと、人類の進化論的に、「卒業してだいぶ経ってもずっと恐いままのOB」というのは、理論的にはあり得ても、現実世界でははぐれメタルばりの希少種に過ぎないことが多いということを言いたかった。

そして、目の前にいらっしゃる先輩は、どうもその類いの方のように見えた。選ばれし海賊しか身につけることが出来ないと言われている、覇王色の気が見えた。

***

「お前さ〜、なんで羅王なの?」

 

さっそく尋問が始まった。出欠メールに署名欄に、誤って「羅王」と書かれたまま送ってしまっていたことを思い出した。僕は答えた。

 

「は!諸事情ありまして!」

しどろもどろになりながら答えになっていない答えを返すと、さらに尋問は続いた。

 

「てかお前さー、分かってんの?」

「はい!」

 

「分かってねーだろ?」

「はい!」

 

「分かってねーよな?」

「はい!」

 

やばい、最低限の快活な返事で切り抜けようとしたら、どんどんどツボにハマっていくこの感覚。

どんなシュートを打ってもミューラー君に止められるであろうことを打つ前から確信してしまい、戦う前から敗北を悟った日向小次郎の気分だ。

気づいた頃には尻と脇にたっぷりと汗をかいていた。

ホイッスルが鳴り、自分の出番が来たことで、何とかその場を脱することが出来た。惑星ベジータのような重力場だった。

この感覚、このプレッシャー、久しく味わっていない。

***

試合が始まると、20代から上は恐らく60代まで、全員ほとんどガチでプレーをした。

若手はさすがと思える動きを見せていた一方で、40代以上の先輩たちも、そう遜色のない動きを見せていた。

なかには未だに現役でフルコートサッカーをやっている先輩もいて、さすがと思わされるプレーがいくつも出てきて、逆に自分のショボさを思い知らされる展開となった。

僕はというと、意気揚々と出場したものの、なんと3試合目で右腿裏肉離れを起こし、敢えなく撃沈。同期のメンバーが来た頃には、孫悟空にやられた後のナッパのようになっていた。

アイアンマンや100kmマラソンでは、速筋より遅筋を使う。ショートスプリントより、長距離をいかに長く動き続けられるかを競う。

耐久系の競技にはある程度カラダが順応してきたと思っていたのだけれど、それとサッカーは全くの別物であった。

あうう、せっかくスパイクとソックスとすね当てを買ったのに、なんてこったい。

 

暗くなるまで脚を引きずりながら試合をこなした後の、次なる試合は飲み会。

なんと、

▼自分より下の代は一切来ず、

▼自分より上の代は5コ上の先輩が最も近い代で、

▼同期は子育てを理由に退散して

というサッカー以上に孤立無援の状態での参戦となった。お相手の先輩方はなんと50名。

ドキをムネムネさせながら会場に向かった。

***

結論から言うと、この飲み会に行ったのは大正解だった。

周りはすべてだいぶ歳の離れた先輩で、引き続き終始脇汗と尻汗はかきっぱなしであったけれど、それ以上に大きな収穫を得ることができた。

嬉々としてしゃべり続ける先輩たちから、ほとんど共通の知り合いもいないような先輩たちから、時間の経過とともにほとんどろれつも回らなくなっていく先輩たちから、一体僕は何を得たのか?

僕が得たもの、それは、

附高サッカー部の生きた歴史

だった。

 

僕のいた附高サッカー部は、進学校の部活にありがちなように、残念至極ながら、弱小チームであった。勿論全力で毎日頑張っていたが、普通に弱かった。

高校サッカーはまず地区予選があり、そこで上位に入ると都大会があり、そこで上位2校に入ると全国大会に出られるという仕組みになっている。

附高サッカー部は、万年地区大会1〜3回戦負けを常としていた。都大会は目標であったが、同時にほとんど夢であった。

ところが、面食らったことに、昔は附高サッカー部は都大会常連のチームであったという。しかも、最高成績は東京都で3位。あの帝京(全国優勝レベル)に負け、あの修徳(都内で相当に強豪)を最後まで追いつめたところまで行ったんだとか。

当時は1年生でレギュラーをつかみ取る選手も沢山いて、なんと都選抜の先輩方はサッカーマガジンにも掲載されていたという。どこぞの強豪校みたいじゃないか。

 

 

マジですか!

え?マジですか!

うおお!マジですか!

 

最恵国待遇の敬語も忘れて、僕はずっと驚き、唸っていた。

まさか自分のいたチームが、昔は都大会常連であり、全国大会まで出る寸前まで行っていたとは。

結局3次会まで行き、その日はお開きになった。僕は、過去最高に母校愛が高まっていることを感じていた。

***

最近、日本人の幸福度が世界の人たちのそれと比較して低いと言われている。

客観的に見れば、日本人ほど幸せな国民はいない。

相変わらず日本のほとんどは安全で、夜も普通に歩ける。

飯はどこも美味くて種類も豊富であり、美味くても高い飯か、安くてマズい飯しかないアメリカなどとはレベルが違う。世界で一番美味いイタリアンは、本場ではなく東京にあるとも言われている。

日本人は、やはり民度が高いと思う。無くした財布が戻って来たり、公衆トイレがいつも綺麗なのは日本だけだ。警察が謙虚で腐っていないのも、民度の高さだと思う。マックでちゃんとしたスマイルが無料でもらえるのは、日本だけだ。(アメリカは本社があるくせにヒドい)

課題は吐いて捨てるほどある国ではあるけれど、それでも客観的には日本人でいられることは、他のどの国に生まれるよりもラッキーなことであると思う。

なのに、幸せではないという人がこれほど多いのは、一体どうしたことだろうか。

 

僕が思うのは、AIだとかホワイトカラーの生産性の向上だとかVRだとか、そういう新しいものをいくら突き詰めていっても、あるべきものを既にほとんど持っている日本人が、これ以上に幸せになるのは、少し難しいのではないかと思う。

というより、宇宙空間で平泳ぎをするがごとく、足場が定まってないのに前に進もうとするから、どんどん苦しくなっていくのではないかと思っている。

今回、僕は何か新しい画期的なものを得たわけではない。ただ、自分の歴史書の前半の数ページに、数百行の文章とカラフルな絵が数枚加わっただけである。

たったそれだけで、僕はとてつもない幸福感に満たされた。

別に、先輩たちが都大会常連だったことを知ったからそうなった、というわけでもない。仮にこれが「やはり昔も万年地区大会1回戦負けだった」という史実だったとしても、そこに注がれきた想いや刻まれて来た歴史を知ることで、やはり同じように幸福感を感じたものと思う。

***

自分が通って来た道は、それそのものを僕自身が開拓したのでない限り、必ず誰かが切り開いてきた道である。

最初は草がボーボーで人なんてとてもじゃないが・・・なんて場所だったのを、誰かが草を伐採し、誰かが踏み固め、誰かが道にしてきたのだ。

若いときは、あるいは自分がその道を通っている最中は、必死すぎて周りが見えない。それがどれだけの偶然と幸運が積み重なった末に出来たものであり、どれだけの人の想いの上に成り立っているものなのかということなど、考えることはほとんどない。

それはそれで良いと思う。全速力で走っている車に乗っているドライバーは、速度の上昇とともに極端に視野が狭くなる。

 

だけど、いつか人は、ふと自分の人生を振り返るときが来る。

そんなときに、自分の通ってきた道が何という名前なのか、どんなふうにして造られたのか、あるいはなぜ造られたのか。

そういう歴史を知っておくことは、人類が共通して求める幸せという観点から見ても、非常に大事なことなのではないかと思う。

 

別れ際、この日もっとも僕を気にかけてくれた5コ上の先輩たちが言っていた。

「俺たちも今まで全然OB会に来てなかったんだけど、40過ぎてなんとなく来なきゃなって思ったんだよな。なんかそういう感じが急に湧いてきたんだよ。」

非常にぼんやりした話ではあったし、ロジカルでもなんでもなかったけれど、言いたいことはものすごくよく分かった。

自分のルーツを知ることは、単に後ろを振り返っているだけなようでいて、これから更に前に進んでいくための活力になる、あるいは、さらにジャンプするために踏みしめる足場を固める意味がある、ということを、全員がなんとなくカラダで感じていたのだと思う。

なんとなく参加したOB会だったけれど、なんとなく最高な1日だった。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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